展示は語る:船の持つ意味合いの二面性
ガイドではギャラリーAとBで交易について解説します。その説明ぶりは、クダやマラッカに世界中の商人、文化が集まってくるというイメージになっていると思いますが、ではマレーシアの人々は海外へ出かけていかなかったのか?港で待っているのが役目だったとの理解でよいのかという疑問がわいてきませんか?今回は、マレーシアの人々と船のかかわりを追っていきたいと思います。
船についてはギャラリーAからD、そして屋外展示にまでかなり頻繁に出てきます。まずはどんな展示があるのかおさえてみましょう。
最初に海上移動の話が登場するのは、ボルネオ島ニア洞窟で4万年前のホモサピエンスの頭蓋骨が見つかった話のところです。ここから氷期最盛期でもつながらずあらゆる陸上動物は越えられなかったウォーレスラインをホモサピエンスは乗り越えてオーストラリアやポリネシア・メラネシアに拡散していくのですよね(オーストラリアではマレーシアと同様に2万から6万年前のホモサピエンスの人骨が発見され、またさらに古いがどんな人類が残したのかはわからない旧石器時代の跡が残っているそうです。なお、当博物館におけるペラマンに関する説明ではオーストラロメラネソイドの拡散とひとくくりにした古い人類学に基づく説明がなされていることをご紹介しました(展示は語る:オーストラロメラネソイド)が、今日の研究ではオーストラリア方面への拡散が先に起こり、次いでポリネシア・メラネシア方面へ古い人類学でいえばモンゴロイドにあたる台湾系アウストロネシア人が3000年ほど前に拡散していったとの2層構造が指摘されています)。
旧石器時代に人類がオーストラリアへ渡っていった手段は展示にはありません(この地域では旧石器時代の船の痕跡の発見・発掘もないそうです)が、狩猟生活の様子の展示には貝殻もあり、海とのつながりは否定できないでしょう。新石器時代へ進むと、ギャラリーAのペラマンの背後のジオラマで洞窟壁画に描かれた船が出てきます。これは葬送儀礼に関わる舟の絵と推測されていますが、船が移動用に使われていなかったはずはありません。展示ではさらに丸太舟葬、丸木舟葬がでてきて、船が神聖なものとして扱われると同時に、生活と密接にかかわっていたであろうことが読み取れます。


ギャラリーBにでてくる交易船については先にご紹介させていただきました(展示は語る:船の技術)。ほかにもギャラリーBに入ってすぐの王家のレジャーボートの船首の飾りや、各地に広がるマラッカ王国の文化の展示には王家のボートの背もたれがありました。
もちろん船は、中世から近代(現代でも)にかけて交易や戦闘にも使われますが、面白いのはさらに時代が下ったところの展示で、ギャラリーCパンコール協約の締結が船で行われていたり、ギャラリーDにはマラヤ連邦独立を目指す交渉団がロンドンへ向かうのに船を使っていたりします(帰りは飛行機でした)。マレーシアの人々は船に対し何か特別な意識を持っていたように思えるのです。


さらに屋外にセコチボートとプタラボートが並んで展示されていることも興味深い。セコチボートは漁船ですし、プタラボートは王家のレジャーボートで、神像で飾られています。船は生活の道具であり、同時に神聖な存在そのものあるいは神聖な存在へつなぐ特別な存在である、こうした二面性が展示にも現れています。

◆展示が語るもの
船の持つ意味合いの二面性を整理しておきましょう。
船は「境界を越えて結ぶもの」──交易や移動を通じて、社会を広げる媒介となる。
船は「境界を作り特別な場になるもの」──葬送儀礼や重要事項検討などのため、限られた者のための場を形づくる。
境界をつなぐと同時に境界を作るという相反する役割を持つ船は、ただの道具ではないのでしょう。程度の差はあるかもしれませんが全世界共通する認識かもしれません。しかし、少なくともマレーシアの地では船の持つ意味合いの2面をともに意識されていただろうと思います。
マレーシアの人々が古代から海外を訪れていたこと自体は展示に明示されてこそいませんが、彼らが船を活用していた状況から考えればおそらく確実です。展示に関連する案件で言えば、マラッカ王国は明に朝貢を行っていますし、ハントゥアは琉球を訪問したとの説もあります。また、パンコール協約後に反抗し処罰されたラジャアブドゥラはセーシェルに島流しされ、今日の国家ネガラクのメロディにつながるエピソードが生まれますが、島流しというのは生き延びることのできる場所への放逐ですので、マレーシアとセーシェルに何かつながりがあったはずと思います。こうしたことを意識するとマレーシアの人々が実際に海外へ乗り出していたことは確実と言えるのではないかと思えるのです。
冒頭の疑問への回答ですが、はい、マレーシアの人々は海洋民族でもありました。少なくとも、単に港で待っているだけの人々ではなかったと考えられます。交易の中継港というこの地の役割を理解する際にはこうした視点も見落とさずにとらえたいものです。
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