恋文の旋律を奏でて 旧前田家本邸 洋館サロンコンサートにて
音楽家は、「恋する気持ち」をどのように伝えていたのでしょうか。
言葉(例えば手紙)ではなく、旋律として。
旧前田家本邸での室内楽コンサートは、そんな“あえて言葉にしない、気持ちの伝え方”について想いをはせることができた時間でした。
京王・井の頭線「駒場東大前駅」から徒歩10分ほどの駒場公園内にある旧前田家本邸で開催された室内楽コンサート『不滅の恋人へのオマージュ ベートーヴェンからシューマン、ブラームスへ』に行ってきました。
およそ60名ほどの限られた数の客席。静かな洋館の一室で行われるその音楽会は、一般的なコンサートホールでの演奏会とは異なり、演奏者との間の距離感が、どこか親密で、一つひとつの音が直接語りかけてくるような、そんな体験となりました。
今回の音楽会は、単に演奏を聴くだけではなく、プログラムの前半に「お話」が用意されていたことが大きな特徴でした。まず、演奏される作品の背景にあるストーリーや、作曲家たちの人間関係が丁寧に語られ、その後に音楽を聴く、という「サロンコンサート」ならではの構成となっていました。

今回の企画で中心となっていた作曲家は、シューマンです。
彼は、のちに結婚する恋人クララへの想いを、
ベートーヴェンの『遥かなる恋人に寄せて』の旋律を、
自作の中に“忍ばせる”というかたちで表現しました。
『遥かなる恋人に寄せて』Op.98は、ベートーヴェンが作曲した、
「遠く離れた恋人を想う」作品です。
その美しい旋律は、後の作曲家たちを魅了し、受け継がれていきました。
「お話」の中では、シューマンやブラームスが実際に引用したベートーヴェン作の旋律を、ピアノで示していただきましたが、
シューマンの『幻想曲』Op.17においては、ベートーヴェン作の旋律をそのまま引用して用いるのではなく、シューマンは、いったん細かく分解し、自らの音楽の中に溶け込ませています。
そしてさらに、恋人クララとの甘美な記憶に結びついた音型も織り込まれており、それはシューマンとクララにしかわからない、いわば「暗号」のようなものでもありました。
ちなみに、シューマンとクララの関係にも少し触れておきます。
音楽家を志したシューマンは、1830年にクララの父ヴィークのもとで本格的な音楽教育を受けることとなりました。
その頃すでに天才ピアニストとして活躍していたクララと一緒に音楽を学ぶなかで、二人は次第に心を寄せ合っていきました。
しかし、クララの父ヴィークは二人の関係に強く反対し、交際を禁じてしまいます。
そのようなつらい状況の中で、クララへの想いを抱きながら作曲されたのがシューマンの『幻想曲』Op.17なのでした。
お話のなかで解説されたのは、単なる「引用」という言葉だけでは捉えきれない、より個人的な心の表現についてです。
誰もが聴くことができる音楽でありながら、
実は、そこに込められた想いは、たった一人の人に向けられている、
というあり方です。
具体的には例えば、悲しみを帯びたハ短調への転調。
この「C」はクララの頭文字でもあり、まさに二人の間だけで通じるコード(秘密)なのです。シューマンは、こうして愛する人への想いを作品の中に昇華させていきました。
また、同じベートーヴェンの旋律は、ブラームスにも受け継がれていきました。
シューマン夫妻とも深く関わった彼は、『ピアノ三重奏曲 第1番 ロ長調 Op.8』の中でこの旋律を取り入れています。
しかし後年になって、この作品を改訂した際、その部分は姿を消してしまいました。
なぜそのようなことに至ったのかは、想像するほかありません。
といったようなお話を聞いたあとで、実際の演奏を聴くと、音の聴こえ方がだいぶ深みを増しました。
奏でられる旋律は、ただ美しいだけではなく、作曲家の想いが込められたものとして立ち上がってくるのです。
シューマンの、そしてブラームスの、それぞれの想いが感じられるかのように。

作曲家にとっては、
手紙ではなく、旋律が
「恋文」そのものでした。
言葉では伝えることができない何かを、
作曲家は音の中に託し、
そして、その音は、
時を越え、作曲家の手を離れた後も、
“悲しみを乗り越えていくための音楽”として、
また別の誰かの心にも届いていく、永遠に、
ということなのだろうと思います。
<プログラム>
お話:
シューマン(幻想曲):楽譜に刻まれた「秘密の暗号」
ーベートーヴェンの影とクララの面影
ブラームス <ピアノ三重奏曲第1番>:師の影をう「禁じられた情熱」
一彼は継承し、そして心を「暗号」に閉じ込めた
演奏:
L.v. ベートーヴェン:連作歌曲集く遥かなる恋人に寄せて>Op.98より
R.シューマン:幻想曲ハ長調 Op.17
J.ブラームス:ピアノ三重奏曲 第1番口長調Op.8(1854年版)より
↓プレシャス プランナーさんは、シューマンの《幻想曲》 Op.17について、詳しく書かれておりますので、ぜひお読みください。
おまけ: 今回のコンサート会場『旧前田家本邸 洋館』を見学

京王・井の頭線「駒場東大前駅」から徒歩10分ほどの駒場公園内にある旧前田家本邸。以前から、行ってみたい場所だったので、少し早めに訪れ、お部屋を見学させていただきました。






こんな素敵な会場でのサロンコンサートは、正直なかなかないと思います。コンサートホールでは体験できない優雅な気分を、おかげさまで存分に満喫することができました。秋にも次の音楽会を予定しているそうなので、今から楽しみです。渋谷駅経由でのアクセスもさほど遠くない場所なので、ぜひ、お散歩がてら行かれてみてはいかがでしょうか。
この記事を下記のマガジンに加えて頂きました!ありがとうございました。


