千葉県の地名「上谷津」「北谷津」について~広すぎる開析谷と東京ディズニーランド~
谷戸調査の一日
いつもは以前の調査で得た谷戸に関する知見などを記事として載せているのですが、今回は直近の調査がちょっと面白かったのでそちらを紹介させていただきます、
題して「個別調査メモ2026/05/30」。
私の谷戸調査の一日を御覧ください。
当日の目的
私は谷戸の調査もしますが季節の花もよく見物に行きます。
5月の終わりだとネモフィラやポピーはほぼ終わり。
アジサイや菖蒲、ラベンダーなどはもう少し先。
となると目当てはバラになります。
主なバラの花期はもっと早いのですが、遅咲きのバラだとまだ見頃のものがあるはず。
早咲きと遅咲きを取り揃えてるとなると規模の大きなバラ園がいい。
そうだ谷津バラ園に行こう。
ということで今回の目的地は習志野市の谷津に決定。
そしてせっかくなのでバラ園に行く前に近くの谷戸でも見ておくか…ということで谷戸調査も併行する事に。
なお当日は14時頃までに家に戻らないといけない用事があったため時間切れとなった時点で調査は断念、という条件でした。
谷中・街道端・大海道西・大海道東・大海道端
前述の時間制限があったため朝4時起床で6時出立。
現地には8時前くらいに到着しました。
最初の調査地点は千葉県市川市の「谷中」。

高低差が奇麗
周囲を高台に囲まれた低地です。
おそらく周囲の高台に開析谷が形成され、複数の谷戸に囲まれているから谷中地名が付いているものと思われます。
谷中には今回のように「周囲を高台に囲まれた場所」の他に「周囲を低地に囲まれた高台の上」、「周囲を湿地帯に囲まれた場所」などが見受けられます。
地形条件がバラバラに見えますがいずれも周りに谷戸型(開析谷タイプ)や谷地型(低湿地タイプ)の谷戸がある場所、という点では共通しています。

微斜面

これも微斜面

これも微斜面

これまた微斜面
すべてそれ以外特徴のない宅地
いずれもカイト地名。
カイト地名というのは以前こちら↓お話した「谷戸かもしれないので念のため確認しておきたい地名」、いわゆる谷戸関連地名のひとつです。
ただこのあたりのカイトはすべて非開析谷でさらに高台、おそらく湿地帯でもなし。
つまり非谷戸です。
一方でカイト地名として見た場合多くが「海道」の字を当てている共通点がある(カイト地名は「開戸」「皆戸」「貝戸」など多くのパターンがある)事と、すべての場所で微斜面であることが特徴的です。
カイト地名は地域によって特徴が異なるのですが、特に頻出する群馬県などは赤城山や榛名山の山腹などにカイト地名が多く存在する関係で「カイト地名の付く場所はだいたい傾斜地である」という特徴があります。このあたりのカイト地名もその傾向があるようですね。
なんてことを考えながら見物していました。
花ヶ谷台・花ヶ谷

正確には花ヶ谷台から花ヶ谷に降りる谷壁部の坂道
花ヶ谷は「はながやつ」と読むようです。
その花ヶ谷の隣にある高台が花ヶ谷台。
当然「~台」なので非谷戸です(理由については上記の「谷戸関連地名とは」を御覧ください)。
ただ純粋な高台はさらにその隣にありまして、花ヶ谷台は「本来の高台と花ヶ谷の開析谷の中間にある微傾斜地」のような場所でした。
「~台」地名としては少し珍しい立地ですね。
ところでこの長い階段、個人宅に入るための玄関です。
こうした平野部の家屋では見られないダイナミックな構造の家は宅地化した谷戸の魅力のひとつなのですが、この手の家に暮らす人は大変じゃないのかしら…なんて事を考えながら見物させていただきました。

開析谷が公園化している
そしてこちらが花ヶ谷の地形がよくわかる公園の一角。
見事な開析谷で谷戸型な事が伺えますね。
入谷津・海道


谷底から左谷壁部を臨んだ状態
入谷津はすっかり道路に舗装されてしまっていますが地形拘束と谷壁部を確認できたので谷戸型でいいと思います。
もう一つの海道が少し意外で、明確な開析谷でした。それもかなり起伏の激しいタイプ。
この地域のカイト地名はほぼ非谷戸なのですが、ここだけはしっかり谷戸型でした。
内海道・谷田・西海道・下海道

