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♯014【将来の夢は何ですか?】夢は時間の流れとともに変化していくかも?

 「将来の夢は何ですか?」
 「夢を見ましたか?」

 今日の若い人たちとの会話テーマは夢。問いかけられ、口ごもる自分がいる。先週の春の大型連休中のことだった。

 「将来の夢は何ですか?」

 自分は一旦パスして、別の若い人が会話しているうちに「将来の夢は何ですか?」と改めて自分に問いかける。中年期を過ぎ、いまさら「宇宙飛行士」なんて言えない。たぶん20年後には、映画スター・ウォーズ・マンダロリアンに登場したバトルドロイドの改良版が宇宙開拓する時代に突入しているだろう。生身の人間は五感知覚スーツとARゴーグルを活用してアバター制御する時代になっているはずだから、「生身の宇宙飛行士」は時代遅れだ。さらに直近のニュースで中国のマラソンロボットがバッテリ交換しながらゴールしたシーンも見た。まぁ、メカドロイドのバックキャストは合っているだろう。日々、情報アップデートをしないと変化しない人間だと思われてしまう。

 「夢は何ですか?」ではなく「夢は何でしたか?」であれば、答えられる。中学生までは「医師か弁護士」を卒業寄せ書きに書いたのは覚えている。高校生までは、毎日早朝に両隣の家の前に黒塗り自動車2台が停まり、両隣のオチャラケオジさんたちが、それぞれ黒塗り自動車に鼻歌交じりに乗り込むのを見て「売上の右肩上がり会社のサラリーマン役員は楽そうだな、サラリーマンどんと節だわ」と勝手に思い込んだ末の夢は「会社役員」だった。

 そして、高校卒業後は遊び惚けるためだけのバイト生活はマズいと気づき、たった2ヶ月間の受験勉強のあとにFランク大学に滑り込んで最下層の立ち位置から世の中を見ながら生きて、Windows2000と常時ネット接続が普及したころには「地味に無理せず稼ぐ会社員」という小さな夢に変わっていた。

 そういえば新社会人になって語る夢は、毎週金曜に始まる薄給をドブに棄てるような宴会があった。それが始まる前に、先輩社員から教えられ必ず言わされた問答寸劇があった。
 
 「君の夢は何だ」
 「取締役事業部長のような優れた事業部長になることです」
 「そうか~、ワッハッハ(大笑)」
 (宴会出席者 全員 大笑 拍手喝采)

 今おもうと、当時の事業部長を崇拝する夢コントか。今どきは、こんな夢コントを実演させていたら音声録音か隠し動画を撮られ、労働基準監督署に告発状が届く時代、どこかの会社でこんな夢コントをさせていないか気になるところだ。昭和Ⅹ時代に求められた夢は正解らしい、かつ、リッチな生活が長持ちする正解ロールモデルがあって、そのロールモデルの「何かに成り上がること」だったようにおもう。当時は「医師か弁護士か取締役」となれば、御殿が建つみたいな感じだったか。時は変わり、難関の国家資格をクリアしても稼ぎはピンキリで、計算上55歳を過ぎても奨学金を返還し切れない輩もいると聞く。

 そういう思い出した夢話を若い人たちの会話の空きに突っ込む。恥ずかしい話でスべるかも、と不安だったが切り出してみた。自分の小さな夢「地味に無理せず稼ぐ会社員」は、今どきウケは良いらしい。悪く言えば、薄給ビジネスパーソンの皮をかぶった個人投資家があるべき姿なのか。いや、細く長く地味にビジネスパーソンを40年間続けてNISAと年金を手厚く受給することなのかもしれない。こんど何かの会話の間に正解ロールモデルなのか聞いてみようと思う。

 当時の失われたデフレ経済不況の中、自分が選んだ小さな夢は、夢というより生きるために行ってきたことだ。夢が無い奴、自主性が無い奴、組織を任せられない奴・・・と、さんざん言われながらも、長い長いトンネルに入り、ガラケやスマホという小窓で外界の動きを探りつつ、インディ・ジョーンズ張りに見つけた小さな宝をガラケやスマホの中に貯え隠しながらトンネルを抜けて外界に出ると時は変わって評価されるような雰囲気になった。気持ちは嬉しいけれども、歳を取った。最近は、両足のひざ関節が痛いときがあるし、身体はあまり嬉しくない。

