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宇宙と断絶した時第7話 聞こえない声

宇宙と断絶した時

第7話 聞こえない声

海上観測都市ナギサは、

夜の海に浮かんでいた。

巨大な円形構造の周囲を、

低い波が静かに打っている。

都市の中央には、

かつて宇宙背景放射の観測に使われていた、

古い電波望遠鏡が残されていた。

現在は、

正式な観測網から外されている。

神谷澪は、

午前二時の少し前に到着した。

入口には、

一人の老人が立っていた。

早瀬宗一郎。

二十年前、

澪の父と木星圏の観測計画に参加していた科学者。

白髪は増えていたが、

目だけは鋭かった。

「来たか。」

早瀬は、

それだけ言った。

澪は挨拶もせず、

端末を差し出した。

「娘の船から届いた数値です。」

早瀬は、

画面を見た。

数秒後、

小さく息を吐く。

「やはり残っていた。」

「何がですか。」

「宇宙の拍子だ。」

澪は眉をひそめた。

「説明してください。」

早瀬は、

観測施設の内部へ歩き始めた。

長い通路には、

使われなくなった機器が並んでいる。

壁の塗装は剥がれ、

床には古い配線が残っていた。

正式な研究施設というより、

忘れられた遺跡のようだった。

二人は、

小さな解析室へ入った。

早瀬が照明をつける。

中央の机には、

古い観測端末が一台置かれていた。

「君の父は、

二十年前、

木星圏で同じ現象を見た。」

澪は動きを止めた。

「同じ現象。」

「背景放射から、

説明不能相関が消えた。」

「どのくらいの時間ですか。」

「四・二秒。」

「それだけ。」

「それだけだった。」

早瀬は端末を起動した。

画面に、

古い観測データが表示される。

微細な揺らぎ。

一時的な消失。

そして、

再出現。

澪は、

現在のデータと重ねた。

形はよく似ていた。

「なぜ公表されなかったのですか。」

「再現できなかった。」

「一度しか起きなかったから。」

「それだけではない。」

早瀬は、

別の記録を開いた。

木星圏観測船の乗員名簿。

澪の父の名前もある。

事故の前日。

観測船では、

船内時計と地球側の時計の間に、

説明できないずれが発生していた。

さらに、

船の位置も観測所によって異なっていた。

小さな誤差。

当時は、

装置の故障として処理された。

「父は気づいていた。」

澪は言った。

「そうだ。」

「では、

事故も。」

早瀬は答えなかった。

沈黙が、

答えの代わりだった。

澪は画面から目を離せない。

「父は、

何をしようとしたのですか。」

「観測を止めた。」

「止めた。」

「すべての測定装置を、

四秒間だけ停止させた。」

「なぜ。」

「宇宙を測り続けることが、

断絶を深めていると考えたからだ。」

澪は、

すぐには理解できなかった。

「観測を止めれば、

異変が戻ると。」

「正確には、

観測を一方向に固定することを止めた。」

早瀬は、

父の音声記録を再生した。

雑音の中から、

低い声が聞こえる。

「私たちは、

宇宙を見ているつもりだった。」

短い間。

「だが、

宇宙の中にいることを忘れていた。」

澪は、

その声を二十年ぶりに聞いた。

記憶よりも、

少し疲れていた。

「観測とは、

外から測ることではない。」

父の声が続く。

「観測者もまた、

宇宙の出来事の一部だ。」

そこで記録は途切れた。

澪は、

早瀬を見た。

「その後、

背景放射の相関は戻った。」

早瀬は言う。

「だが、

船の位置のずれは完全には戻らなかった。」

「父は。」

「船を地球側の観測座標へ戻すため、

一人で観測区画に残った。」

澪は、

その先を聞きたくなかった。

それでも、

早瀬は続けた。

「他の乗員は帰還した。

君の父だけが戻らなかった。」

澪は、

何も言えなかった。

父の死は、

機器事故だと聞かされていた。

真実は違った。

父は、

宇宙船を一つの現実へ戻すために残った。

それが成功だったのか。

ただの犠牲だったのか。

今は分からない。

「なぜ、

今まで黙っていたのですか。」

澪の声は低かった。

早瀬は、

しばらく答えなかった。

「証拠がなかった。」

「それだけではないでしょう。」

「公表すれば、

研究そのものが終わっていた。」

「だから父の死を隠した。」

「そうだ。」

澪は、

早瀬を強く見つめた。

怒りがあった。

しかし、

今は時間がない。

紗季たちの酸素は減り続けている。

「父は、

どうやって相関を戻したのですか。」

早瀬は、

机の下から小さな記録媒体を取り出した。

「観測者を含めた。」

「どういう意味です。」

「装置だけではなく、

乗員の脳活動と記憶を、

背景放射の観測系へ加えた。」

澪は言葉を失った。

「科学とは呼べない。」

早瀬は言う。

「少なくとも当時は。」

「今でも同じです。」

「そうかもしれない。」

早瀬は、

澪へ記録媒体を渡した。

「だが、

それで四秒間だけ、

船と地球の観測結果が一致した。」

「脳活動を使って。」

「位置を求めたのではない。」

「では何を。」

「同じ宇宙を見ているかを、

確かめた。」

澪は、

記録媒体を握りしめた。

その時、

端末が振動した。

アステリアからの通信。

澪はすぐに開いた。

今度は映像だった。

大きく乱れている。

暗い船内。

点滅する非常灯。

そして、

紗季の顔。

映像は何度も崩れる。

それでも、

娘だと分かった。

「紗季。」

澪は呼びかけた。

画面の中で、

紗季が何かを話している。

しかし、

音声は届かない。

口の動きだけ。

澪は、

何度も音量を上げた。

雑音しか聞こえない。

やがて、

人工知能が読唇解析を始める。

数秒後、

文字が表示された。

「地球が見えています。」

澪は画面に近づいた。

次の言葉。

「でも、

地球から私たちは見えていない。」

映像が激しく乱れる。

紗季が、

もう一度何かを言う。

解析結果。

「お母さん。」

一瞬、

映像が止まった。

紗季は、

まっすぐこちらを見ている。

「私たちは、

まだ同じ宇宙にいるの。」

そこで通信は切れた。

澪は、

暗くなった画面を見つめた。

答えは、

まだ持っていない。

だが、

今度は逃げなかった。

「いる。」

澪は、

届かない画面へ向かって言った。

「必ず、

同じ宇宙へ戻す。」

早瀬が、

静かに尋ねる。

「どうする。」

澪は、

父の記録媒体を端末へ差し込んだ。

「聞きます。」

「何を。」

「娘が見ている宇宙を。」

古い端末が起動する。

二十年前、

父が使った観測系。

画面には、

一つの名称が表示された。

観測者同期実験。

その下に、

父が残した短い文章。

「位置を測るな。

同じ星を探せ。」

第7話 完

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