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【エッセイ】命の在りかと雑草魂│草を抜きつつ、生やしつつ。



2025年秋


今年はいつになっても暑さが引かない。


私の職場である塾の周りにも
太陽の光を存分に浴び、
わがままボディへと成長を遂げた雑草が
縦横無尽にその手足を伸ばしている。

歩道を這うように伸びた触手が
歩行者を妨害するかのように
覆い広がっていた。

思い返せば今年の夏は暑く
外に出ることすら危険だと言われていた。

熱中症警戒アラートも
毎日のように発出され、
もはや夕方5時のチャイムと変わらないほど
日常の中に溶け込んでいた。

外での作業は危険だからと自分に言い訳し、
「涼しくなったら…」と先延ばししてきた草刈りも今は10月。
この時期でさえ真夏日の記録を更新しているところもある。

暦は真秋日。気候は真夏日。


もう「涼しくなったら」は
永遠に来ないかもしれない。

灼熱との闘い


時計は13時30分を指している。
さすがに熱中症にはなるまいと
重い腰を持ち上げ軍手と鎌を持ち、
いざ意気込んで外に出る。


うーん。
ダメだ。
暑い。…というか痛い。
急いで教室の中に逃げ込む。

おかしいだろ。10月だぞ。


日差しが強すぎる。
目に見えない紫外線が肌を直撃するのがわかる。そう。美容系男子(40代)にはわかる。
今は肌の老化防止のため勇気ある撤退が必要だ。

陽が傾きかけた頃に取りかかろう…
というのが理想だが、そうもいかない。
あまりに遅いと夕方にある授業に差し支える。

雑草との闘い


午後3時

タオルで顔を覆うように縛る。
軍手と鎌を携え、いざ草刈りへと向かう。


大きく成長した草は
自分の身の丈ほどの大きさもある。
すでに枯れてしまった草は
パキパキと簡単に折れるので小さくして
ごみ袋に詰め込む。

中にはまだ生き生きとした草もあるが
瑞々しいぶん、ふにゃふにゃと曲がるので
こちらも無理やり折り曲げてねじ込んでいく。

夕方が近づくも暑さは一向にひかない。
ものの数分で身体中から染みだした汗が
シャツに張り付く。


あとからあとから吹き出してくる
額の汗をタオルで拭いつつ、
雑草たちと格闘する。

憎き雑草め。
雑草の根本をつかみ思い切り力を込め引っ張る。
彼らはブチブチと音を立て
地面とからだが無理やり引き剥がされていく。

中にはしぶとく地面にしがみつくような輩もいる。
人間をナメるなよ、と
鎌でザクザクとそのからだを切り離していく。


まったく。
「植物は二酸化炭素を吸うんだぞ」って、
生徒には教えているんだ。
もっと地球を冷やせよ。

雑草たちは
突然訪れた理不尽な八つ当たりによって
無惨にもからだを引きちぎられていく。


歩道に隣接するこの国道は、それほど大きい道路でもないが車の往来は激しい。


トラックが雑草と格闘する人間を脇目に
排気ガスを撒き散らしていく。

その風圧に雑草たちは
しなやかにその身体をなびかせる。


ふと見渡すと道路には環境破壊の原因が大挙を成して押し寄せてくる。


たしかにこいつらだけに
地球温暖化の負担を背負わせるのは酷な話だ。

それなのに雑草たちは排気ガスにまみれながら
文句を一言も言わず、ただじっと歩道に根を張り続けている。


なんか、ごめんな。
少しだけ、この雑草たちが愛おしく思えた。
健気なその姿に草を刈る手を止めた。


…とは言え、放置するわけにはいかない。
ふたたび草を引き抜き
それをごみ袋へとぶちこんでいく。

命の在りか


ごみ袋には無造作に押し込まれた雑草たち。
その袋にはわずかに水滴が付き、
ビニールの内側を曇らせていた。

雑草たちは身体の中に蓄えていた
