「IDO」1Gの「HiCAP」導入後、米国の内政干渉で同世代の「TACS」の導入も強要され同時に2つのネットワークを運用する事に
5127文字
●“日本型ケータイ戦争”
なぜKDDIは3G通信で世界普及するとされていたW-CDMAではなく、3G通信規格にCDMA2000を選んだのか?
その理由は、開発元のクアルコムが日本市場でも自社開発の通信技術を普及させるという強い思いがあった。

現KDDI吸収合併した旧IDO(日本移動通信)時代も1Gでモトローラの自社技術を日本市場で普及させるという思いから、最終的にアメリカの内政干渉を利用してまで、IDOに自社技術を採用させた。
ー現在の日本の通信業界ー
スマートフォン全盛の現在、日本では日常的に使っている4Gや5Gの通信方式として、ドコモ・KDDI(au)・ソフトバンク・楽天モバイルといった全ての通信事業者が国際標準規格で同一の通信方式を採用している。
国内で規格は統一されており、通信会社を意識する事なくSIMフリー端末を利用する事もできるし、海外でも殆ど場所や通信規格を意識する必要はない。

ー1G〜3G(5Gまで)の通信規格戦争ー


しかし、それ以前の第1世代から第3世代(1G~3G)においては世界中で様々な通信規格が乱立し、日本国内でも通信規格争いに巻き込まれていた。
NTTが開発したPDC方式は日本国内のすべての通信事業者が採用し一時は国内で全社採用するも長くは続かなかった。
NTTが開発した通信方式を採用している限り、NTTに勝つことはできないと判断したIDO・DDIセルラーは米Qualcomm社が開発したcdmaOne方式に切り替えた。
DDI・KDD・IDOは合併し、KDDIとなる。DDIセルラーグループも株式会社エーユーと一社化しその後、KDDIに吸収合併されている。
そして、PDC方式をいち早く終了し、第2世代(cdmaOneは2.5世代)から第3世代へ移行するのだった。
1.第一世代誕生と通信規格による混乱
(1)ドコモ独走の中で生まれた新規参入組
第2世代で一度は全ての国内事業者は、NTTが開発したPDC方式(Personal Digital Cellular)による通信サービスを提供する。
しかし、世界ではGSM方式の通信が主流で、PDC策定当初はJDCの名称だったが、残念ながらPDC方式の通信サービスが日本以外で採用される事はなかった。
日本の端末メーカー・通信設備ベンダーが海外進出する機会をある意味ではNTTが奪う形になったと言えるかもしれない。
当時唯一海外進出できたのは、PHSサービスだった。

そして、問題は更に遡り第1世代の通信規格選定まで遡る。
2.通信方式の違いによるローミングの壁
(1)営業区域を分け合い2社が新規参入を果たす
DDIセルラーとIDOが新規参入した当時、郵政省の方針で
一地域2社までという縛りがあった。
すでに日本全国統一ブランドでサービス展開していたNTTドコモが存在するため、各県で新規参入できるのは1社のみという事になる。
そこでDDIセルラーとIDOは、互いに営業エリア地域を区切り、市場を分け合うという方法でそれぞれ新規参入を果たした。

IDOの、営業エリアは「関東甲信越・中部の1都12県」となる。
DDIセルラーは残りの「北海道・東北・北陸・関西・中国・四国・九州・沖縄」を営業エリアとした。
(2)J-TACSとHiCAP:ローミング不可問題
2社で全国の営業エリアを分け合っていたため、全国で利用するには、両社が自社の通信エリアをお互い共有するローミング契約をする必要がある。
ただし大前提として両社が同じ通信方式である必要がある。
ー各社の通信方式の状況ー
ドコモ→HiCAP方式(NTT大容量方式)
IDO→HiCAP方式(NTT大容量方式)
DDIセルラー→J-TACS方式(モトローラ方式日本改良版)
新規参入をしたDDIセルラーとIDOはそれぞれが別の通信方式を選択しサービス展開をすることになった。
そのため、新規参入の2社間ではローミングができないという問題が発生する。

