2026年7月


2026/07/31 東京都 千代田区

谷中(谷中坂町、谷中三崎町、谷中初音町一丁目、谷中初音町三丁目、谷中初音町四丁目、谷中初音町二丁目、谷中上三崎南町、谷中上三崎北町、谷中真島町、谷中清水町、谷中茶屋町、谷中町)、入谷、下谷(下谷下車坂町、下谷茅町一丁目、下谷茅町二丁目、下谷金杉下町、下谷金杉上町、下谷御徒町一丁目、下谷御徒町三丁目、下谷御徒町二丁目、下谷公園地、下谷坂町、下谷坂本町一丁目、下谷坂本町三丁目、下谷坂本町四丁目、下谷坂本町二丁目、下谷坂本裏町、下谷三ノ輪町、下谷山伏町、下谷車坂町、下谷上車坂町、下谷新坂本町、下谷数寄屋町、下谷西町、下谷善養寺町、下谷箪笥町、下谷竹町、下谷仲御徒町一丁目、下谷仲御徒町三丁目、下谷仲御徒町四丁目、下谷仲御徒町二丁目、下谷町一丁目、下谷町二丁目、下谷長者町一丁目、下谷長者町二丁目、下谷通新町、下谷同朋町、下谷南稲荷町、下谷二長町、下谷豊住町、下谷北稲荷町、下谷万年町一丁目、下谷万年町二丁目)

今日は色々な所要をまとめて片付けつつ都内近場の谷戸を見て回る。
谷中は10年ほど前に見たが周囲に細かい開析谷が幾つもある台地の上、といった立地に見える。
大量の地名があるがこれは小字ではない。町村界…つまり町や村を表す区分である。というか江戸の中心部分にはそもそも小字が残っていないようだ。小字と言う集落や農地などを表す区分より町や村の区分が主流になって小字が忘れ去られてしまったのだろう。
だから大量にあるように見えて『谷中』としては1つだけ。
下谷も同様である。位置的には南千住あたりから秋葉原あたりの国道四号沿いがずっと町村界としては下谷の名を冠している。言われてみると確かに道路に向かって緩やかに下っている。広めの湿地帯もしくは微開析谷だろうか。傾斜だけ考えると途中で国道4号から少し外れるところもあるようだが基本的には国道沿いと考えて良さそう。
これもカウントとしては『下谷』1つ。
入谷は位置的に下谷の入り込む場所にあるのでそれが由来だろうか。
走行距離:35km

2026/07/26 神奈川県 川崎市

大作、北大作、南大作、無入

全体的にすべて宅地化。
大作は大きな開析谷の一部。支谷があるにも見えなかった。まあ開析谷が大きい場合そういうケースもあるので谷戸型でいいかもしれない。
北大作・南大作はその大きな開析谷から伸びた支谷に見えた。谷戸型。谷壁部に階段状にそびえる住宅街が壮観。
無入は南大作の奥にある。イリ地名はなにかの入口という意味だが果て無の入口とはいかに。
走行距離:40km

2026/07/25 埼玉県 滑川町

杉ノ谷(すぎのやつ)、西ノ谷(にしのやつ)、谷(やつ)、谷津、谷(やつ)

