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AIは外科医になれるか?──イーロン・マスク氏のAI論を、医師の肌感で考える

イーロン・マスク氏が
「AIが外科手術を担うようになる」
といった趣旨の発言をした、という話を目にした。

正直に言えば、
明日から人間の外科医が不要になるとはまったく思わない
一方で、
「遠くない未来そうなるだろう」と感じてもいる

この二つの感覚は、矛盾しているようで、実は同時に成り立つ。


「まだ無理だろう」と「いずれはできるだろう」

医療の現場にいると、
AIに限らず、新しい技術については自然と慎重になる。

外科手術は、

  • 解剖の個体差

  • 炎症や瘢痕による視野の変化

  • 予定通りにいかない進行への判断

そういった不確実性の塊だからだ。

だからこそ、
「AIが外科医になる」と聞くと、
まず「それはいきなりは無理だろう」と感じる。

ただ、そこで思い出したのが、
将棋の世界での、あるエピソードだった。


羽生善治の「距離感」

以前、
**羽生善治**が
「AI(コンピュータ)が人間に勝つのはいつ頃か」
と問われたインタビューを読んだことがある。

当時、多くの棋士が
「まだまだ人間が負けるわけがない」
と答えていた中で、
羽生善治は比較的冷静に、
「思ったより早い段階で追いつかれる可能性がある」
という見通しを語っていた。

結果として、その予測はおおむね当たった。
(現在では人間よりも明かにAIの方が強い)

印象的なのは、
未来を言い当てたことそのものよりも、
AIとの距離の取り方だった。

過小評価もせず、
かといって神格化もしない。
人間の強さを知り尽くしているからこそ、
「それがどこから来ているのか」を冷静に見ていたように思う。


医療AIも、似た道をたどる気がしている

この話は、
外科手術や医療AIを考えるときにも、
そのまま重なる。

AIが得意なのは、

  • 手順が定まっている

  • ゴールが明確

  • 判断基準がはっきりしている

そうした領域だ。

実際、現在の医療現場でも、
画像診断や手術支援など、
**「人間の判断を補助する形」**では、
AIはすでに大きな力を発揮している。

一方で、
最も難しいのは非典型症例だ。


非典型症例という最後の壁


現場で本当に神経を使うのは、

  • 解剖が教科書と微妙に違う

  • 炎症でランドマークが消えている

  • 画像と実際の術野が一致しない

  • 「なんとなく嫌な感じ」が拭えない

こうしたケースだ。

このとき外科医は、

  • 視覚情報

  • 触覚

  • 過去の似た経験

  • 言語化しにくい違和感

を総動員して判断している。

この暗黙知の集合体を、
AIがどこまで扱えるか。
ここが、外科における最大のハードルだと思っている。


それでも「いずれは」と思ってしまう理由

それでもなお、
「いつかは可能になるのではないか」
と感じてしまうのは、

  • 人間の直感も、突き詰めれば経験の圧縮であること

  • 非典型症例も、長い時間で見ればパターンの集合であること

  • センサー、画像解析、計算資源が指数関数的に進化していること

を、私たちはすでに知っているからだ。

将棋の世界でも、
「ここだけは人間の領域だ」と思われていた部分が、
気づけば静かに塗り替えられていった。

医療でも、
同じことが起きても不思議ではない。


おそらく、置き換えは静かに進む


AIが外科医になる未来は、

  • ある日突然、すべてを任される
    のではなく、

  • ここまではAI

  • ここから先は人間

という境界線が、
少しずつ動いていく形で進むのだと思う。

だから、

いきなりは無理だが、いずれはできるようになる。

この感覚は、
楽観でも悲観でもなく、
現場にいる人間としての、今の正直な肌感だ。


AIは外科医になれるか。
その答えは、
「今すぐではないが、確実に近づいている」

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