ハンドルを右に切った理由___北海道増毛
旅先で車のハンドルを握り、長い変化の少ない道をっているとき、 目は見知らぬ景色を眺めているが、頭の中にはいろんな思いや過去の出来事がとりとめもなく流れていく。
どんなことが浮かんできても、動く車の中では深刻化しない。
むしろ、そんな状況の中では、物語に甘美さを添えてさえくれる。
かつての、ある秋の日。
私は雨竜岳(もっとも、途中までしか登れなかったのだけど)から、日本海側の「増毛(ましけ)」という町に向かっていた。かつて北海道JR留萌本線の終着駅があった、海の町だ。
地図で見ると、旭川から日本海に向かって、左方一直線上にある。昔は北前船の寄港地として大層賑わったという。
増毛に向かう道はそれ一本で、ほとんどすれ違う車もない。
物思いにふけるには格好のシチュエーションである。
未来より、過去の方が長くなったからだろうか。
若い頃だと、今現在の事やこれから先の事などを考えていたように思うが、この頃ではほとんど、昔の思い出をコロコロと転がして遊んでいる。
私はひとりの車中では、考えるだけでなく、入り込むとひとり喋りもやっちゃうのだ。
それから、手紙も書く。
実際には書けるわけなどないので、手紙を書くように話してみたり、相手が助手席にいるかのように話してみたりもする。
どうもこれを「妄想」と呼ぶようなのだが、その時話せなかったことや、誤解されたまま終わってしまったことなどが、素直な自分になって話をしている。
誰のチェックもないので多分に自分に都合のいいお喋りなのだが、解放感はかなりのものだ。
こんなことをして遊んでいることは誰にも話したことはない。
すれ違う車の人が「変だな」と思ったことはあるかもしれないが、一瞬ですれ違うのだからそれも良し。
同じことをしている人もたくさんいるのかもしれないと常々思ってはいるが、見たこともないので分からない。
大概はしばらくするとネタ切れして黙ってしまうのだが、その時はかなり入り込んでいて、涙まで出てきた。
峠道では、何度も涙を拭くため車を止めた。
その時、私の物語を邪魔するものは何もなかった。
そして、また車を走らせた。
すると、急に人家が現れたかと思ったら、突然目の前に信号が現れた。
そして、その前は海だ。
ということは、左に曲がったらもう増毛の町ということだろう。
駅前には、予約した宿があるはずだ。
だが、一目で泣いた後だと分かるほどひどい顔をしていた。
決して悲しい涙ではなく、清々しいと言ってもいい甘美な涙なのだが、そんな時間はそこまで。
現実に返らなければいけない。
そこまで考えて、思わずハンドルを右に切った。
明日は留萌に続くこの道を走るので、今日は増毛の町に直接入りたいのに。残念だけれど、不本意だけれど、留萌方向へハンドルを切る。
予定変更の理由が「妄想遊びの涙」なんて私らしいなと、今度は笑いがこみ上げる。
海沿いの集落を、涙の乾くまで留萌に向かって走った。
駅にして3つぐらい走ったか。
駅の標識はあったけれど、特別な賑わいはなかった。
深川からの留萌本線は、留萌で日本海に出て、海沿いを増毛まで南下する。 当時、終着駅ブームが起こっていて増毛も注目されていたが、私も終着駅にはロマンを感じる。
線路がどんなふうに終わっているのか、駅舎はどうなっているのかと、空想しながら再び増毛に向かった。
カモメが多く飛び交う。
河口が近いことが分かる。
増毛手前の「箸別(はしべつ)川」に架かっている橋では、思わず歓声を上げた。
カモメやカモ、鷺たちが河口に群れていた。
安全なところに車を止めて、双眼鏡を手に橋の上をウロウロする。
なぜか上半身裸で、川にボールを投げては犬と戯れているおじさんが河原にいた。
犬も、何度も何度もそれを嬉しそうに取ってくる。
水とボールは犬の大好物。
そこのところはよく分かるのだけれど、なぜあの人まで裸なのかはイマイチ理解できなくて、尋ねたくてうずうずしたが、距離がありすぎた。
増毛の駅に着くと、観光客が2、3人写真を撮っていた。
この駅は高倉健さんの映画『駅 STATION』の舞台になった場所だ。
木造の駅舎は最果ての駅にふさわしい、寂しさや旅情を感じさせる佇まいだった。