 長い長いトンネルを抜けて歩くルートを少し変え、接する世代グループを大きく変えれば評価される。へんな感じもするがそんなものか。ありがたく感謝する。ただ、散々のけものにしておいた挙句、何かを嗅ぎつけ近づいて来ようとする人たちを感じるときがある。突然に「評価します」って言われたって、いったい、どんな顔をして喜べというのか。さらに仲間に入るのは危険だ、というモヤモヤ感は残る。若い人たちが自分の恥ずかしい「夢コント」ネタで盛り上がっているのをよそに、自分の中でそんな思いや思考が反芻する。

 突然「夢を見ましたか?」と問いかけられ、続けざまに「またまた、ボケッ~と口が少し開いていましたよ。また、何か宝の山の作戦ですか?宝の山の話は後で教えてくださいね。でぇ、夢を見ましたか?」と聞かれる。「いけない、バレている」と恥ずかしくなる。牛の反芻ように色々な記憶の引き出しをあちこち開いて、思い出しては消して、消しては取り出して組み立てたりして小さな宝を集めることを考えているとき、自分は口を少し開けて「ボケッ~」とするから、わかりやすいらしい。♯012【春の大型連休が始まる】に書いた京都の女の子には「ボケッ~としている、あ・ん・たは、嫌や」と言われた時からトラウマになっている。トラウマになっていたが、いまの若い人たちはポジティブに個性だと受け入れてもらっている。時は変わり接する世代グループが変われば、トラウマがポジティブになる。これまた感謝だ。

 「夢を見ましたか?」
 こんどは何無く答えられる。昨日見たからだ。「文鳥とインコを助ける夢」である。大爆笑だった。ありがちな「宝くじが当たる夢」とか言うと思っていたらしい。夢の話にグイグイ近寄ってくる。

 見た夢の内容は、とあるマンションの一室に自分がいるところからスタート。紫色の布がすっぽり被った鳥かごが二つ置いてあって、それぞれの布を外すとエサと水が無くなって死にかけの文鳥のペアとインコのペアがいる。それをセッセと世話をしたら元気になり、卵を産み、新しい成鳥は次から次へと売れて鳥かごが増え続けるストーリーだ。

 若い人たちに夢占いアプリで調べてもらった。初めて知ったのだが、それぞれが複数のアプリを入れているらしい。自分のスマホに入れているアプリは、隅々まで知られてしまっているが、若い人たちのスマホに何のアプリが入っているのか知らない。知ろうとする意識すらない。コスパだのタイパだのリアル体験が重要だの言われていたので、夢に興味があるとは意外だった。夢占いアプリたちの導き出した共通の答えは3つ。

 ・エサがなくて弱っていた鳥を助ける夢は、基本的なニーズやサポートを提供することを象徴している。誰かが支援や助けを必要としているらしい。
 
 ・鳥を助ける夢は、自己成長や自由の追求を象徴している。鳥は自由に飛び回る存在であり、その鳥を助ける行為は、困難や制約から解放され、新たなステージへと進む準備が整っていることを示唆しているらしい。
 
 ・インコを助ける夢は、コミュニケーションや社交性を象徴する。インコは社交的でおしゃべりな鳥であり、この夢は他者とのコミュニケーションを改善し、新しい人間関係を築くことの重要性を示しているらしい。また、自分の意見や感情をもっと表現する必要があることを示唆することもあるらしい。

文鳥を助ける夢の答えは無かったし、答えは全部そろわなかった。どれを信じていいものなのか、わからない。
 
今のところ、自分の「小さな夢」は時節に合っているらしい。合ってしまっていた、が正しいところか。だけど、早くて数年後には時節からハズレていくはず。そろそろ、修正していく時期に入ったと思う。うっかり長生きしてしまうリスクを回避するために、新しい夢をさがそうとおもう。 

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