谷戸関連地名その①~イリ~


入地名とは

入地名とは「~入」とつく地名を指します。
読みは「イリ」。
基本的には「~の入口」的な場所に付く事の多い地名です。

埼玉県 堂ノ入
画像上にある不動院が「堂」だろうか

こちらは「お堂への入口」という意味で使われているようです。
何に対する入口なのかは地名によって異なります。
「宮入」であれば「神社への入口」と言う意味でしょうし、「畑入」であれば「畑への入口」ということになります。
『祖父入』のようにたまに字面だけでは何の入口だかよくわからない地名もあります。

群馬県 祖父入(じいがいり)
難読地名
何の入口…?

「入口」という意味を持つため目的地へ向かう通り道的な場所に付けられることが多いです。

ヤト≒イリとなる地域、あきる野

さてこのイリ地名ですが、一部地域ではヤト地名として使用されています。
東京のあきるの市周辺です。
とくに有名なのが横沢入ですね。

東京都 横沢入(よこざわいり)
見事な谷戸型

こちらは現在も水田が維持がされており、自然景観として優れているだけでなく野生の鳥や獣やホタルなどもいて生物多様性も保持されている里山保全区域です。
横沢入以外にも幾つものヤトがこの保全区域内にあり、散歩によし自然観察によしバードウォッチングによしとなかなかによい場所なのですが、この保全区域内の谷戸の多くが「~谷戸」ではなく「~入」という地名なのです。

東京都 草堂ノ入
横沢入同様保全区域に存在
東京都 富田ノ入
こちらも同様のイリ地名

とはいってもあきる野市すべての谷戸地名が入地名に置き換わっているわけではありません。
普通に『谷戸』が地名として用いられており、入地名もまた谷戸地名と同様の役割を有している…といった感じです。

関東小字地図より
上記のイリ地名のすぐ隣にもヤト地名がある

これらの特徴から「イリ地名にはヤト地名の特性があるのでは…」と各地を散策するたびイリ地名に出向いて見て回っていたのですが、結果から言うとあまり芳しくありませんでした。
大概の場所では『入』は単に「何か(どこか)の入口」程度のニュアンスしか持っていなかったのです。

福島のイリ地名

少し話は変わりますが2025年のGWに福島に旅行に行ってきました。
毎年恒例の谷戸地名の調査旅行です。
学者でもなんでもないただの一般人なので毎回自費ですが。
この旅行で私はヤト地名と一緒に福島各地のイリ地名を見て回りました。
理由はいくつかあるのですが、要は以前に話した関東と東北の谷戸地名の変遷に関する調査の一環です。
関東の『谷戸』は主に開析谷を指す地名とされています。
一方で東北の『谷地』は同じ谷戸地名なのに低湿地帯を指す地名として使われていると言われています。
こうした違いは以前から知られていますが、その変遷がどの地域からどの程度行われているのか、というのは深く研究されていません。
それらを調べるのが調査の目的だったのですが、実はもう一つ目的がありました。
「谷戸地名が消えたことによるスキマ地名の調査」です。
関東から東北にかけて谷戸地名が指す地形が開析谷→低湿地帯に変化したとして、では東北地方に開析谷地形が消滅したのかと言うとそんなことはないはずです。
では谷戸地名で呼ばれていない東北地方の開析谷とそこの棚田はどんな地名で呼ばれているのか…それを調べるのが隠れた目的でした。
要は「あきるの市のイリ地名のように、東北でもイリがヤト地名の代替をしているのでは?」という仮説を立てていたわけですね。
だったのですが…

福島県 田土ヶ入
ただの平地。非谷戸
字面から何の入口かはわかりやすい
福島県 池ノ入
ぱっと見それっぽいが谷頭部がなく非開析谷
地名の通り池の入口
福島県 作田入
そもそも高台の上の非湿地帯で谷地型ですらない

結果としてはそんなことはありませんでした。
イリ地名のほとんどは他地方同様あくまで「~の入口」程度のニュアンスでしかなく、特に谷戸地名とは関係なかったのです、

東北地方の『谷ヶ入』

一方で収穫もありました。
福島のイリ地名自体が、と言うわけではありませんでいたが明確にヤト地名と思えるイリ地名も確認できたからです。
それが「谷ヶ入」です。

福島県 堂谷ヶ入
奇麗な谷戸型
福島県 銅屋ヶ入
福島では「谷」を「屋」と書くケースが各地で見受けられる

画像の通り見事な棚田で谷戸型(開析谷)の谷戸が確認できますね。
「谷」とついているからそもそも谷戸地名では?

