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ひとりで死なせない社会を、どうつくるか

和やか食堂から「ポラーノひろば」へ

昨日また、
地元に住む
一人暮らしの高齢者の方が、
人知れず亡くなっていたことが
分かった。
家族でも、隣人でもなく、
しばらく経ってから
「発見される死」。

田舎で暮らしていると、
近年この
「独居老人の孤独死」が、
決して珍しい出来事では
なくなってきている
ことを痛感する。

今回もまた、
民生委員である先輩と
一緒に静かに
手を合わせた。

それは決して、
「誰にも迷惑をかけずに
生きた結果」などではない。

核家族化、過疎化、
地域共同体の希薄化。

制度はあっても、
制度は“日常の孤独”までは
すくいきれない。

私たちは今、
長く生きられる社会を
つくる一方で、
共に老いていくための
仕組みを、
どこかで失ってしまった
のかもしれない。



月に一度、
TAO塾で開いている地域食堂
「和やか食堂」では、
会食会のあと、
帰り際に参加者の皆さんへ、
ささやかな“お土産”を
お渡ししている。

地元農家さんの野菜、
町内のコンビニやスーパーに
集まったフードドライブ、
県内の子ども食堂・地域食堂を
支える中間支援NPOを通じて届いた、
企業さんからの食品や日用品等々。
様々なご縁、繋がりの中から
頂いて来た有難いものばかり。

しかし、本質的に掘り下げれば
ここには「支援する人」と
「支援される人」がいるわけではない。
ただ、今ここにあるものを、
今ここにいる人で
分かち合っているだけだ。

1990年、東京医科大学での
ホリスティック医学シンポジウムで
出会い、様々な学びを頂いた
菊池養生園診療所名誉院長
竹熊宜孝医師の

「医は食に学び、
食は農に学び、
農は自然に学べ」

の言葉にも通ずる世界。
「いのち」は、切り分けられた
個の中ではなく、
循環の中でこそ養われていく。



地域食堂「和やか食堂」の会食後は
スタッフと一緒に
参加の皆さんを玄関先で
お見送りをしながら、
その場はいつも、
にぎやかな声に包まれる。

「楽しかったぁ〜!
Yさんのけん玉も、
Uさんのクイズも、
Mさんのマッサージも
気持ちよかったぁ!」

「美味しかったぁ〜!
K旅館さんのデザートも、
Y実業さんのコロッケも、
Iさんの椎茸も、
Hさんのお米と、
G畑さんの野菜も、
瑞々しかったぁ!」

「嬉しかったぁ〜!
今日は久しぶりに、
子どもたちが
楽しんでいる姿を見られて、
来てよかったぁ!」

どれも、胸が温かくなる言葉だ。



けれど、3年ほど前のこと。
後になって、
どうしても耳に残る
一言があった。

「今日は、ほんと幸せだったぁ……」

「幸せ」という単語に
少し違和感を感じたものの
その場では、単純に
嬉しい感想だと受け止めていた。
しかし、その後の
スタッフミーティングで、
柔らかな感性を持つ若者が
ぽつりとこう言った。

「“幸せだった”って言葉、裏を返すと、
日常がどれだけ孤独なんだろうって、
少し気になりませんか?」

その若者も
「ありがとうございます」
と笑顔で送り出したものの
その言葉をまとう繊細な
身体的バイブレーションが
胸に残っていたようだ。

あのつぶやきは
“イベントが良かった”と
いう評価ではなく、
「ここ以外に居場所がない」という、
無言のサインだったのかもしれない。



後日、近所のおばあちゃんたちに、
最近の様子を聞いてみた。
返ってきた言葉は、重かった。

「半年前くらいにね、
70歳のご近所さんが自殺したとよ
コロナで人と会わんごとなって、
一人で悩んで首を吊って……
不憫やったばってん、
分かる気もするとよね
誰にも相談できんかった、
その気持ち……」

長引くコロナ禍は、
感染症だけでなく、
人と人の間にあった
“声をかける理由”
そのものを奪っていった。

子どもの相対的貧困問題は、
現代日本に溢れる「飽食」状況からは
ピンと来ない人も多い
大いなる問題である。
しかしながら、今や「子ども食堂」は
全国各地に増えて、
数値として可視化されやすい。

けれど、独居老人の孤独は、
声にならず、抜き差しならない
リアルな実情は
統計にも表れにくい。
だからこそ、気づいたときには、
もう取り返しがつかないところまで
進んでいることが多い。



