SF小説 クオリア・シフト第8話「静砂の内側」
クオリア・シフト
第8話「静砂の内側」
橘との連絡が途絶えたまま、数日が過ぎた。玲は、静砂の関係者からの電話以降、表立った調査を控えていたが、内心では、これで引き下がるつもりはなかった。
玲は、これまでに集めた資料——アクセスログ、持株会社の出資関係、被験者一号の証言記録——を、一つのファイルにまとめ直した。それを、証明チーム時代から交流のある、別の分野の研究者に見せることにした。データ倫理を専門とする、玲が信頼する数少ない相手だった。
「これは……」相手は、資料に目を通しながら、眉をひそめた。「静砂クリニックが、意識データの収集拠点になっている、ということ?」
「まだ確証はありません。でも、状況証拠は、揃いつつあります」
「玲さん、これ、危ない橋を渡ってるよ。ISCOクラスの組織が絡んでいるなら、個人で調べられる範囲を、もう超えてる」
玲は、その忠告を、正面から受け止めた。分かっていた。それでも、止まるという選択肢は、玲の中にはなかった。
「一つだけ、力を貸してもらえませんか」玲は言った。「静砂クリニックが受けている、医療法人としての監査記録。外部に公開される前の、生のデータを見る方法はありますか」
相手は、しばらく考えた末、小さくうなずいた。「……一度だけなら。正規のルートじゃないから、期待しすぎないで」
数日後、玲は、その研究者から、監査記録の写しを受け取った。膨大な数値の羅列の中に、玲は、ある異常な項目を見つけた。
*処置件数:公表されている外来患者数に対し、著しく不釣り合いな水準*
表向きの患者数に比べ、実際に行われている「処置」の数が、桁違いに多かった。心療内科の通常業務では、説明のつかない数字だった。
玲は、さらに記録を読み進めた。処置の分類コードの中に、聞き慣れない一群があった。コードの体系を、証明チーム時代に扱っていたデータベースの形式と照らし合わせてみる。
一致した。
それは、意識データの記録・処理に関する、ISCO独自の分類コードだった。
静砂クリニックは、表向きの診療の裏で、大量の意識データを、日常的に処理していた。
玲は、資料を閉じ、しばらく目を閉じた。
——これは、被験者一号のような、限られた特例の話ではない。
もっと大きな規模で、静かに、日常的に、行われてきたことだった。玲は、自分がこれまで見ていたものが、氷山のごく一部でしかなかったことを、ようやく理解した。
玲の端末に、着信が入った。表示された名前を見て、玲は、息を呑んだ。
橘だった。
(第9話へ続く)
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