東武線で池袋から武蔵嵐山駅に向、そこから菅谷城跡でヤマユリを見学、その後武蔵丘陵森林公園に向かう道中の谷戸を幾つか見学した後森林公園でヤマユリを堪能する流れ。
杉ノ谷・西ノ谷・谷(1つ目)はすべて谷津沼。それぞれ杉ノ谷沼・西ノ谷沼・谷沼として現存している。谷津沼が谷戸の名を遺していると考えているのでその手前の棚田(棚田跡)がそれぞれ杉ノ谷・西ノ谷・谷となる理屈である。
杉ノ谷は奥まったところにある奇麗な谷戸型で農地型。谷津沼の堰はかなり大きめ。
西ノ谷は放棄型。現地に住んでる方に話を伺ったが谷津も谷津沼もまったくわかっていない模様。昔から現地在住だった方ではなく近年越して来た方のようだった。
谷はかなり大きな谷戸型で農地型。
もうひとつの谷は谷壁部の上に谷城跡があるそうなのでおそらくその場所と思われる。これも谷戸型の農地型。
谷津はこじんまりとしているがこれもしっかり谷戸型。ただそこに住んでる方に谷津についてきくと「谷津の看板はこの丘を越えた向こうの通りだなあ」のような反応。どうも谷津を看板に書かれた名所だと認識し、目の前に広がる谷津田を谷津と認識していない模様である。これも家の作りから地元に昔から住んでる方ではないようで、知識の断絶を強く感じた。
走行距離:100km

2026/07/20 東京都 西東京市

蕨久保、入道、入後、東入、坊ヶ谷戸、西入、南入、山谷、三軒家、鳥久保

清瀬ひまわりフェスティバルに行った帰りに西東京の谷戸関連地名を見て回る。
この地域はイリ地名が多く見受けられる。このあたりのイリは全般的に非開析谷かつ非谷戸が多く、微傾斜も見受けられる。特徴だけ見るとどちらかというとヤトというよりカイトの類型に見える。入後だけ明確な谷壁部が確認できるがこれは谷戸なのだろうか。イリの後ろ(北)にあると捕らえるならこの場所自体はイリでないことになるが。
三軒家は谷の同音変換ではなさそう。おそらく非谷戸。
山谷は手前に地形拘束と小川の跡らしき道があったが現地は非谷戸に見える。だが位置的には入会地というより開析谷の前方の広場のような立地。少し謎。
蕨久保は一見傾斜も何もない平坦な住宅地だがよく見ると一部家屋が半地下の倉庫やガレージを有していた。意図的にガレージを地下に作るのは土地造成的に無駄なので、おそらく元ある地形を利用したものと思われる。とすると造成前には大きな窪地があったのだろうか。
坊ヶ谷戸は宅地ながら緩やかな傾斜有、小さな谷壁部有。まあ谷戸型だろう。
鳥久保は宅地化していたがまあまあ谷戸型。
走行距離:46km

2026/07/19 千葉県 柏市

表谷、小谷津、上谷、中谷津、中谷津台、赤作

実家から帰るついでに柏あたりの谷戸地名を見て回る。
ちなみに今回確認したのは分枝こそあるがすべて一つの大きな開析谷の内側の地名である。このあたりに現存する地名に名戸ヶ谷があるが、実は小字ちには名戸ヶ谷の表記はない。一方でこの開析谷の横には『名戸ヶ谷前』という小字が残っている。つまり上記は大字としての名戸ヶ谷の内側の地名であると考えられる。
当たり前だが中谷津台以外全て谷戸型(中谷津台のみ非谷戸)。気になったのは中谷津が思ったより上流部にあったためと中谷津台との高低差が非常に小さかった事。『~台』と付いていたからもっと壁のように聳えていると思ったのだが。
あとはサク地名の赤作がこの地域では開析谷の谷戸型だったのも収穫。
しかし雨具抱えた遠征調査の翌日にやるものじゃないなこれ。
走行距離:70km

2026/07/18 栃木県下野市~茨城県筑西市

坪毛谷、大谷(おおや)、久保、谷部、谷中、西谷貝、菅谷、新谷、田谷、上星谷、下星谷、谷永嶋→谷永島、下郷谷(しもごうや)、梶谷嶋→梶谷島、上谷貝、谷部、東矢貝→東谷貝、谷津、谷中、下谷貝、西郷谷、三ツ谷

