人間と宇宙 第8話 「今」この瞬間に人間が存在する不思議
人間と宇宙 第8話 「今」この瞬間に人間が存在する不思議
これまで見てきたように、宇宙の138億年という歴史の中で、人類が存在している時間はごくわずかで、しかもその中の文明と呼べる期間は、さらに一瞬に近い。
ここで、少し視点を変えてみたい。「短い」という話ではなく、「なぜ、よりによって今なのか」という話だ。
「今」でなくてもよかったはずなのに
宇宙の138億年のうち、人間が存在できる時間帯は限られている。星が生まれ、惑星ができ、そこに生命が育つまでには、何十億年もの準備期間が必要だった。逆に、宇宙が年老いて、星がほとんど燃え尽きてしまえば、新しい生命が生まれる材料も足りなくなっていく。つまり、生命や知性が存在できる「窓」は、宇宙の歴史の中で、無限に開いているわけではない。
だとしても、その窓が開いている期間は、人間の一生に比べればとほうもなく長い。仮にその窓が数百億年続くとすれば、自分が生まれるタイミングは、その窓の中のどこであってもよかったはずだ。窓の最初のほうでも、真ん中でも、終わりのほうでも構わない。
それなのに、自分は「今」という、ごく限られた一点に生まれている。他のどの時代でもなく、まさにこの時代に。
「今」を選んだ理由は、たぶんどこにもない
この不思議さについて、はっきりした答えはない。おそらく、「今」でなければならない特別な理由は、どこにもないのだろう。
これは、フェルミのパラドックスのときに考えた「たまたま」の感覚に近い。無数にありえた可能性の中から、たまたまこの宇宙が生命の生まれる条件を満たし、たまたまこの惑星に生命が芽生え、たまたま今というタイミングに、自分という存在が意識を持っている。
理由を探そうとすればするほど、「たまたま」以上の答えにはたどり着けない。だが、これは残念な結論というよりも、むしろ出発点として受け止めたほうがよさそうな事実だ。
「今」しか選べないという、逆説的な自由
面白いのは、これだけ広い可能性の中の「たまたま今」でありながら、人間には「今」以外の時間を生きるという選択肢が、そもそも存在しないということだ。
過去に生まれたかった、未来に生まれたかった、と考えることはできる。だがそれは思考の中だけの話であって、実際に体験できる時間は、常に「今」しかない。宇宙の138億年という広大な時間軸の中で、たった一点しか手渡されていないのに、人間はその一点しか生きることができない。逆に言えば、その一点だけは、誰にも取り替えられない、確実に自分のものだということでもある。
広大な時間の中の、たった一つの点。その心細さと、その確かさは、実は同じことの裏表なのかもしれない。
一瞬であることの、静かな肯定
ここまで、人間と宇宙の間にある「距離」を、いくつかの角度から見てきた。空間的な孤独、物理定数の偶然、観測という行為、そして時間の短さと、今という一点であることの不思議さ。
どの角度から見ても、人間という存在は、宇宙の広大さに比べればあまりにも小さく、あまりにも短い。けれど、その小ささと短さは、決して人間の存在を軽くするものではなく、むしろ、今この瞬間がどれほど取り替えのきかないものかを、静かに裏づけているようにも思える。
次回からは、いよいよこの連載の後半、宇宙の「終わり」に目を向けていく。太陽の死、地球の終わり、そして宇宙そのものの果てを前にしたとき、人間はどう向き合えるのか——そこから考えていきたい。
(第9話につづく)
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