2026年8月
2026/08/16 東京都北区~埼玉県蕨市
作田、作田、穂保作、鍛冶作
福島遠征で大量のサク地名を見てきたので近在のサクを少し見て回る。
いずれも用水路または用水路跡が確認でき、地形特性はなし。つまり耕作地としての近世のサクで間違いないだろう。
耕地として残るサクは畑地が多い印象だが、作田はそれが水田だったパターンか。
走行距離:51km
2026/08/15 東京都 八王子
池谷(イケガイト)→池谷戸→池ヶ谷戸、宮獄谷戸、殿谷戸、南ヶ谷戸、隣谷戸、清水入谷戸、九段甫谷戸、だいり谷戸(再訪)、津島谷戸、大田切東谷戸、大田切西谷戸、東谷、伊丹木谷戸、細谷→細谷戸、中谷
今日は東京の八王子、普段行かないあたりを散歩がてら。
このあたりの小字は「九号」とか「十六号」のような番号制で関東小字地図からでは谷戸地名がまったくわからないため古地図および現地の看板や公園、交差点、バス停などから推定するしかない。
池谷(イケガイト)は年代ごとに文字がころころ変わるが最終的には消失し上程久保に。半宅地半放棄だが棚田跡が確認できた。気になるのは変質後の池ヶ谷戸。~谷戸で~カイト読みのヤトカイト地名はちょくちょく見かけるが池ヶ谷戸と書いてイケガイトと読ませたのだろうか。あまり見ない読み方である。もしイケガイト→イケガヤトに読みが変質していたならそれはそれで興味深い。
宮獄谷戸は農地型としてとても奇麗に残存。谷戸型。水田部分も美しいが急斜面のため段々畑の段々の高度差が大きい。一段ごとに生垣があるのが新鮮
殿谷戸は手前に用水路、奥に奥行きのない開析谷があり、その壁面一面に宅地がずらりと並ぶ宅地型。当然谷戸型。見た目壮観。
南ヶ谷戸、隣谷戸はいずれもほぼ太めの道路となっていた。これも構造上は谷戸型だろう。
清水入谷戸は以前言っていた「入+谷戸」地名かつ冠詞付きと言う非常に珍しいタイプ。清水入公園にその名を遺しているが本体は隣の車道の方。これも谷戸型。
九段甫谷戸も車道化。現在九反甫公園にその名を遺している。「タン」の文字が変わっているが由来を確認するとこのあたりには「みの田」という小さな田んぼが幾つも連なっており、それが九反分あるから九反甫と呼ばれた、とある。古地図の方は九段甫なので、もしかしたらそのみの田が九段連なっているからの命名の可能性もあるのやも。
だいり谷戸は再訪。近在の地名から文字を当てるなら内裏谷戸であろう。これも車道化。
津島谷戸は小山内裏公園内。草が生い茂っているが手入れ自体はされており、整備型の谷戸型。
大田切東谷戸、大田切西谷戸は本来東谷戸、西谷戸と呼ばれていたのだろう。意味を後付けするため長い冠詞が付く事はよくある。大田切の由来はここが太田川の水源であり、太田川の途切れる地、という意味合いのようだ。
東谷、細谷、中谷は小字地図より。このあたりになると再びちゃんとした小字が現れる。東谷、細谷は車道になっており谷戸型。中谷は大学構内になっており、造成され過ぎて元地形がわからず。谷地型か保留。伊丹木谷戸は小字になっていない谷戸であり、丘の上にあった。谷戸型。
走行距離:87km
2026/08/13 福島県 いわき市
小谷作(大字)、杉内作、愛谷(大字)、高谷地、大久保、諏訪作、猿ケ作、カラス作、神谷分、山田作、矢田ノ目、三谷渡神社、才子作、堂ノ作、作田、沼ノ作、北作、磐井作、作、作ノ内、不動作、南作、庄司作、恩作、諏訪作、絹谷、扇作、御代作、北野作、南作、沼久保、吉野作、仲ノ作、前ノ作、袖作、女房作、神谷(大字)
福島浜通り調査旅行3日目。いずれ別項で書く予定。
走行距離:79km
2026/08/12 福島県 いわき市