左奥の急斜面あたり

奥の立て看板によるとここに名水の湧く井戸があったとか

これも微斜面

こちらも微斜面
カイト地名はすべて非谷戸。
内海道が急斜面、残り二つは微斜面で、いずれも先に見てきたこの地域のカイト地名の特色を有していました。
谷田は場所的には大き目な開析谷の中にあるのですが、開析谷の一部分だけに付いた地名であり、これでは谷戸型とは言えません。
画像はかつてここにあったという名水の井戸があった場所らしく、つまり湧水の豊富な元湿地帯であると考えられます。
とするなら谷地型でいいでしょう。
高谷分・鎌ヶ谷津台・鎌ヶ谷津・浅間谷・飛谷津

大きな貯水池
車道を挟んでその先にもう一つ

中央に見える左奥に消える道路が鎌ヶ谷津

その谷底部

左谷戸根から谷底部と右谷壁部を臨む
サクサク行きましょう。
高谷分は貯水池となっていましたが構造上は開析谷でいいかと。
つまり谷戸型ですね。
鎌ヶ谷津台は鎌ヶ谷津台の上の高台。つまり非谷戸。
鎌ヶ谷津は奇麗な開析谷でこれは谷戸型。
飛谷津は一直線に伸びる道路の中途にあってこれは造成されて跡形もないかな…と思いきや現地に近づくと突然急坂となって画像のようにしっかり開析谷の中の宅地型谷戸が姿を現しました。
時間があれば街谷戸散歩と洒落こみたかったですね。
小谷津・西ノ谷・大谷津・西ノ谷

小さな開析谷の中にスーパーがすっぽり

奥の白い線はガードレール
かなりの高さの河岸段丘

かなりの急勾配

平坦地
小谷津は開析谷がそのままスーパーをすっぽり収めたような形状で、谷戸型。
西ノ谷は奥が河岸段丘。背後が小川。
よくある河岸段丘の下に広がる湿地帯でしょうか。とすると谷地型。
大谷津は画像の背後がかなり幅広の低地なのですがこのあたりから急に開析谷感が高くなります。谷戸型。
西ノ谷のふたつめは先程とはおそらく別。これも川そばで谷地型と思われます。
ここが今回のちょっと面白ポイントその①。
何が面白いかと言うと地名の取っ散らかり具合です。

小谷津・西ノ谷・大谷津・西ノ谷
小谷津が5つ
大谷津5つ
そして西ノ谷が7つ
同名の地名がたくさん
小谷津・大谷津・西ノ谷と同名の地名が小さく分割されて大量に散らばっています。
大谷津は隣接してますが小谷津と西ノ谷は離れているものもありますね。
とはいえこれをそれぞれ別の地名と考えるのは早計です。
なにせ小さすぎるので地形の特徴が出せるサイズではないからです。
これはいわゆる「飛び地」ですね。
土地の売買の結果離れた場所の土地が手に入ったり、逆に中間にある土地を誰かが手放して一つだった地名が分断されたり、のような結果このように飛び飛びの表記になってしまうケースが谷戸に限らずしばしば発生します。
本来の谷戸地形とずれてしまうため注意して確認する必要があります。
谷辺田・本郷谷・格子谷・井戸久保

美しい公園
奥の宅地から谷壁部が確認できる

谷壁部の高低差が大きい

駐車場。裏手は工場の資材置き場

緑豊か
谷辺田は整備型の公園型で谷沼が奇麗に残されています。
本郷谷は谷底部が宅地で奇麗に撮れなかったため谷壁部沿いの画像を撮影。
結構な急坂です。
格子谷はその他(跡地利用型)の谷戸。奥は駐車場、手前は工場の資材置き場となっていました。
井戸久保は小川沿いの窪地ですね。
上谷津・北谷津・中ノ谷

谷底部から右谷壁部を臨む

谷壁部の斜面林がとても美しい

元低湿地帯か
上谷津(かみやつ)と北谷津(きたやつ)は谷戸型、中ノ谷は谷地型。
一見普通の谷戸に見えますがここが今回の面白ポイントその②
谷壁部の見事さから間違いなく開析谷…なんですが、開析谷と呼ぶには谷底部があまりに広すぎるんですよね。
上谷津あたりの逆側を景色を御覧ください。

