日本で携帯電話にPHSが敗れた理由と世界で1億加入数まで広がった理由ー日本編ー
【4737文字】
1.1999年当時の私の通信事情
ーはじめにー
PHSを実際に使用した経験がある人はすでに少数派となっているかもしれません。
特に2000年以降に生まれた世代にとっては、PHSという存在自体知らないかもしれないです。
ー1999年当時の私ー
1999年前半、私は携帯電話とPHSの両方契約していました。
よく覚えているPHSの良いところは通話音質です。
PDC方式の携帯電話は音がこもり機械音のようでした。
PHSは明瞭で通話音量を最大にしなくてもよく聞き取れました。
ー固定電話からの通話料金も安いPHSー
当時は友人から固定電話で電話がかかってくることも多かったのですが、固定電話からかける場合、通話相手がPHSか携帯電話かで固定電話側の通話料は大きく変わりました。
携帯電話で受けると1分50円。PHSだと1分10円でした。
PHSは電話をする相手の負担も減らすことができて、見えない部分でもすぐれていました。
携帯電話とPHSからかけた場合の料金は複雑なので最後に記載しました。
ー1999年当時の携帯電話とPHSー
端末の機能差は携帯電話と極端に差がある様な事はありませんでした。
利用していた携帯電話もPHS端末も簡単な文字情報を取得する機能とSMS、音声通話が利用でき困る事はありませんでした。

見た目もほぼ携帯電話とPHSも変化がない。

出典:mainichi.jp
ーiモードの誕生と他社キャリアー
しかし、1999年2月NTTドコモの「iモード」が登場した事で、市場の状況は劇的に変化しました
他社キャリア(携帯電話事業者・PHS事業者)は端末に新機能を次々と搭載しはじめ、PHS端末は徐々に携帯電話に追いつけなくなって行きます。

出典:ケータイWatch
ー私が住んでいた地域の電波事情ー
地方都市に居住していた私にとってPHSの最大の弱点は電波状況でした。本当に使えない場所が多かったのです。
当時のPHSも携帯電話も「通話品質アラーム」という機能だ電波が悪いと音で教えてくれました。
よく覚えているエピソードがあります。
PHSで通話しながら歩いていたらエリアの外に出てしまい、ピコーピコーとアラームが鳴りました。
一歩戻ると通話に戻りアラームは鳴り止みました。
また一歩進むとピコーピコーとアラームが鳴り、道を渡って反対側から進もうとしても見えない壁のように電波の境目がわかりました。
ーPHSの開発目的は携帯電話と違ったー
PHSの開発目的や設計思想を知らずに「携帯電話の劣化版」というようなイメージが定着した事が、PHSの日本における商業的失敗に繋がったと思います。
PHSが日本で商業的失敗に終わる理由、世界での成功理由をこの記事で深掘りして行きます。
2.PHSと携帯電話の違い
(1)開発コンセプトの違い
①PHSの開発コンセプトは次世代コードレス電話
PHSは固定電話のコードレス電話の子機を外に持ち出して、
気軽に使える様に設計されたシステムで「第二世代コードレス電話システム」だった。
イメージは携帯電話とコードレス電話の中間だ。
仕様策定時のキャッチコピーは「コードレス、街へ出る」だった。

「第二世代コードレス電話システム」とタイトルがあり、
その下の行にPERSONAL HANDYPHONE SYSTEM(PHS)
と記載されている。
出典:社団法人電波産業会

この画面はドッチーモの物のため携帯優先モードが追加されている。
PHSは優先回線をPHSか固定電話子機か選択できた。
出典:シャープ

ーPHSが安い理由は基地局が安いからー
料金がPHSは携帯電話より安かったことにも理由がある。
エリアを広げるには基地局を建てる必要がある。
携帯電話の基地局(アンテナ)は当時、鉄塔型のアンテナを1塔建てるのに数億円(2〜3億円目安)かかり、規模も大きくその後の維持費も高かった(土地の賃料や電気代など)。
PHSは基地局(アンテナ)が単純な作りで小型だった。
基地局も1つ設置に平均的に数100万円で設置が可能だった。(小型で低出力な為、設置場所の賃料や電気代も安かった。)