宮ノ作、小部屋作、永井作、大小作、梅ノ木作、宮ノ作、安部作、小物作、稲葉作、牛作、東作、永田作、柳作、寺作入、居作、作、八ツ替(やつがえ)、泉谷(大字)、寺作、寺作、入ノ作、大久保、山王作、越田作、湯長谷(大字)、仮又作、矢津、屋津、厚木作、水野谷(大字)、傾城作、杭出作、柿作、殿作、滝作、柳作、寺作、勝負作、蓬作、宮ノ作、細作、後作、鍋作、戸ノ作、滝ノ作、中後ノ作、平八作、磐ノ作、草ケ谷、道上作、太良作、荒神作、寺ノ作、堂ノ作、上ノ作、西作、吉野谷、磐ノ作、藁谷(わらがい)、穂町作、訳作、宮ノ作、林作、吉野作、砂屋戸、堂ノ入、西作、根木作、平谷川瀬(大字)、滝ノ作、金谷、筬ケ作(おさがさく)、槐作、沢小谷
福島浜通り調査旅行2日目。いずれ別項で書く予定。
走行距離:106km
2026/08/11 福島県 いわき市
荒谷、谷地、後谷、北作、四沢谷地、天ケ作、根小屋、作田、石井作、住生作、後谷、酒井作、北作、大久保、湯ノ作、根小屋、成作、田ノ作、大谷、新谷、東作、細谷、川窪、根小屋、堂ノ作、細谷、柳作、金谷、兼谷沢、堰作、大平作、二ノ作、宮ノ作、西ノ作、東ノ作、小野作、西細野地(にしほそやじ)、東細野地(ひがしほそやじ)、中野地(なかやじ)、長鹿作、寺ノ入、榎作、深ノ入、宮ノ作、程ノ作、仏ノ作、西ノ作、田ノ作、下田ノ作
福島浜通り調査旅行1日目。いずれ別項で書く予定。
走行距離:122km
2026/08/09 埼玉県 川口市
鼠海道、谷中、谷中
本日はゲーム会に出る前に以前見て回れなかった川崎の谷戸地名を見物。
鼠海道は地形特性なし。ただの街道の異字だろうか。非谷戸。
谷中もいずれも地形特性なし。湿地帯に囲まれた非谷戸と言ったところか。走行距離:50km
2026/08/08 東京都 練馬区
水入久保、水入久保上、西小作、小作、久保ノ台、水久保、野水窪
今日は仕事が遅番で朝8時に帰宅したため念のため近所の調査で済ませる。
水入久保は明確に他より低地の窪地。ただ開析谷ではない。クボではあるが非谷戸、もしくは谷地型か。
水入久保上は『上』なので当然非谷戸。ただ高低差はかなり小さい。
西小作は高台の上で谷筋もなし。畑地としてのサクだろう。
わからないのは小作。傾斜地で谷筋っぽいのだが妙にも谷戸感がない。水源のイメージがないのと下谷戸部分が崖のようになっていてそこに家が建っているのが違和感。これは棚田ではなかったのでは…?との疑念が消えない。どちらかというと傾斜地にある耕地と言う意味でカイトに近い印象がある。おそらく非谷戸。
久保ノ台と水久保は隣接したクボ地名で南北に長い。ただ見たところ高低差らしき高低差は確認できず。『台』なのに隣のクボ地名と同じ高さなのは何事か。造成されたのだろうか…?谷地型にも見えず、窪地があっても非谷戸だろうか。
野水窪は現地こそ確認できなかったが衛星写真で大きな窪地を確認。それ以外は畑地。これもクボなだけで非谷戸だろうか。
走行距離:50km
2026/08/02 神奈川県 川崎市
下谷耕地、久保南、久保、山谷、久保東、宮内山谷
下谷耕地は多摩川の脇。位置的にどう考えても谷地型。低湿地帯を開拓したものだろうか。
久保南・久保・久保東は位置的にすべて同根の場所を示す地名だろう。いずれも若干の地形拘束はあるものの高低差は一切なくクボ地は確認できなかった。単純い考えると造成された結果地形が失われたのだろう。
山谷・宮内山谷はいずれもサンヤ地名…なのだが、多摩川沿いにあり見た感じ低湿地帯に見えなくもない。谷地型か非谷戸かは保留。
走行距離:45km
2026/08/01 埼玉県 所沢市
谷戸、谷戸崎、清水久保、下ヶ谷戸、屼西久保(はけにしくぼ) 、長者久保、清水窪、宮ヶ谷戸、中大谷、北大谷、南大谷、東向大谷、上大谷、西向大谷、大谷、鍛冶谷、下大谷、光蔵寺谷、南谷ツ→南谷(再訪)、六ツ家、西ヶ谷、神明ヶ谷戸、岱谷(再訪) 、浅間久保、池ノ久保、西谷ツ、寺ヶ谷戸、貉入
今日は狭山丘陵の手前の東端の谷戸地名をぐるっと見て回る。
