五衰の人 三島由紀夫私記(最愛の我が師が遺していった徳岡 孝夫の本)改訂版.📕📖


 

私が実家を出て行く際に 父が所有していた 三島由紀夫の本を何冊かもらったのだが、その中には この本は含まれてはいなかった。

あれから約30年が経ち、 父も 我が最愛の師も旅立ち、今になって 私への メッセージ付きで 沢山の本を遺していた事がわかった。

五衰の人  三島由紀夫私記  徳岡 孝夫  (文藝春秋)

徳岡 孝夫様は 1986年 第34回 菊池 寛賞受賞 
1991年 横浜.山手の出来事で 第44回日本推理作家協会賞受賞
毎日新聞社で社会部 ,サンデー毎日, 英文毎日の各記者, 編集次長 , 編集委員等を歴任 , 
ベトナム戦争 ,中東戦争 , 三島事件を取材

この本の裏側には “100円+税  絶版” と鉛筆で書かれている。

そして…..

「 読むなら P.○○以降ぐらいしかない。
あとで捨てて。」

私が出て行く時 この本を父が持っていなかった理由がわかった。
この本は 1996年に出版されたものだからだ。
私が 出て行ったのは 1995年の事である。

そして もう一冊。

その本にも 今度は “表紙” に….

またもや 鉛筆で….

「読むなら p.○○以降ぐらいしかない。
あとで捨てて。」

三島由紀夫でさえ 我が最愛の師にとっては そんなもんでしかないのである。

でも…..

 三島由紀夫も もしかすると 同じ事を仰るのかもしれない。


 

「文武両道ー“武” とは 花と散る事であり、“文” とは不朽の花を育てることであり、双方を相克のうちに兼ね具えることが国家の用件であり、人の理想だとする三島さんの考えを美しく短編の中に凝縮した立派な作品だと思う。
京都のある大学から来たSという学生が、 雅楽に使う横笛を錦の袋から取り出して “蘭陵王” の曲を吹く。聴く者は 三島さんと“楯の会”隊員の五人。
三島さんの事だから 横笛を見た途端に滝口入道を連想し、“寿永の秋の哀れ、治承の春の楽みに知る由もなく” という無常の名句を思  出したことだろう。
Sは 何時間もつづけて横笛を練習すると、吐く息ばかりになるためであらうか、幽霊を見るさうだ、といふ話をした。
君も見たか、と私は問うた。
いや、見たことがない。幽霊を見れば一人前だと言はれてはいるが、まだ見たことがない、と Sは答えた。
しばらくしてSは卒然と私に、もしあなたの考へる敵と自分の考へる敵とが違つているとわかつたら、そのときは戦はない、と言つた。
Sは そのイニシャルを持った実在の学生だそうだが、三島由紀夫さんはまさにそのようにして死という幽霊を見るところまで踏み込んでいったのではないかと思われる。」
と 徳岡 孝夫は書いてある。


 


《もう そんなこと 今となってみたら どうでもいいことなんだよ。
僕はね….
もっと もっと “銀巴里”で 歌ったり踊ったりしたかっただけなんだ。
美輪 明宏さんとね。
「美しく生きる」
僕は そうしたかっんだ。
美輪 明宏さんのようにね。
中原淳一さんのように その “美学と仕事” を 貫いてみたかったんだ。
美しく生きることは大切なんだ。
美しく生きることは難しいことなんだ。》

三島由紀夫が 天国で そう仰っているような気がしてならない。

「あとで捨てて。」
徳岡 孝夫の本に書かれた “鉛筆メッセージ” から そう思った。

所謂  “遺言” と 受け止めている。
恐るべし。
恐るべし 我が最愛の師。⚜️


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                                                      《あとがき》

三島 由紀夫という人物については、結局は どんなに言い訳をしたところで、東大の学生運動と似ている様な気もしている。
あの当時 実際に暴れていた方々の話によると、

「何で あんなことしてしまったのか….
自分でも よぉ わからんのだ。
何故なんだろう….
今 考えてみても わからない。
自分の中では、もう あの頃の事は なかった事にしておきたい。」
と 随分前に聞いた事がある。


 


三島 由紀夫の事件についても 同じ事が言えるのではないのだろうか?
もし 銀巴里に入り込んでいなければ、美輪 明宏と出会っていなければ、美輪 明宏が 三島 由紀夫に対して もう少し 優しい眼差しを向けてあげていたならば、もしかすると ボディービルをする事もなく、女性と楽しく会話をしたり、お洒落をしたり、色々な形での恋愛を楽しみ、単なる ひ弱な文学青年として 時々 銀巴里にて 楽しく語り合い、楯の会に入る事もなく、一人の人間らしい自由な人生を歩む事も出来たのではないのだろうかと考えてしまう。

コンプレックスに押し潰されそうになった時や、幸せ感が損なわれた場合、人は 説明のつかないものへと “逃げてしまう” 事も絶対にあるはずである。


「あとで捨てて。」

この 鉛筆文字に込められた意味は….