写真を撮っていなかったのでGoogleMapのストリートビュー機能から拝借
逆の谷壁部まで遠すぎる
あまりに対岸の谷壁部まで遠すぎます。
こちらの端のあたりは間違いなく谷戸型っぽいのにこれだけ谷底が広いと谷戸でない地名が付いてもおかしくない地形。
いったいどういうことなのでしょう。
失われた地形
…などと考えながら写真を撮っていると地元の方が話しかけてくれました。
どうも観光地でも何でもない畑地の写真を撮ってる事を疑問に思ったようですね。
で事情を説明したところとても興味を持ってもらえたようで、色々と面白いお話を教えてくれました。
どうも昔は上谷津・下谷津の画像の谷壁部の逆側に大きな谷戸根(谷戸の左右にある高台)があったそうなんです。
上記の逆サイドのストリートビューを見ると畑地が広がっているだけに見えるのですが、本来は画像の目の前に谷壁部がそびえていたはず、ということですね。
それを大工事ですべて壁を突き崩し、その土砂を全部売り払ってしまったのだとか。
だいたい1960~70年代頃のことだそうです。

画像あたりが地元の方に谷戸根があったと言われたあたり
地図で確認すると確かにそのあたりは碁盤の目のような整然とした道路が敷かれており、ごく近年に整地されたような舗装状態です。
ということで今度は今昔まっぷで昔の地勢を確認してみましょう。

1972-1982あたりの現地の地形
現代とあまり変わらない

1928-1945年あたり
今では存在しない谷戸根(茶色部分)が確認できる
赤線が上谷津、青線が下谷津、黄枠が中ノ谷、そして茶色枠がかつて存在していたという谷戸根ですね。
こちらの画像を見るとこのあたりの谷戸の中心部は「中ノ谷」であり、そこから開析谷に入りつつ北に向かう谷津が「北谷津」、そして開析谷の上流部だから「上谷津」という地名が付いたことがわかります。
つまり上谷津は「開析谷の上流部」なので「上」
そして北谷津は「中ノ谷の北」にあるから「北」
という命名だったということですね。
同時に上谷津・北谷津が開析谷の中を通る谷戸型であり、中ノ谷が湿地帯を開拓した谷地型であることも一目瞭然です。
消えた谷戸根の行方
さて先程地元の方から聞いた話には気になる部分がありました。
谷戸根を突き崩した後の土を「売り払った」と仰っていました。
一体どこに売ったのでしょう。
というかそもそも土を買い取って何をするつもりだったのでしょう。
地元の方に伺うと「浦安市に売って東京ディズニーランドの埋め立て工事に使われた」とのこと。
それはとても興味深い話ですね?
というわけで少し深掘りしてみましょう。
浦安市は元々漁業で有名な土地であり、遠浅の海岸を利用して海苔なども製造していました。
ですが1950~60年頃、度重なる工場排水によって漁業が壊滅的な打撃を受け、色々あって1960~1970年頃に海面埋立事業が始まり漁業権が放棄されます。
確かに浦安市の干潟の埋立工事の時期と重なりますね。

浦安市は干潟の大規模な埋立により広大な土地を確保した
東京ディズニーランドやJR京葉線のあたりは第二期埋め立て工事の範囲であり、時期的には1980年代以降の埋め立てなので売られた土砂がそのまま東京ディズニーランドの埋め立て工事に使われたかどうかは不透明ですが、その周囲の地盤を固めるために用いられたのは間違いないでしょう。
距離的にどうなのか、と思って調べてみたところこれが案外近いんですよね。

上谷津・北谷津あたりから浦安市の元干潟あたりまで
かなり近い
しかもアクセスも良好。
土砂やら砂利やらはかさばる上に重いので遠くから運ぶとかなり非効率で時間もお金もかかります。
そう考えるとこの距離で谷戸根一つ分の大量の土砂は埋め立てに絶好の材料と言えるでしょう。
これは確かに「売れる土」ですね。
谷中・高谷原・下谷・間ノ谷・下谷・相ノ谷・谷中







残りの調査地点をざっくり見ていきましょう。
谷中二つは非谷戸。
谷中は上の方で述べた通り周囲を谷戸や谷地に囲まれた場所を指します。
今回の谷中に個所はいずれも周囲に広い谷地型の元湿地帯が広がっていました。要は湿地帯に囲まれた土地、といったニュアンスでしょう。
他の場所は相ノ谷だけ谷戸型、それ以外は谷地型。
ほぼすすべて元低湿地帯だったようです。
このうち下谷の二カ所はいずれも東側に高台がありました。
「高台の下」という意味での下谷のようです。
おわりに
というわけで最後の谷中を調べ終わったあたりでちょうど時間切れ。
家に直行で帰らないと用事に間に合いません。
まあだいたい全部調査したので満足いく結果ですね。
…と自宅に向けて走り出したところであることに気づきました。
谷津バラ園は……?
本末転倒極まれり、といったオチがついたところで今回はここまでとさせていただきます。