※携帯電話基地局は当時の情報で現在はPHS基地局並みの物もたくさん運用されています。
②携帯電話の開発コンセプト
携帯電話(第1世代)は、自動車に設置する「自動車電話」として開発された。持ち運びできる携帯電話は自動車電話より遅れて登場する。
広範囲を高速で移動する自動車に合わせて、基地局からは高出力な電波が発射され1つの基地局で広範囲をカバーする。

(2)基地局と電波の仕様
①携帯電話の基地局・高出力な電波
費用:高い
電波:最大10キロ程度
出力:高い
携帯電話の基地局は高出力であり、電波は10キロメートル以上先まで到達することもあった。
自動車電話を目的としたエリア設計。郊外や山間部でも道路沿いに基地局を配置され、結果として広いエリアを効率的にカバーする。


周りの電信柱よりかなりの高さがある。
②PHSの基地局・低出力な電波
費用:安い
電波:最大500メートル程
出力:低い
PHSの基地局は小型・低出力・見通しの良い状態で500m程度まで電波が届く。
サービス開始当初は都市部を中心にエリア展開する。
利用している周波数が高く、障害物が壁となり電波が反射しやすかった。
面でのエリア展開は人口密度が低い郊外や山間部など利用者が全くいない場所にも多数の基地局を設置する必要がある。
利用者の少数な場所をエリア化するのは無駄なコストになり、全国的なエリア展開が困難であった。


独立型基地局というコンクリート柱型でも15m程度の高さ。
(3)携帯電話に比べたPHSの優劣
ー携帯電話に比べて優れる点ー
① 音声品質が固定電話並みに高音質
② パケット通信速度が当時としては高速
③ 電波出力が低いため医療機器への影響が少ない
④ 通信料金が安価である
⑤室内用アンテナで窓際まで電波が届いていたら室内もエリア化できる
ー携帯電話に比べて劣る点ー
① 建物内部では電波が極端に弱くなる
② 高周波(1.9GHz)ゆえ、遮蔽物に弱い
③ ビルの陰などで圏外になりやすい
④ 高速移動中の利用が困難
⑤ エリア移動時に通話が切断されやすい
⑥ カバーエリアが極端に狭い


出典:kikeda.net
3.「簡易型携帯電話」という誤認
1995年、PHSがサービス開始されると、報道などで「簡易型携帯電話」と呼ばれた。
この呼称がPHSの認知と理解に大きな誤解をもたらす。
①「簡易型」という言葉が、PHSをあたかも携帯電話より“格下”の技術であるかのような印象を植え付けた。
②「携帯電話」という語が含まれていることで、PHSと携帯電話が同種のものであるという誤解を与えた。
PHSは携帯電話と同じ土俵で競争を強いられ、設計思想の異なる通信技術が携帯電話との直接比較に晒されることとなった。

4.PHSの急成長とそれによる負の遺産
(1)急激な契約数の拡大
①携帯電話を意識しPHS契約者数を急拡大
PHS事業者各社はサービス開始当初から、携帯電話との競争を強く意識し、大規模なプロモーションをおこなう。
プロモーションや報道による認知度拡大により、急速に契約者数を増やしていく。
その結果、契約者数は2年で700万契約を突破する。
そして、この契約数が日本でのPHSのピークとなった。
②急拡大によるPHSの失敗
サービス開始当初のエリア整備が中途半端な状態での急速な加入者獲得は、結果として「PHSは電波が悪い」というネガティブな印象を広める原因となった。利用者のみならず口コミでも広がり続けた。
結局、開始2年がピークでそこから加入者数は減り続ける。
(2)事業者の統廃合と撤退
ーNTTパーソナルー
1998年にNTTドコモに吸収合併された。
携帯電話・PHS・コードレス子機として使えるドッチーモを発売し、携帯電話とPHSの棲み分けを一台でできる端末を発売するが定着せず。
2008年1月7日付けでドコモPHSはサービス終了。
ーアステルグループー
アステル東京は1999年、東京通信ネットワーク(TTNet)に統合された。アステル各社も次々地域系電話会社に吸収された。2004年12月1日にはアステル各地域(九州・北海道・北陸・関西)でサービス停止。アステルグループは崩壊。
2006年12月20日、唯一のアステル東北もサービス終了。
ーDDIポケットー
DDIポケットは地域会社を一社化。生き残りを図る。
同社はPHSという名前の負の遺産と決別するためのプロモーション活動を大体的に行う。
「ハイブリッド携帯」や「H”」といった新ブランド。
新キャッチコピー「ケータイから、ハイブリッド携帯へ。」とPHSという名称は排除し、再起を試みた。
しかしネットワークがPHSだとわかると契約の比較対象から外されてしまい、PHSという名前についたネガティブなイメージは根深く、結局サービス終了まで払拭できなかった。
ーPHS各社の生き残りのための取り組みー