水分を放出し始めている。
蒸散をしているのだ。

そう。
私が引き抜いた彼らは先ほどまで生きていたのだ。
その命を私が文字通り「根絶やし」にした。
ごみ袋を満たす雑草たちは
これ以上成長をすることはない。

水分を失いカラカラに乾いた残骸は、
いずれ燃やされ、灰になる。

命を大切にしろと教えられる一方で、
彼らは人間の都合により無情にも薙ぎ払われるのだ。
肉や魚、果ては野菜に至るまで
命をありがたく頂戴するのに。
雑草の扱いがあまりにひどすぎやしないか。

またしても草を刈る手が止まる。

でも一方で、雑草の命ってなんだ、とも思う。

人間を含む動物にとっての命は
なんとなくわかる。
心臓が鼓動を止めたとき、
あるいは脳が心臓への命令を止めたとき
死が訪れるのだと思う。

しかし、雑草には心臓がない。
彼らを根っこから引き抜いたところで
心臓も脳も存在はしない。
じゃあ、植物の命ってどこにあるのだろう。


硬いアスファルトのすき間を縫い
自らの身体を無理やりねじ込んで、
もがきながらも天高く拳を突き上げる姿を思い浮かべる。

そしてその足は、
たとえ人間に踏まれようとも
身体を引きちぎられようとも
絶対にここを離れるものかと
しっかりと地面に根を張り巡らせている。


何がなんでもこの世界で生き抜いてやろうという執念すら感じる。

その姿は、まさに命そのもの。
いや、もはや執念を超えた怨念。地縛霊だ。


ワンチャンここで
生きられたらいいなという願望や
欲望といった生やさしいものじゃない。

そこには「絶対に生き抜くという渇望」が
細胞ひとつひとつに刻まれ、
我先にと声を高らかに叫び続けているのだ。

そうすると、心臓こそ命であるという
そもそもの考え方が違うのかもしれない。

この世界はサバイバルだ。
人間がこんなぬるま湯に浸かって
他の生物たちを前に
「俺たち頑張って生きてます!」なんて
胸を張って言えるのか。

美容系男子(40代)なんて調子に乗ってるやつは、たぶん自然界で一番はじめに死ぬ。

雑草魂


緑色に染まった軍手を見てふと思う。

自分の存在だって
雑草みたいなもんじゃないか。

会社という組織には馴染めなかった。
上司からの指示ひとつひとつに疑問を持ち、立ち止まることもあった。

「これ、やめた方がいいですよ。」
そんな末端神経の声なんて届くはずがない。

必要がないこと、違和感を覚えること、
資源の無駄にすることだって
経営者が命令すれば絶対だ。


私は組織から見れば
「はたらかない細胞」になった。


だから学習塾のフランチャイズオーナーという生き方を選択した。
その日から自分は根無し草の雑草になった。
だったら何が何でも生き抜いてやると
アスファルトを突き破ってきた。

個人事業主なんて社会全体から見れば
組織から切り離された細胞のひとつでしかない。

むしろ、単細胞生物だ。
だから、なんだってやった。


経営戦略も練り、どんな教科だって教える。
ときには指導に関する苦情を受け止め、
社会のルールやフランチャイズのルールに対して違和感を覚えつつも、歯を食い縛り耐え抜いてきた。

雑草たちが笑う。

理不尽にクラクションを浴びせられ
排気ガスにまみれながらも
しなやかにからだを揺らす雑草に
自分の姿を重ね合わせた。


それでも生きていく。

大きく息を吸い込み、
太陽の光を全身に浴びる。

風と、雑草と、自分がひとつになる。


命の在りかなんてわからない。
でもたしかに、命はここにある。

細胞が活力に満ちていくのを感じる。

これが、命だ。


遠くから下校する児童たちの声が聞こえる。

草むしりは、まだ終わらない。


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