三島 由紀夫という人は 
この「あとで捨てて。」という言葉に
全てが こめられている様な気がしてならない。⚜️

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                                                       《 まとめ 》

三島 由紀夫に関しては 専門家の方々が 色々な研究をなさっておられるが、私は “一人のどうしようもない人間 , 三島 由紀夫” として考えている。
誰にでもよくある、(あぁ…あの時の事は 一体何だったのだろう?)という事にもつながっている様な気がしてならない。

人間には 必ず、“説明のつかない部分, 何か虫の様なものが 体の中に入り込んで 存在している” と 感じている。
説明がつかないから、人間とは難しい生き物なのではないのか?
何でもかんでも説明がつく様では、弁護士も警察も医者も要らないはず。

説明がつかない事が多いから、人間社会において 犯罪や事件や不可解な事や未解決事件がとり残されたまま 現在においても何かしらのものが起こり続けているものと感じているところである。

昭和40年代に起こった その地域では当時 市内最大規模と言われた大火災事件は 未解決のまま、犯人も捕まってはおらず、今でも関係者達の間では 心に影を落としたままとなってしまっているのに対し、ほとんどの方達からは とうの昔に忘れ去られてしまっている。
時間というものが “悪さ” をしてしまっているのである。

三島 由紀夫という人は、生まれてきた時代が悪かった…と思うしかない様な気がしてならない。
生まれて来た時代が悪すぎる。

昔は 遊びといっても、今の時代の様に 色々とあるわけではない。
そんな中で 自分の身の置き所がなかったり、認められなかった場合において、男なら男としての格好良さを全面に押し出したいのなら、あぁいう形に持って行くしか どうする事も出来なかったのではないのか?と思ってしまう。

今の時代なら、男でも美しく着飾ったり、別の形で表現する事も十分にアリなので、三島 由紀夫が生きた時代よりも まだ ずっと自由があったはずである。



 


又 人間には必ず 二面性 多面性があるという事を忘れてはならない。
ある一面だけを見て “この人はこうだ” と決めつけるのは変であると思う。
三島 由紀夫にも そういうニ面性 多面性は 当然あったはずである。

気持ちの持って行き場がなく、頭でっかちになりすぎている “どうしようもない人間” の場合、“死ぬ事で、散る事で” ならば まだ 生まれ変われる事も出来ると考えていたのではないのだろうかとも思われるけれど、三島由紀夫には「肝心な事」が抜け落ちている。

三島 由紀夫の事については 愛国心だの憂国だのと 色々な言葉が出て来てはいるが、三島 由紀夫には絶対に 二面性 多面性があったに違いないものと考えている。
ある一面においては そういう顔をしておきながら、ある一面においては 又 別の顔が必ずや あったはずである。
それを その都度 修正していたら 自分の気持ちが追い付かなくなり、どうにもこうにも立ちゆかなくなり、元々においてアンバランスであった精神状態を益々、悪くしてしまい、「自爆」したとも考えられる。

三島由紀夫という  一人のどうしようもない人間が抱え続けて来た「生きづらさ」という問題についての感じ方が、 一般の方々とは又 違った方向へと向いてしまったのだろうと思われる。

「精神と肉体の昇華」と考える方も当然あるのだろうけれど、それだけではない、「何らかの虫」の様なものが、三島由紀夫の体の中には ずっと住み着いていたのであろうと考えている。

 

死に方として、《 切腹 》という形を選んだ事は 、「刀への敬意」があまりにも欠けており、あれは武士が命の次に大切にしている刀への「冒涜」である。

つまりは、「侍の形」を模倣しただけであり、「侍の質」については、何ひとつ正しくは理解していなかった無礼者でしかないと言える。

あのやり方は、舞台役者のパフォーマンスであり、武士道でも何でもない。
「非武士道」である。

そもそも、昭和の時代に 素人で上手く切腹出来る人なんて、日頃から刀を扱い慣れている人間でもない限り、到底 無理な話である。
仮に 扱い慣れていたとしても、毎日 腹を斬るわけではないし、相当 難しい事である。
ましてや、「介錯」などというものは 尚の事 簡単ではない。
それををわかっていなかった時点で、三島由紀夫は侍とは絶対に認められない。

元 介錯人、子連れ狼の “拝一刀”  でもない限り、スパッと一回では斬り落とせないのは当たり前の事である。
その事について、三島由紀夫様は相当抜け落ちてしまっている。

何故に、プロの介錯人を雇わなかったのかである。
そもそも論であるが、素人の学生では一撃で落とせない事を知らないような侍がどこに居るというのか?である。
皆様、一般的に言われている、愛国心だの、肉体と魂だのと言う前に、刀の事を一度でも考えてみた事があるのだろうか。



真実は「現物」にこそ宿る。
言葉や文章なんて、死を前にした三島由紀夫にとっては何の意味も持たない。
現物とは、「刀」の事である。

切腹して首を落とす為に一番必要なものは、「刀」である。
その刀がなければ、首を落とせないのである。
その刀に対して、「敬意の欠如」としか思えない三島由紀夫の考え方は、もう武士道からは遠いところへと行ってしまっている。

それでも 切腹の道を選んだ三島由紀夫という人間に対しては、
我が道、花道であったのかもしれないけれど、あれは侍ではない。
三島由紀夫には本物の侍スピリッツは、一切ない。

そのやり方が 良かったのかどうかは  又 別の問題として、
生きづらさ、生きるとは何なのか?死ぬとは何なのか?
を考えさせてくれる「宿題」を 後に生きる人間達に残して行った事は確かであろうと思っている。

生きづらさ……
つまりは、「嘘に嘘を重ねてゆくと、人間は どうなるのか?」という事になる…..という事だ。

そう考えると三島 由紀夫という人は、随分と気の毒な御方であると思ってしまう。

それでも…..

それでも、 文学者としては 素晴らしい人であったのだ。


もし 三島 由紀夫が生きていたならば、あるいは天国から見下ろしていたとするならば、

「もう、なかった事にしてくれないか。」

「あとで 捨てて。」

その一言につきると思っている。

三島 由紀夫も

きっと、

きっと、 そう仰るものと 考えている。 ⚜️


❇️徳岡 孝夫様は 2025.4.12. に95歳でお亡くなりになりました。
徳岡 孝夫様の御冥福を 心より御祈り申し上げます。


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