つくばの地名「谷ヶ城」について


感じた疑念

西谷ヶ城、本北谷ヶ城、北谷ヶ城とつくば市酒丸付近の谷戸地名を調べていたのですが、地名を見てまず違和感、現地を見てさらに違和感を覚えました。
谷戸地名には大別して『谷戸型』と『谷地型』があるのですがどうにもこれらの地名はそのどちらでもないように感じられたのです。
『谷戸型』とは開析谷によって形成される棚田のこと。時代とともにそれらが失われたとしても地勢(土地の傾斜など)は残されているはずです。街中であれば整地されて更地にされてしまうこともなくはないですが、それでも僅かな傾斜などの痕跡は残るはず…が、何もありません。街中ですらない畑地なのでわざわざ埋め立てる意味も予算もないはず。
すぐ横に谷田川が流れているのにそちらに向かって開析谷の後が一切ないのは妙です。
『谷地型』とは主に東北地方の谷地地名に代表される平地の低湿地のこと。ですがこのあたりに広がっているのは高低差のない畑地で元湿地帯のような『らしさ』を感じません。
これでヤトやクボを名乗るならせめてどこかに湧水源と溜池のようなものがあってほしいのですがそれもなし。
つまるところ「ヤト地名はあるがヤト地形がない」という状態なわけです。

意外な(というほどでもない)真相

気になったので軽く海面上昇シミュレーターなどを使って調べてみたところ海抜20mほどありました。
完全な大地の上ですね。
この高さならよほどちゃんとした水源がないと開析谷は作れないですし湿地帯もできません。
そこで地名の由来について色々調べてみるとようやく原因に辿り着きました。
現地のお寺のお坊さんの話によれば
「口伝によると谷ヶ城兵馬という武将がいてそこから村の名が~」
つまり人名由来だったわけですね。
それなら谷戸地形と関係ないのも納得です。
要は非谷戸ということですから。

ぬぐえぬ違和感

とまあこれで一応現地で覚えた違和感の要因には辿り着いたのですが、自身が最初に覚えた違和感の正体がまだぬぐえません。
地名を見た時の違和感です。
この原因を探ってゆくと地名の読みが引っかかっていたようです。
谷ヶ城…「ヤカシロ」と読むわけですが、普通固有名詞を残すなら城は「ジョウ」と読みますよね。
確かに現地にお城はありました。
本北谷ヶ城あたりの沼崎城という城跡です。
まあ現地にはもう一つ沼崎城があるので分類上は後沼崎城かもしれませんがそれは置いといて、なんでシロなんだろう、という疑念からある推論が浮かびました。
「これ元々はお城を示す地名ではないのでは…?」
ということでネットで確認できる国土地理院の1/50000関東地図で現地の地名を年代別に確認し、ようやく納得いく答えが見つかりました。

谷ヶ城の正体

現地の地名は戦前まで「八ヶ代」、戦後に「谷ヶ城」に変っていたのです。
同音異字、いわゆる転字ですね。
日本では非常によく見受けられるもので、谷戸地名もこれでよく変化します。
理由として考えられるのは日本語は元々言葉のみで文字(漢字)がなかったため文字と発音の繋がりが弱く、表音さえ合っていれば字は適当(当て字)でいい、という感覚が昔から根強かったのだと思われます。
つまり元々は八ヶ代という地名だったものが、戦後にそこに城跡があるからという理由で代→城に変わり、それに合わせて八→谷に転化したのでは、ということですね。
沼崎城があるから谷ヶ城になったのではなく、その逆、ということです。
この説を採用した場合現地のお寺のお坊さんの口伝と矛盾が生じてしまうように見えます。
ですがこれ『口伝』というところがミソです。
口伝であるならおそらく聞き込みをした方も書物でなくお話として聞いたはず。
『谷ヶ城』の由来を聞きに行って「ヤカシロヒョウマ」という人物の話を聞いたのでそのまま谷ヶ城兵馬と認識してしまっただけで、もしかしたら「八ヶ代兵馬」という名前だったのかもしれません。

そんな感じの元旦調査でした。


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