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わたく史 赤ん坊編

私、44歳になる平凡な女史であります。
ここにわたく史を書こうと思った理由は2つ

①加齢により人生のエピソードを忘れてきつつあるので覚え書き
②なんか、振り返ることで今のここになんか感謝って出来るなとふと思ったから。

過去を振り返らず、先を考えすぎず
今ここに意識を置くことは大切です。でも、その段階に行くまでには、なんとなく段階があってですね、私の場合。
わたしが今!ここ!に立っている
そこまでの道のりを立ち止まり、首だけじゃなく
身体ごと方向をくるっと回して見てみることに。
なんて、ちょっと哲学的な感じもしますが、
単にこの間、友達と長電話でしている時に
こんなことあったとか、
こんな子どもだったという話をしていたら
とても楽しかったから。これは自分史書こうとなった、ただただ、それだけでございます。

では、私の最初の記憶

薄暗くぼんやりしている視野の狭い中に映る
鉄格子のような連立した棒とそこから見える窓。
これは多分、保育園のベビーベッドに寝かされている時だと思う。たぶん、一歳未満。

私は共働きの父と母に生まれ、兄が1人いる
4人家族。第二子でもあり、父が割と転職を繰り返すので、母はわたしが生まれる前から幼稚園の先生として、しっかり働いていた。今のようにワーママがポピュラーではなく、専業主婦も多い時代。そんな昭和の後半にさしかかったころ、私は生まれ、4ヶ月という速さで彗星のごとく
保育園界へのスピードデビューを果たしたのです。
その時の記憶だと思います。お昼寝の時だったのかなーシーンとしているイメージ。

バブバブ言ってたでしょう。でも、呼んでもきてくれないそんな寂しい気持ちもなんとなく残っているのが、なんかすごいですね。三つ子の魂と言いますがあながち。。。

母は未だにあの時可哀想だった、もっと一緒に過ごしたかったといいます。兄の時は3歳まで一緒に過ごせたのに‥と。
母が何度もいうその言葉を子どもの頃、ポカーンと聞いてました。でも、私も子どもを産んでその切ない気持ちは想像するとちょっと涙ぐみそうになります。もっといたいのに、行かなければ行けないという、なんとも言えない胸の奥にペタ張り付くような気持ち。
仕方ないとか割り切っていたでしょうが、もっともっとだっこしてあげたいと思っていた母にとっては毎日毎日貼り付けられるその小さな紙がやがて張子のように心に何かを形作っていたことだと思う。私のお便り帳に毎日出席のシールがびっしり貼られているページを見るたびにそれは私と過ごせなかった時間の証明の重さがあったのかもしれない。
お乳が張って痛くて、職員室で搾乳してはその度私の顔を思い出していたといいます。
その頃の写真も残っていますが、まぁ自分で言うのもなんですが、ブチャッとした顔です。でも愛嬌があると言えばあるような笑 睨みをきかせる赤ちゃんで、つぼみ組の他の赤ちゃんをにらみ一発で泣かしていたというのを聞きますが
2番の記憶は、目の前のブロック越しに泣く赤ちゃん。
なんとなく、やさぐれでいたのでしょうか(笑)


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