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【パチンコ依存症】私は映画館へ向かうはずだった

静かな朝だった。

一週間ぶりの休日。昨日は給料日。映画でも観に行こうと思っていた。

パチンコには行かない。

朝の私は、本気でそう考えていた。

けれど依存症というものは、「行こう」と決めて向かうわけではない。気づけば頭の中に入り込み、気づけば身体を動かし、気づけばいつもの席に座っている。

これは、あるパチンコ依存女性の、ごく普通の一日の話である。

映画館へ向かうはずだった朝


朝7時に目が覚めた。

今日はパチンコには行かない。そう決めていた。

一週間ぶりの休み。昨日は給料日だった。映画にでも行こうかと思っていた。

失っていった友人関係


昔は一緒にランチへ行く友達もいた。でも、もう10年以上、まともに誰かと遊んでいない。

ランチの約束をドタキャンした。ドライブも、おしゃべりも、パチンコを打つためには邪魔でしかなかった。気づけば、誰も私を誘わなくなった。

「パチンコの何が楽しいの?」

そう聞かれても、自分でもうまく答えられない。

頭の中で流れ始める当たりソング

朝のうちは、本当に行かないつもりなのだ。掃除をして、映画館へ向かう予定だった。だが、時計が8時半を回る頃から、胸の奥が落ち着かなくなる。

頭の中で、パチンコの当たりソングが鳴り始める。

ソワソワする。

居ても立ってもいられない。

気づけば、パチンコ屋にいる。

端から見たら、どれだけ滑稽な行動だろう。

でも私には“パチンコのお作法”がある。

帽子を深くかぶる理由

帽子を深くかぶる。

自分の台しか見ない。

台を叩くなんてもってのほか。

隣が出ようが気にしない。

「隣が出ても気にしない」はウソだった

――たかがパチンコじゃないか。

ウソである。

本当は、人が当たりを出すのが気になって仕方がない。振り向きはしない。でも、台のガラスに映る反射で、後ろの台が何回転しているか常に確認している。

背後に立たれると気分が悪い。後ろを何度も通る常連に、マスクの下で小さく悪態をつく。

昼食より優先されるもの

昼食を食べる時間も惜しい。

もうすぐ遊タイムに入るのだから。

「良かった、3連チャンした」

「まだ3000円負けですんでる」

「これなら次の台でも遊タイムが狙える」

そんなことを考えていたら、もう閉店15分前だった。

気づけば負けは2万円になっている。1円パチンコでは異常な負け方だ。

もう取り返せない。時間もない。

それでも気づけば、サンドに1000円札を入れている。

閉店音楽が流れる。

店員が近づいてくる。

スマホの残高を何度も確認する夜

スマホで銀行残高を確認する。

1円も間違えないように、何度も見返した。

キャッシングの利用可能額も、5社すべて確認済みだった。

どこで、何を間違えたのだろう。

私は、朝目覚めたとき、本当に「今日は行かない」と思っていた。映画館へ向かうはずだった。

それなのに、気づけば今日もパチンコ屋で一日が終わっている。

楽しいからではなく、止められない状態

依存症とは、「やめたいのにやめられない状態」のことだと言われる。

楽しいから続けているのではない。

勝ちたいからだけでもない。

頭では「やめよう」と思っている。

生活を壊していることも理解している。

それでも、気づけば向かってしまう。

そして苦しみ、後悔し、また翌朝になる。

「あしたは行かない」

そう思いながら眠る。

キャッシングもできた。お金の補填もできた。

だから大丈夫だと、自分に言い聞かせながら。

――さあ、寝よう。

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