谷戸は宅地型の谷戸型。谷底部が道になっており左右の壁が宅地になっている形。
谷戸崎は谷戸の支谷に見える。構造上は開析谷のようだが崎とは一体。このあたりに海か湖水の岬があったのだろうか。谷戸根がそれっぽくはあるが…
清水久保は高台にある窪地から低地に水が流れ込むような構造…が宅地化している。住宅街の真ん中が凹んで崖先まで続いているさまは少し面白い。
下ヶ谷戸は谷戸型…なのは間違いないのだが、丸ごと貯水池になっていた。谷戸そのものは貯水池として消失し、その周囲を宅地化したようだ。末路にもほどがある。
屼西久保は現代からすると少し読みにくい地名だろうか。「はけにしくぼ」だろう。『はけ』は当然ハケのこと。現地の東側に崖のような段差があり、そこが元はハケだったのだろう。その西側にある窪地だからはけにしくぼ、ということになる。なおクボ自体は現在は小学校になっていた。
長者久保は高台の上に一部周囲から見て窪んだ地勢があり、おそらくそこ。元は窪地で湧水源だったのだろうから、そのような場所に水源があればそれは長者にもなろう珍重ぶりだろう。
清水窪は先程と字が異なり、場所も異なるので別の場所。街中にぽっかり空いた傾斜地に茶畑が広がっていたが、その畑の上にあるマンションの土台が妙に沈み込んでいた。あそこが本来の窪地だろうか。
宮ヶ谷戸は高い崖に突き込むように元開析谷と思われる街並みが入り込んでいた。崖上の駐車場から見下ろす景色は奇麗だったが地名の元となった神社は時間不足で確認できず。
ここから先は大谷地名だらけ。
中大谷は左右に伸びる大きな開析谷。ここの大谷は「大きい」の大谷で問題なさげ。
北大谷は中大谷から生えた支谷のよう。
南大谷は北大谷と逆側に生えた支谷に見える。
東向大谷・西向大谷は一つの谷戸の呼び分けか。中大谷の峠を越えた先にある谷戸で半分以上西武園に入り込んでしまっている。
上大谷、下大谷も地名上はセットだがこちらは峠越しの別々の谷戸のようだ。
大谷は西武園の入口になっていた。入口部分が上谷戸で園内に入り込む下り坂がそのまま開析谷である。
鍛冶谷は公園の一部になっていた。開析谷は確認できたが放置型で草と樹林に覆われていた。
光蔵寺谷は同名の寺が現存しておりその横を降る開析谷。谷底部はほぼほぼ道路になっている。
南谷は再訪だが10年前同定した場所は間違いだった模様。光蔵寺谷と連続した開析谷の呼び分けかとも思ったがどうやら合流地点が同じだけで開析谷自体は別。
六ツ家は気になった地名。通常『~家』型の地名は『三軒家』や『八軒家』のように『軒』と数えるのが基本で『ツ』と数えることはない。こちらの数え方は『三ツ谷』『四ツ谷』と同系統である。仮に『家』が『谷』の同音異字なら四ツ谷より多い六ツ谷ということになりかなりの発見…なのだが、現地に赴いて確認しても分枝があるようには見えない。谷地型で湿地帯が六つあったという可能性もあるがその割には周囲の起伏が激しく構造上は開析谷である。とりあえず見た限りは宅地型の谷戸型。三ツ谷・四ツ谷と同系なのかは保留、といったところ。
西ヶ谷はなだらかな開析谷で半宅地半放置といった感じの谷戸。
神明ヶ谷戸は完全に宅地型の谷戸型。
岱谷は再訪。急坂の宅地型で谷戸型。
浅間久保と池ノ久保は半分ゴルフ場と全部ゴルフ場に取り込まれている。窪地なのは間違いないが開析谷かどうかは確認しきれてない。
西谷ツは谷底部が放置型の半湿原の草原に、そして谷壁部に宅地が立ち並ぶ構造。谷戸を宅地化した際にちょくちょく見かける造り。これも谷戸型。
寺ヶ谷戸は茶畑に。さっきも見たが狭山丘陵だけあって狭山茶を作っているのだろう。とはいっても宅地の真ん中にぽっと生えた茶畑だがなかなか広い。これも谷戸型。
貉入は明確に開析谷を指しており谷戸型。狭山丘陵近くだけあってこの地域のイリは谷戸とほぼ同義と考えて良さそうだ。
走行距離:80km