(3)ライバル2社が協力し全国サービス展開
新規参入の2社が選んだ通信方式は、お互いに違うため2社間のローミングは不可能となった。
IDOが採用したHiCAP方式(NTT大容量方式)は、ドコモが全国でサービス展開をしていたものと同じでIDOとドコモはライバル関係であるものの、ローミング契約を結ぶ。
IDOは自社の営業エリア外ではドコモの通信設備を利用する事で全国サービスを実現する。
・NTTドコモ(全国でサービス)⇄IDO→IDOは全国で利用可
・DDIセルラー→ローミング相手がおらず、全国利用不可

(4)全国で利用できない致命的なDDIセルラー
しかし、新規参入したもう一社のDDIセルラーが採用を決めたのは米国の規格を日本向けに改良した、「J-TACS方式(モトローラ方式)」だった。
「J-TACS方式」採用する事業者は日本におらず、DDIセルラーの利用者は、特に人口の多いIDOの営業区域(関東甲信越・中部地方・1都12県)では圏外となり、全国で利用できないという致命的な欠陥を抱える事になった。
2.ローミングの壁:通信方式の違い
(1)J-TACSとHiCAP:ローミング不可能問題
ーIDOがHiCAP方式を選択した理由ー
IDOがHiCAP方式を導入したのは、当時の親会社トヨタ自動車の考えが強く影響している。
トヨタ自動車にとって移動体通信は、1979年に日本電信電話公社(現NTT)が自動車電話サービスを開始した際、搭載技術の面で協力するなどトヨタが最も進出を望んだ分野であった。
IDOは当初、移動体通信では自動車電話を念頭に置いており、NTTとの端末の共通化を強く意識しHiCAP方式を選択した。
ーDDIがJ-TACS方式を選択した謎ー
DDIセルラーはJ-TACS方式を採用すればローミング相手が国内におらず全国で通信サービスの提供が出来なくなる事は恐らくわかっていただろう。
全国サービスが実現しなければ、HiCAP方式のNTT、IDOに比べ競争力を失う。
DDIセルラーの通信サービスに多大なデメリットになる。
さらにIDOがJ-TACS方式のサービスを開始する保証もない。
DDIセルラーはJ-TACS方式を採用した。そして、日本政府から強制的にIDOはJ-TACS方式でサービスを開始させられる。これによりローミングで全国サービスとなったが、DDIセルラーはなぜ、採用時点で全国サービスが不可能なJ-TACS方式の採用を決めたのだろうか。
ーMotorolaが日本市場に注目した理由ー

1985年の通信自由化に目をつけたMotorolaの目標は自社開発の第一世代通信規格TACS方式(J-TACS方式)を日本市場で採用させ、普及させる事。
そのための手段として、アメリカの外交圧力を駆使してでも日本参入を果たす。強い目的があった。
Motorolaによる日本市場参入の工作活動が始まっていた。
①工作作戦1:「DDIへ技術供与」DDIを取り込む
NTTは圧倒的な技術力を獲得する為の「大規模な研究所」と「電電ファミリー」というお抱え企業を有する。
新規参入するDDIにはその様な大規模な研究所もなければ、結びつきの強いお抱え企業もない。
MotorolaはDDIにとって格好のパートナーだった。

ー電電ファミリーとNTTの関係ー
◯NTT→研究開発
◯電電ファミリー→NTTお抱えの製造担当企業体

②工作作戦2:最終手段「外交圧力の駆使」
Motorolaは米国通商代表部にロビー活動を行い、日本の通信市場の開放を求め米国通商代表部の内政干渉を受ける。
更に当時の日米経済摩擦も関係している。
1989年の日米構造協議での合意により、日本国内での、TACS方式の導入を合意させられる。
ーIDO日本政府に強制されJ-TACS方式開始ー
IDOは1991年10月からTACSベースの、J-TACS方式のサービス[Tokyophone]を開始する。




その結果、HiCAP方式の初期投資の回収が終わる前に新たなJ-TACS方式の設備投資を重ねなければならなかった。
さらにJ-TACS方式運用開始から3年経っていない1994年中頃にはPDC方式の第2世代デジタル携帯電話サービスの開始も迫っていた。