実家に寄るついでに栃木の小金井から西茨城の谷戸調査。
坪毛谷はかなり大規模な開析谷。谷戸型。
大谷(おおや)は谷地型。
久保は明確に段差があり低地だが開析谷とは言えずおそらく元窪んだ低湿地。
谷部は周囲が谷地型の水田に囲まれた集落。『部』が本体なので地名自体は非谷戸。
谷中は水田に囲まれた集落に見える。これも周囲は谷地型で地名自体は非谷戸。
西谷貝は場所自体は谷地型。しかしちょくちょく見かける『~貝』は何の意味だろうか。カイト地名とは別に『谷』の1文字で『カイ』と読ませる地名があるが、あれと同根だろうか。ただ貝地名には現地で確認する限りあまり谷間のイメージがない。
菅谷は宅地化されていたが若干の傾斜がありおそらく元低湿地。谷地型でいいだろう。
新谷も宅地化されていたがこちらはそもそもあまり低地感がない。地名からは谷地型と思われるのだが現地のイメージは非谷戸である。
田谷は段差あり、低地、非開析谷。と来れば谷地型でいいだろう。
上星谷・下星谷は同一の開析谷の場所違い。当然上星谷の方が上流部。
谷永嶋は水田に囲まれていたがが現地は水田半分宅地半分といったところ。嶋はそのまま島の意で谷地に囲まれた島のような立地と言う意味だろうか。
下郷谷は谷地型。
梶谷嶋はかなり大規模で緩やかな開析谷…なのだが地図の縮尺が大きすぎ知恵この地名が開析谷全体を指しているのか一部を指しているのか判然とせず。先程の谷永嶋と同様とするなら開析谷の一部の島地を指した地名だろうか。だとするなら地名自体は非谷戸になる。
上谷貝は見た目だけなら谷地型。
谷部は山岳に分け入る開析谷の奥の集落。手前の棚田は谷戸型だが地名自体は集落を示すものだから非谷戸だろう。
東谷貝はソーラーパネルで埋まっていたがそもそも低地でもないし元湿地帯にも見えない。わざわざこのあたりの田舎が大規模造成するとも思えない。谷地型というより非谷戸に見える。元に地名が東谷貝でなく東矢貝なのでそもそも谷戸とまったく無関係の可能性もあるわけだが。
谷津は深い斜面林に挟まれた開析谷…自体がつる草ですっかり埋まっていた。まあ谷戸型でいいだろう。
谷中は現在高台の上の小学校。周囲には元谷地型と思われる水田が広がっていた。谷中というだけあって地名自体は非谷戸。
下谷貝は高台、微傾斜、集落、非開析谷とあって谷戸地名と言うよりカイト地名にイメージが近い。谷地型かもしれないがどちらかというと非谷戸に見える。
西郷谷はなだらかで長く続く開析谷の棚田に上流部に谷戸池まであり、完璧な谷戸型。
三ツ谷は低地、非開析谷、おそらく元湿地帯の水田。谷地型。周囲に低湿地や沼沢地が三つあったのが地名の由来か。現在は一面水田なので判別がつかないが。
走行距離:107km

2026/07/12 神奈川県 川崎市

光ヶ谷、瓦谷、源左衛門谷、日吉、日吉道瀬谷、下谷(しもやと)(再訪) 

10年前訪れた王禅寺付近に未調査の小字を調査しに再訪。
光ヶ谷は半分整備型で公園、半分は宅地型で住宅街に。谷戸型。
瓦谷は谷頭部が宅地開発され、その下に宅地型の集落が広がっていた。かなりの急坂。谷戸型。
源左衛門谷は整備型。まるごと公園になっていた。これも谷戸型。
日吉は谷戸地名ではない。というか日吉谷自体はすぐ近くに別にある。が、地形自体はこちらも谷戸型。そして日吉道瀬谷はその日吉の支谷である。
下谷は途中現地で見かけてメモしておいた地名だが帰宅後確認してみたところ既に以前チェックしていた場所だった。これも宅地型の谷戸型。
走行距離:51km