昨年10月26日、
「和やか食堂」主催で
沖縄三線シンガー沙織・
島唄コンサート&会食会
を開催した。

70名を超える人たちが集い、
北里洋子先生の「いただきます」
の声を合図に、
地域のお母さんたちの
手づくり料理を囲んだ。

食後、三線の音色と歌声が
会場を満たす。
「なだそうそう」「島んちゅの宝」
「ハイサイおじさん」。
歌い、踊り、笑い、涙する人もいた。

その場には、
年齢も、立場も、肩書きも 
関係ない時間が流れていた。
ただ同じ空間で、同じものを食べ、
同じ歌を口ずさむ。
それだけで、
人はずいぶん回復するのだと、
改めて感じた。



そこで何度も語られた言葉が、
「ゆいまーる」だった。

「ゆいまーる」とは、
沖縄の言葉で、
「結い」と「回る」が
合わさったもの。

一人ではできない
農作業や家づくりを、
村のみんなで助け合いながら
行う相互扶助の知恵。

助けた相手に返すのではなく、
次の誰かへ回していく。
恩返しではなく、恩送り。

それは、
「自立」よりも「相互依存」を
肯定する生き方であり、
強さよりも、弱さを前提にした
社会の設計思想だと思う。



最近、「和やか食堂」に集う人たちから、
別の現実も聞こえてくるようになった。

親のギャンブル依存、
子どもが稼いだアルバイト代も
奪われ、困っている若者。

病気や事故をきっかけに、
一気に生活が崩れてしまった人。

そこで今、
お弁当を届ける活動も始めている。
それは「支援」ではなく、
「今日は顔を見に行く」ための、
ささやかな口実に近い。



TAO塾が目指しているのは、
問題を解決する
“正しさの拠点”ではない。

宮沢賢治が描いた
ポラーノの広場
のように、
役に立たなくても、
理由がなくても、
ただ在っていい場所。

働ける人は働き、
話したい人は話し、
今日は黙っていたい人は、
黙っていていい。

そんな「ひろば」が、
町のあちこちに点在していたなら、
孤独死は“個人の不幸”ではなく、
社会の構造の歪みとして、
もっと早く気づけたはずだ。

政治も、経済も、環境も、
そして
教育の世界も、医療の世界も
時に、どうしようもなく
絶望的で、虚無的になることがある。

しかしながら、その一方
魂を金で売らず、
いのちの根っこにある
医・食・農の在り方に目を向け、
そこから生き直そうとする人たちは、
少しずつだが増えつつある。

そして、小さな
「ポラーノひろば」も、
誰に宣言されることもなく、
同時多発的に、
世界のあちこちで
静かに芽吹いている。

「そんならほんたうにぼくらのほしいポラーノの広場はどこにあるだらう。それはいまはぼくらの胸のなかにあるだけだ。ぼくらはぼくらの手でこれからそれを拵えやうでないか。あんな卑怯でみっともないわざとじぶんをごまかすやうなそんなポラーノの広場でなく、そこへ夜行って歌へば、またそこで風を吸へばもう元気がついてあしたの仕事中からだいっぱい勢がよくて面白いやうなさういふポラーノの広場をぼくら、みんなでこさえやうでないか。ぼくはきっとできるとおもふ。なぜならぼくらがそれをいまかんがへてゐるのだから。」

(宮沢賢治「ポラーノのひろば)


医食同源から医食農同源!
食と農のあり方は
私たちの「いのち」のありようを、
あらわしている。

今年は、小さな国、小国郷でも
医食農の取り組みがさらに一歩進み
小さな小さな地域食堂の
食卓にも、これまでより多くの
生命力ある安心安全の、
旬の地元産食材が
より多く並ぶことになりそうだ。

そして、「正しい」食と共に、
いや、それ以上に大切なことは、
「あたたかい」「幸せな」
食卓を囲むことだ。

ルドルフ・シュタイナーの本を
数多く出版されている
イザラ書房の社長と
対談した時に
彼女から教えてもらった
以下の言葉が
とても印象深く心に残っている。

「何を食べるかは、
とても大事だ。
しかし、誰と食べるかは、
もっと大事だ。」

そこにこそ、
人間とは何かを考えるための、
忘れてはならない
大切な手がかりが
隠されているように
思えてならない。

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最後まで読んで頂きありがとうございます。
もし何か一つでも心に触れるものがあったら、嬉しいです。日々の実践から生まれた気づきをこれからも少しずつお届けします。 阿蘇の山から今日も心を込めて!

次の記事は、七草粥の日に届いた、アメリカからの「リアルフード宣言」

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