「ハイブリッド携帯」後は「インテリジェントワイヤレス」に。
NTTドコモはNTTパーソナルを吸収後、「ドッチーモ」を投入。
携帯電話とPHS、コードレス子機の自動切替可能とする端末を提供したが、これも定着しなかった。

5.日本でのPHSサービス終焉
アステルやドコモPHSがサービス終了時にはウィルコムへと引き継がれたPHS事業。(最終的ワイモバイルとなる。)
DDIポケットでデータ定額AirH”を提供。
DDIポケットが買収されウィルコムへブランド変更され、通話定額など様々な手を打つ。
しかし、携帯電話の低コスト化により全ての面で追いつかれる。
20001年に世界初の3Gサービス「FOMA」が日本でサービスが開始される。

それまで2Gに比べPHSは通信速度も高速といえたが、3Gサービスでは圧倒的に低速になってしまった。
期待されたコードレス電話の子機としての機能も、当初規格が統一されていなかったり、固定電話の低迷、周知不足により普及せず、想定した設計思想と違う利用、イメージのままだった。
結局、日本でのPHSサービスは2023年3月末をもって全て終了した。
6.1999年当時を振り返って思う事
1999年という年は携帯電話業界が大きく変革した年だったと思います。
当時の私は、次々とスタートするサービスや端末に搭載される機能に夢中になりました。
携帯電話に夢中になるあまり、近所の携帯電話基地局を見て回ったり、電柱を見てはPHS基地局が無いか探したりもしました。変わった子供です。
初めはモノクロ液晶で、オレンジのバックライトだったものが、バックライトが7色に光る端末、初めてのカラー液晶。
同じカラー液晶とはいえ、STN液晶やTFD液晶、TFT液晶と、色々あり、バックライトも透過型、半透過型、反射型があり、組み合わせによっては画面が暗くて外で見えなかったり、明瞭でなかったり。
カメラも機種によって明るいところでもまともに写真が撮れないと言っていいほど当たり外れがありました。
それもまた楽しみでした。
現在はどの機種もカメラはキレイで、画面もキレイ。
特に入念な下見がなくても安心して購入できます。
ただ、それがつまらなくも思うのです。
次回、世界のPHSサービスについて深掘りしていきます。
つづく🤙
●参考サイト
※一番下に加入していたPHSと携帯電話のプランと通話料を記載
ー私が加入していたプランの通話料ー
携帯電話→相手問わず:60円/1分(午前8時〜午後19時)
:15円/1分(午後19時〜午前8時)
PHS→固定電話:昼間30円/3分+1通話毎10円
:深夜20円/3分+1通話毎10円
PHS→携帯電話:10円/10秒(3分180円)
※深夜(午後23時〜午前8時)
固定電話→携帯電話:150円/3分
固定電話→PHS :10円/1分(3分30円)
※加入している料金プランや加入していた地域会社により通話料金の設定は異なります。
加入していたプラン
PHS(ASTEL中部:標準プラン2700円)
携帯電話(J-PHONE東海:オフタイムプラン月額4900円