街の海側には、明治・大正・昭和の面影を残す立派な石造りのモダンな家々が並び、その前を大きな道路が真っ直ぐに伸びていた。
山側には整然と区画された道が続き、商店や住宅、学校などが並んで、すっきりとした町並みを形作っている。
かつて鰊漁で栄え、北前船が出入りしていた頃には、多くの人々が行き交う活気あふれる街だったのだろう。
タイムスリップしたような懐かしさの中に、京都を思わせる整った区割りもあり、不思議な魅力を感じる。
北海道では瓦屋根は珍しい。
しかし増毛では、当時の豪商たちが上方から瓦職人を招き、屋根瓦を作らせたという。
その話からも、この町がいかに豊かであったかがうかがえる。
なかでもひときわ大きな建物が、今も酒造りを続ける国稀酒造(本間家)だった。
留萌からここまで、ほとんど背後に山が迫り、やっと町がつくれる地所が増毛だったのだろう。
小さな岬の陰に、船が風を避けて泊まれる、港に適した地形。
輸送手段が船から鉄道、車と変わっていくとともに、町は大きく姿を変えた。
旅をしているとそんな街を数多く見てきたが、変化の時を生きてきた人たちの戸惑いや寂しさに、想いを馳せる。
そして最近、私は再びこの増毛の町を訪れた。
ルートは前回と違い、石狩から231号で海岸線を北上した。
このルートは眼下に小さな漁村が点在し、それがまた見慣れた日本の風景とは違い、また北海道とも思えないような、北欧やギイリスの道を走っているようで、と言っても行ったことはないが、ドキドキさせてくれた。
斜面の緑と青い海、そこに緑や赤と色のある家や屋根が、ポツンポツンと点在しているのだ。
残念だったのは細いかなり交通量の多い道で、車を止めるところもなく、走り続けなくては行けなかったことだ。
あの頃は増毛から海岸線を南下するには、途中走れない区間があるようなことを聞いた気がしたので、今回は道は南から増毛に入ろうとそのルートを選んで大正解だった。
興味津々、道を辿っていると、急に活気のある街というより観光地に入ったと思ったらそこが、増毛だった。
増毛にはいるところは、今回も驚かされた。
まず人の多さに驚ろき、観光資源を生かせたんだと、さびしさを感じつつも、複雑な思いに浸りながら車を降りた。
ちょうどお腹も空いていたので、「よし、お昼にしようか」とお店に入ったけれど、あまりの混雑でそのまま出てきてしまった。
あの時、旅情を誘ったJR留萌本線の線路は、もうここには繋がっていない。時代の波の中で、増毛駅への路線は廃線となってしまったのだ。
線路が途切れていた「終着駅」のロマンは、いまや本当の意味での「歴史の跡地」になっていた。
駅舎は綺麗に修復され、かつての面影を残しながらも、観光スポットとして新しい時間を刻んでいる。
あれから十数年。
社会も、政治も、そして私自身の環境も大きく変わった。
あの最初の旅の時、私は日本が大きく変わろうとしている流れを感じていた。
戦後、がむしゃらに上を目指して走り続けてきた結果、限界を迎えて流れが変わる。
政権交代に期待を寄せ、一人ひとりの意識が変わり始めていた、あの頃。
私たちは絶えず変化し続けている。
大きな変化には衝撃を受け大騒ぎするけれど、小さな変化には人は鷹揚だ。 けれど、日々の小さな出来事に対して「どれを、何を、選択するのか」が、結局はその人が行くところを決めていく。
「一分八間(いちぶはちけん)」という言葉がある。
初めはほんの少しの角度の変化(一分)であっても、先へ進めば進むほど、気がついた時には誰もがわかるほど大きな開き(八間)になっているという意味だ。
つまり、その時その時の「今」何を大事にして生きているかという「生き方」によるしかないのだ、自分の人生においても。
これだけの情報社会だけれど、昔と同じで、受け取る情報は人によって大きな差がある。
増毛の町を歩きながら、私はそんなことを考えていた。
人の多さに驚き、町の変化に驚き、それでも変わらず残るものに心を引かれた。
変わることは悪いことではない。むしろ変わらなければ生きてはいけない。
しかし変わるということは、何かを失うことでもある。
増毛の町を少しさみしい気持ちを抱えて歩いた。
諸行無常という言葉を思い出していた。
そして「今しかない」ということを思った。
気がつけば、涙が出ていた。