2026/07/11 東京都 八王子

大谷部、下中谷(しもなかやと)、中中谷(なかなかやと) 、上中谷(かみなかやと)、石橋入、岡谷、牛谷戸、柳入、大谷戸、西谷戸

今日は八王子の小宮公園と伊藤農園さんに早咲きのヤマユリを見に行くついでに八王子近辺の谷戸を見に。
大谷部は開析谷ではなかったが低地と山裾の間の小さな高地っぽい場所で水田が残っていた。元は山からの湧水で形成された湿地帯だろうか。谷地型。
下中谷・中中谷・上中谷は構造上は一つの開析谷で谷戸型。下中谷は谷壁部まで宅地になっていたが中中谷は谷壁部の斜面林が奇麗に残っており、上中谷は農地が残っていた。現代地名は中谷戸。中谷自体が上中下に分かれた地名はちょっと珍しくて興味深い。
石橋入は整備型で公園に。奥に進むと開析谷からの畑地があった。
岡谷は主だった部分は薮の中で確認できなかったが高地の湿地帯だろう。
牛谷戸はフェンスで仕切られた内側に放棄型の谷戸型が見えた。完全に草に埋もれていたが地形は確認可能。
柳入はこんな団地の内側になにがあるのかと覗いてみると地名の在った場所だけ突然大きな段差で谷状になっていた。道路向こうの宅地型集落と合わせて谷戸型。このあたりのイリ地名はヤトと同義と考えていいだろう。
大谷戸・西谷戸はともに急斜面の地名。おそらく相当な急流と思われるが、かなり大きな小字だったので下流域は棚田になっていたものと思われる。
走行距離:81km

2026/07/05 埼玉県 川口市

谷中、谷中、東谷
谷中2つ、東谷ともにほぼ地形特性なし。地名からしておそらく谷中はどちらも谷地に囲まれた非谷戸、東谷が谷地型と思われるが完全に舗装されているため確認手段なし。
なおこのあたりは谷中地名がやたらと多い谷中密集地帯だが時間切れのため調査しきれず。いずれリベンジしたい。
走行距離:43km

2026/07/04 東京都 東大和市~武蔵村山市

谷ツ入、廻田谷ツ、久保、八幡谷戸、鍛冶ヶ谷戸、東谷ツ、中谷ツ、西谷ツ、鍛冶ヶ谷戸、谷ツ→谷津、入リ、久保、神明ヶ谷戸、東久保、中久保、上久保、小ヶ谷戸、油ヶ谷戸、エケ入(再訪)、矢ノ海道、後ヶ谷戸(再訪)、細田谷戸(再訪)、赤坂谷(再訪)、三本入(再訪)、殿入(再訪)、、稲荷窪、西谷戸、宮野入(再訪)、神明入(再訪)、殿ヶ谷、殿ヶ谷前、飛ノ入、丸ヶ谷戸、坊ヶ谷戸、狭山谷、浅間谷

