見出し画像

すいませんそこ僕の席なんですけど

どうも。ミルクアイスのせシナモンフォッカチオです。

※「自己肯定感」の高い方はブラウザバック推奨。

突然だが
・人間関係を器用にこなす所謂"一軍"のヤツ
・顔のカタチが良くて運動神経のいいヤツ
・青春を謳歌している(していた)ヤツ

僕はこの手の人間(以下「コイツら」)の話で腹から笑ったことがない
ありていに言えば、嫌いである。

理由は至極単純。
僕が手にできなかったものを手にしているから」である。


ストイックな学生時代を過ごしてきた中で幾重にも重なったコンプレックスを
社会人になってから自分なりに一つ一つ克服してきたつもりだったし
その甲斐あってか、現在は自分一人でいる時はそれなりに自分のことが好きでいられるようになった。
ただ社会や人前に顔を出すと、その「自信に似たなにか」は学生時代の鬱屈とした感情に飲まれ、崩れ落ちていく。
そして他者からどれだけ気の利いた言葉をかけてもらおうと、一切届かなくなる。

こうなってしまう根本原因は「自己愛のみがブクブク育ったものの自己肯定感が学生の頃から成長していない」といったところだろうか。
(ちなみに僕は「自己肯定感は高めるべき!」という風潮に辟易としている)

2度の引きこもりを経て、うつ病や不安障害というハンデを飼い慣らせるようになり、出来る仕事も増え、趣味や交友関係にかなり恵まれ「ようやく俺の人生が回り始めた!」という根拠のない全能感に酔いしれていたのだが
それも所詮、張り子の虎でしかなかったらしい。

お気づきかもしれないが、今まさに「自信に似たなにか」が崩壊している最中である。
崩れたてホヤホヤ。久しぶり、コアの俺 a.k.a 弱者男性。


ここまで心の澱を散々吐き散らしてきたが、僕は決して「コイツら」になりたいわけでもないし、勝てるとも思っていない。
(勝手に勝負に持ち込んでるのはいつだってお前のような弱者側じゃないか…というのは言わない約束)

一般的なカウンセリングや自己啓発本の類では
自己肯定感を高めましょう
小さな実績を重ねて自分を認めてあげましょう」などと言うだろう。
だがそもそも(「自信に似たなにか」ではないホンモノの)自己肯定感って"高まるもの"なのか。
そして自己肯定感の低い人間が果たして「小さな実績」で自分を認めることができるのだろうか。
今の僕はこれらの提案に腹落ちしていない。


では僕の理想は何かというと
死ぬまで勘違いしたまま楽しく生きていきたい」、これだ。
人生という土俵から「コイツら」を引きずり下ろし、ひとり相撲をしながら死んでいきたい。
勝てないなら"負けのない状態"を目指したい。


さて、そのためにはどうすべきか
・・・それが分かってたらこんな駄文書いてねえよ。

というのは半分冗談で、暫定的な僕なりの最適解としては
他者の評価が存在しない(勝負事ではない)趣味を持ち、その成果に対する評価軸は自分の中にのみ存在させること
なのではないかと思っている。


趣味1.服作り(3月の制作物)
趣味1.服作り(3月の制作物)
趣味2.レザークラフト(2月の制作物)
趣味2.レザークラフト(3月の制作物①)
趣味2.レザークラフト(3月の制作物②)
趣味3.レオパ飼育(ムーサ♂)
趣味3.レオパ飼育(ムーサ♂)


比較や評価と切っても切り離せない時間が存在するのが現実だ(仕事など)。
しかし「このような時間が人生の中に存在している」という事実が心の支柱になってくれる(くれている)気がする。

「コイツら」が嫌いなそこのあなた、僕と一緒に趣味をもちませんか。




いや、待てよ。
現にこれだけ趣味がある状態で「自信に似たなにか」が崩壊したってことは
「死ぬまで勘違いしたまま楽しく生きていく」ロードマップとして不適切なのでは?


いや、だから
それが分かってたらこんな駄文書いてねえよ。




P.S.
趣味のほかに僕に必要そうな書籍があったので即買いしました。



正しさが合理へと傾く時代に
「自分らしさ」を守って生きていくのは難しい。
でも、それを諦めて生きていくのは、もっと難しい。

CORN&MAYONNAISEは
"Just one line in your scene."をコンセプトに
人々の胸の奥に沈む”余白”と”揺らぎ”を拾い上げ、
日常の片隅にそっと寄り添う。

そんな小さな物語とプロダクトをつくり続けます。


よかったら遊びに来て下さい!


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集