ーサービススタートが迫る次世代2G通信ー
1991年4月に現・電波産業会によりPDCは標準規格と定められる。この頃はJDC (Japan Digital Cellular) と呼ばれていた。
1993年3月ドコモがPDC方式のデジタルmovaサービス開始。

1994年6月IDOもPDC方式デジタル携帯電話をスタート。
この時、IDOは①HiCAP方式、②J-TACS方式、③PDC方式の3サービスを同時運営し、IDOは資金不足が常態化していった。
DDIとの日本全国ローミングサービスを開始した。
(3)通信方式の分断がもたらした不便と競争
ひとつはデメリット。
日本の通信業界は米国の圧力に弱いと露呈したこと。Motorolaと同じやり方で3G通信方式の選択でcdma2000採用のために、Qualcommからの横槍が入る。

ひとつはメリット。
ぬるま湯だった電電ファミリーの競争意識を刺激し、小型・高性能な端末を開発する原動力となる。
1989年に発売されたMotorolaのHP–501は衝撃的な小ささだった。
黒船「マイクロTAC」に対抗すべくNTTは「ムーバ」を開発。
携帯電話の小型化競争が始まるきっかけとなった。

携帯電話の「小型軽量化競争」のベンチマークとなったモデル。
出典:KDDIホームページ
3.“脱NTT”を掲げ連携と再編の始まり
(1)せめぎ合う:ドコモと1次参入組・2次参入組
移動体通信業界は始めNTT(のちのドコモ)が独占していた。
1985年の通信自由化後、様々な資本関係を持つ携帯電話事業者が新規参入する。
ー自由化前からの事業者(800Hz帯)ー
・NTT(現NTTドコモ)
ー1次参入事業者(800Hz帯)ー
・京セラ・DDI系「DDIセルラーグループ」
・トヨタ自動車「日本移動通信(IDO)」
その後、新たな電波の割り当てが決まり、更に携帯電話事業者が参入を果たす。
東名阪(関東・東海・関西)は新たに2事業者の参入。
それ以外の地域は1事業者の新規参入が許可される。
ー2次参入事業者(1.5GHz帯)ー
・NTTドコモ(シティフォン/シティオ)
・(鉄道通信源流)日本テレコム系「デジタルホングループ」
・日産自動車・DDI系「ツーカーセルラーグループ」
・日産自動車系「ツーカーホン」(関西のみ)
・日本テレコム・日産自動車系「デジタルツーカーグループ」

携帯電話事業者は各地域会社として独自の料金設定やイメージキャラクターの設定、キャンペーンなど、独自色を出しせめぎ合って競争していた。
(2)PDC方式への反発と端末供給の不満
当時協力関係にあった「京セラ・DDI系DDIセルラー」と「トヨタ自動車・電力系の日本移動通信(IDO)」は、NTTが開発したPDC方式を利用している限り、NTTグループの強い影響力で市場競争でドコモに勝てないと判断する。

携帯電話や通信設備を作っている企業はかつて電電ファミリーと呼ばれたNTTと関係の強い企業で、NTTの影響を完全に断ち切るにはNTTが開発した通信規格以外の選択をすることを決める。そして、PDC方式を途中で辞め、アメリカQualcomm社が開発したcdmaOneに切り替える決断をする。

携帯端末の供給を受けるも、ドコモのお下がりのような端末となってしまうなどドコモ以外の通信事業者にも不満があった。
同時、地域会社として存在した携帯電話会社。
他社であっても株主が被るなどして、ロゴが非常に似ている。

(3)ケータイ業界が動き出す1990年代末期
1999年にドコモはiモードサービスを開始。

史上稀に見るヒットとなる。
iモードと同様のケータイでインターネットができるサービスを開発中であったJ-PHONEは「やられた!」と、開発を急ぐ。
しかし、ドコモのパケット通信は当時主流の回線交換方式によるデータ通信より優れていた。

次回に続く↓