二週連続雨で流れたのでリベンジのリベンジの狭山丘陵再訪。この前狭山丘陵の記事を上げたので再確認の意味もあり再訪を多めに。
谷ツ入は以前のイリ地名の記事で書いた谷ヶ入と同系だろう。イリ地名で宅地型の谷戸型。
廻田谷ツは谷ツ入の谷戸根を越えた隣の谷戸。これも宅地型で谷戸型。
久保はどちらも小川沿いの小さな微開析谷。
八幡谷戸はその名の通り八幡神社の横にある長めの谷戸。これも宅地型の谷戸型。
鍛冶ヶ谷戸は湖の底。当然本体部分は立入禁止で谷頭部の窪みだけ確認できた。地勢的に谷戸型でいいだろう。
東谷ツ・中谷ツ・西谷ツはいずれも宅地型の谷戸型。この地域は谷津を『谷ツ』と表記する事が多い地域のようだ。また谷戸地名で東と西に挟まれての『中』が付くケースは珍しい気がする。
次の鍛冶ヶ谷戸は当然先程とは別のもの。すっかり宅地化していたが谷壁部は奇麗に残っており茶畑となっていた。狭山茶だろうか。
谷津は元は谷ツ表記。ほぼ宅地化の谷戸型だが谷頭部だけは畑地と山林が残っていた。
入りはそのまんまイリ地名。開析谷で谷戸型で宅地型。
神明ヶ谷戸は傾斜はすぐに確認できたが谷戸の構造把握に大苦戦。最終的に谷戸と同名の神社と排水溝を流れる湧水量の多さで谷頭部を確認。小字の端だった。
東久保はしっかりした開析谷だった一方中久保は傾斜が僅か、上久保に至っては畑地はあっても傾斜らしき傾斜を確認できず。地域的に大規模造成されたとも見えないし、どこか確認できなかったところに窪地があったのだろうか。
小ヶ谷戸・油ヶ谷戸は谷戸の中央線である谷戸用水はすぐ確認できたが驚くほど傾斜が小さい。微傾斜からおそらく谷戸型なのだが谷地型と言われても信じてしまいそう。
エヶ入は再訪。半宅地半整備型といったところか。しっかり谷戸型。
矢ノ海道はカイト地名。小川沿い、微傾斜。谷戸型…だろうか。ちょっと自信なし。
後ヶ谷戸は再訪。以前は意識していなかったが谷壁部を越えた峠向こうに神社があり、その北かつ峠の向こうで『後ろ』なのだろう。
細田谷戸・赤坂谷・三本入・殿入はいずれも近場から派生している谷戸で、どれも10年ぶりの再訪。細田谷戸は放棄型。小字上は『細田』だがしっかり谷戸型だったので細田谷戸→細田と谷戸地名消滅プロセスを経た可能性がある。くわしくはこちら。↓

谷戸地名消滅プロセス|Myah Nyah

赤坂谷は整備型で草原となっていた。看板では赤坂谷戸だったが小字上は赤坂谷。これも谷戸→谷(ヤト)の表記ゆれは珍しくないので問題なし。三本入は立入禁止だが放棄型に見えた。現地看板では三本入谷戸。ない。三本入が正しいと思われる。殿入は宅地型の谷戸型。いずれも谷戸型地形でありながら現状が大きく異なっているのが面白い。
稲荷窪はどう見ても谷戸型には見えないが少し道路から下っていたのでこのあたりに大きな窪地があったと思われる。
西谷戸は谷戸型。神明入・宮野入はともに再訪で神明入は駐車場、宮野入は棚田となっている。現地看板では神明入谷戸・宮野入谷戸となっていたが、ない

上記別項でも述べたが『~谷戸』部分は余計である。地元の方にも再確認したが全員『宮野入』『神明入』と呼んでいた。『谷戸』部分は地名ではなく地形の認識だそうな。元ゴミ捨て場だったものが東京都が予算を出して保全した結果ここまで奇麗に整備されたので文句も言えないとか。世知辛い。
殿ヶ谷は谷地型だろう。というか現代地名にも残っているのに小字に殿ヶ谷の表記はない。『殿ヶ谷前』ならあるのに。解せぬ。その殿ヶ谷前は当然『~前』なので非谷戸だった。
飛ノ入は微傾斜ながら一応開析谷。地元の方も「イリってヤトの意味だしねえ」と仰っていてたのでこの地域のイリはやはり谷戸と同義と考えて良さそうだ。
丸ヶ谷戸・坊ヶ谷戸は峠を挟んで隣り合った宅地型の谷戸型。地名の近くに来ると突然起伏が発生するのが谷戸地名らしくて面白い。
狭山谷・浅間谷も同様の峠で挟まれた宅地型の谷戸型。狭山谷は名前から狭山丘陵の名前の元になったものだろうか。
走行距離:91km


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