めいそう日〜Day387:古から時を超えて(前編)
1. 瞑想小咄〜古から時を超えて(前編)
先日伊勢で「生きる正倉院」という展覧会が行われていた。伊勢神宮は20年に一度の式年遷宮の際、御装束神宝という社殿の中を飾りつける調度品や武具、神様のためにあつらえた服など、714種・1,576点を全て新しく調製する。式年遷宮は今から1,300年前、持統天皇の時代に始まっており、その頃から御装束神宝も現代と同じように調製されていたことが考えられている。その事実を踏まえると、1,300年前に作られた宝物と同じに近い宝物が今も私たちの目の前に存在しているということだ。当時作られたものと全く同じではないにせよ、その頃の形を留めており、古代の日本を知る貴重な資料である。その展示が展覧会の中で、正倉院宝物の複製品と共に展示されていた。そんな展覧会だった。
正倉院は持統天皇の存在した飛鳥時代から60年ほど上った奈良時代。聖武天皇の祖母が持統天皇の異母妹にあたる元明天皇なのだが、その聖武天皇が亡くなった折、妻の光明皇后が聖武天皇遺愛の品を東大寺に奉献したことが始まり。伊勢神宮と正倉院の展覧会を機に、正倉院について調べているととても興味深くなって、せっかくなら本物の正倉院を見てみたいと思っていたところ、ちょうど折よく正倉院展が開かれることになっていたので、早速行ってみた。
正倉院展の会期に合わせて、正倉院の外構(建物)も一般に公開されていた。通常は正倉院を直接見ることはできないが、正倉院展の会期中は特別に見ることができる。もちろん中には入ることができないが、建物自体を目の当たりにするだけでも大変貴重な機会。実際に目にした第一印象は「大きい…!!!」だった。想像よりも数倍大きかった。実際は数倍大きいというわけではないのだろうが、存在感が大きかった。歴史の重みというか、迫力というか。そんな重厚感が漂っていて圧倒されてしまった。
よくよく見ると、一部分は若干傾きがあるようにも見える。長い歴史の中、風雨やら自然災害やらを乗り越えて、千数百年の間ずっと野晒しだったのだ。むしろ朽ち果てることなく、今もなお堂々とした風格を漂わせていること自体が奇跡のようなものだ。願わくば、この先もまた千数百年の間この形が残り続けていくことを祈りたいものだ。
正倉院の宝物は、かつてこの倉の中に唐櫃と呼ばれる木で作られた箱の中に入れて保管されてきた。年間を通じた寒暖差が激しい上に湿度も高い日本において、朽ち果てることなく宝物が現代まで残っているのは、木の高い温度と湿度の調節機能の故だと思われる。木が温度や湿度によって膨張したり収縮したりすることで、その中の温度や湿度の変化を少なくする。伊勢神宮の茅葺き屋根の社殿も全て木材と茅葺で作られているが、重たい茅葺屋根を支えるべく、木の膨張と収縮を考慮した上で社殿が建築されている。あえて一部木と木の間の空間を開けておくことで、可動域を残しておく工夫などがされているそうだ。
最近は耐震性を考慮して、木造建築が少なくなってきているが、木造建築というのは、この土地の気候にはとても合っているのだとあらためて考えさせられる。
後編へ続く。
2. 今日の瞑想〜2022.11.8 Tue 6:30〜(20min)
火曜日の朝。今日も瞑想から1日を始める。昨晩は体調を考慮して早々に就寝。そのおかげもあってか、起床後の体調はまずまずといったところ。
今日の瞑想音楽はこれ。
姿勢を正して目を閉じて、まずは呼吸に意識を向けていく。落ち着いたところで、身体に意識を向ける。全体を観察してみて、多少喉の辺りに違和感はあるが、昨日に比べてマシになっているのがわかる。
そのまま意識を鎮めていく。思考も時々湧いてくるが、うまく流して。すると、次第に肩の力が抜けてきた。知らず知らずのうちに、身体は緊張しているらしい。
肩の力が抜けてくると、身体全体が沈み込むような感覚になってきた。重力に身を任せているとでも言おうか。そんな感覚を味わいつつ、アラームが鳴って終了。