という指摘もあるかと思います。実際その通りです。
銅屋ヶ入の「屋(ヤ)」は「谷(ヤ)」の転化でしょう。東北ではどう見ても谷戸型(開析谷)の谷戸がある場所で「谷(ヤ)」のかわりに「屋(ヤ)」の文字が地名に用いられるケースが散見されており、これもその一つだと思われます。
ただ地名に複数の要素が含まれている場合、その最後の単語が意味の主体になることを以前に述べました。↓

合成地名についてその①~どっちの地名が強い?~|Myah Nyah

要は谷ヶ入は合成地名の一種です。
「谷+入」の組み合わせで谷ヶ入になっているわけですね。
『入』が意味の主体であるなら「谷戸の入口」的なニュアンスになるはずなのですが、確認する限りどうも「谷ヶ入」で谷戸そのものを示す地名になっている模様。
実は関東地方にも類似した地名があります。
「谷ノ入」という地名がそれです。

千葉県 谷ノ入
放棄されているが立派な開析谷。右に見える傾斜は堰谷

「谷ノ入」「谷野入」のような地名が各地に散見され、谷ヶ入同様「谷戸の入口」ではなく谷戸型の谷戸そのものを指している事が多いです。
「ヶ」は古語における「~の」という助詞扱いなので両者の意味もほぼ同じと考えて良さそうですが、両者が混在した地域は見かけません。
関東で「谷ヶ入」、福島で「谷ノ入」という地名を見かけることがまずないからです。

入口であると同時に谷戸である

なぜ谷ヶ入は「谷戸の入口」という地名通りのニュアンスでなく谷戸型(開析谷)の谷戸そのものを指しているのでしょう。
私はこれにはイリ地名の特色が関与しているからだと考えています。
例えば平野部から丘陵地帯、台地部と山岳地帯のように大きく地勢が異なる場所に於いて他方からもう一方へと踏み込む場所に「~入」地名がつくことがよくあります。
典型的なのが「山入」という地名ですね。
そして別の地形へと分け入る関係で、それらの地域のイリ地名はタニ状、或いは開析谷のような地勢となることが多いのです。

東京都 山入
山へ分け入る谷間が道筋となり「入」の地名を指している

この「山入」は山への入口であり、目的地は山入の先にあります。

山入の概念図
目的地の山は地名としての山入の先にある

一方で谷ヶ入はどうでしょう。
合成地名なのだから谷ヶ入の「谷(ヤ)」は従属的な地形であり、沼地や湿地帯を指していると考えられます。
入(イリ)地名はそこへと向かう道筋で、山入同様谷状の地形だとすると…図にするとこんな感じになりますよね。

谷ヶ入の概念図
地名としての谷ヶ入の中に目的地としての「谷」がある

開析谷が湧水による開析作用で生み出される以上、内部に沼地や湿地帯があるのはなんらおかしくありません。
つまり谷ヶ入が谷(ヤ)への入口である谷状構造であるとしたら、その目的地である谷(ヤ)はそもそもイリの内側にある、ということになります。
これは谷戸型の谷戸の構造そのものです。
結果として谷ヶ入は「谷(ヤ)の入口」というニュアンスでありながら、構造として谷戸そのものを指している地名になったのではないでしょうか。

まとめ

1.イリ地名は「~の入口」というニュアンスを持つ地名である。
2.東京都あきる野市あたりではイリ地名がヤト地名の代替として用いられている。
3.東北地方では谷ヶ入という地名がヤト地名の代替として用いられている。

もっとも谷ヶ入の数自体はさほど多くなく、あきる野市ほどに密集してその特徴を出しているわけではありません。
とはいえこのような「目的地が地名自体の内側にある」というイリ地名がヤト地名の代替を果たしているということは、あきる野市などのイリ地名の由来を考察する上で何かの一助になるかもしれませんね。


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