理論物理学の探しもの第26話 物理学者は美をどう頼りにしてきたのか
理論物理学の探しもの
第26話 物理学者は美をどう頼りにしてきたのか
これまでの回で、
物理学者たちが、
しばしば、
理論の「美しさ」について、
語ることに、
触れてきました。
シンプルであること。
対称性を持っていること。
無駄がないこと。
こうした性質を、
物理学者たちは、
一つの理論の、
大切な価値として、
扱ってきました。
しかし、
美しさという言葉は、
もともと、
芸術や、
デザインの世界で、
使われる言葉です。
自然界を、
正確に、
言い当てることを、
目指す物理学の中に、
なぜ、
このような、
主観的にも見える価値観が、
入り込んでいるのでしょうか。
そして、
物理学者たちは、
実際に、
どのようにして、
美しさを、
研究の手がかりとして、
使ってきたのでしょうか。
物理学者たちが語る美しさには、
いくつかの、
共通した特徴があります。
その一つが、
シンプルさです。
同じ現象を説明できる、
二つの理論があったとき、
物理学者たちは、
より少ない仮定から、
より多くのことを説明できる理論のほうを、
好む傾向があります。
これは、
オッカムの剃刀と呼ばれる、
科学全般に共通する考え方に、
近いものです。
もう一つの特徴が、
対称性です。
対称性とは、
ある操作を行っても、
見た目や性質が、
変わらないという性質のことです。
例えば、
円は、
どの角度に回転させても、
同じ形に見えます。
これは、
回転に対する対称性を持っていると言えます。
物理学の理論の中にも、
さまざまな種類の対称性が、
見つかっています。
前回までの回で触れてきた、
電弱統一理論や、
大統一理論も、
異なる力の間に、
隠れた対称性を、
見つけ出そうとする試みだと、
言うことができます。
物理学者たちは、
対称性を、
単なる、
美的な好みとしてではなく、
理論を作るための、
実践的な、
強力な手がかりとして、
使ってきました。
物理学者アインシュタインが、
一般相対性理論を作り上げていく過程は、
美しさへのこだわりが、
実際の研究を、
どのように導いたのかを示す、
代表的な例です。
アインシュタインは、
重力と、
加速度が、
区別できないという、
一つの、
シンプルな原理から出発しました。
そして、
この原理を、
数学的に、
矛盾なく、
成り立たせるためには、
どのような数式が、
必要になるのかを、
粘り強く、
追い求めていきました。
その過程で、
アインシュタインは、
単に、
観測データに合わせて理論を調整するのではなく、
理論そのものが、
数学的に、
美しく、
筋の通った形になっているかどうかを、
大切な、
導きの糸として、
使っていました。
もう一つの、
有名な例が、
物理学者ディラックの、
態度です。
以前の回でも触れたように、
ディラックは、
電子の方程式を、
数学的な整合性を頼りに、
導き出しました。
ディラックは、
のちに、
次のような趣旨のことを、
語っています。
方程式に美しさがあることは、
その方程式が、
実験データに、
完璧に一致することよりも、
重要だという趣旨の言葉です。
これは、
一見すると、
科学者らしからぬ、
大胆な発言のように、
聞こえるかもしれません。
しかし、
この背景には、
ディラック自身の、
苦い経験が、
あったと言われています。
ディラックが導いた方程式は、
最初に提案された当初、
観測結果と、
完全には、
一致しないように、
見える部分がありました。
しかし、
ディラックは、
方程式そのものが持つ、
数学的な美しさと、
整合性を、
信頼し続けました。
のちに、
実験や、
理論の側の理解が、
進むにつれて、
ディラックの方程式は、
正しかったことが、
確認されていきました。
この経験から、
ディラックは、
数学的な美しさを、
理論の正しさを判断するための、
一つの、
有力な手がかりとして、
重んじるように、
なったと言われています。
しかし、
美しさを頼りにするという態度には、
大きな、
危険も、
伴います。
美しいと感じられる理論が、
必ずしも、
自然界の実際の姿と、
一致するとは、
限らないからです。
美しさへのこだわりが、
行き過ぎると、
観測データという、
科学にとって、
もっとも大切な、
判定基準を、
軽視してしまう危険が、
出てきます。
実際に、
物理学の歴史の中には、
数学的には、
非常に美しい理論でありながら、
実験によって、
否定された理論も、
数多く、
存在します。
理論物理学の一部の分野では、
近年、
数学的な美しさを重視するあまり、
実験による検証が、
十分に、
進んでいないのではないかという、
批判の声も、
上がっています。
超弦理論のように、
高度に数学的で、
美しいとされる理論が、
長年にわたって、
実験による、
決定的な検証を、
得られていないことは、
こうした批判の、
代表的な対象と、
なっています。
美しさは、
物理学者にとって、
新しい理論を作り出すための、
貴重な、
道しるべであると同時に、
時として、
道を誤らせる、
危険な誘惑にも、
なり得るのです。
それでも、
物理学の歴史を振り返るとき、
美しさへの感覚が、
多くの、
重要な発見を、
導いてきたことも、
また、
事実です。
物理学者たちは、
美しさを、
理論の正しさを保証するものとしてではなく、
まだ見ぬ理論へと近づくための、
一つの、
有力な手がかりとして、
大切にしてきました。
最終的に、
理論の正しさを決めるのは、
美しさではなく、
自然界そのものです。
しかし、
その自然界の姿にたどり着くまでの、
長く、
困難な道のりの中で、
美しさへの感覚は、
物理学者たちにとって、
かけがえのない、
道しるべであり続けてきたのです。
次回
第27話 物理学に「なぜ」の終着点はあるのか
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