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だから私は、韓国へ旅に出る。

この文章は、ニコンビジョンとnoteで開催するお題企画「#私が夢中になるとき」の参考作品として主催者の依頼により書いたものです。

「推し」が、いるわけではない。「美容」……も、どちらかというと疎い方だ。それでも、数ヶ月に一度、韓国へ行く。3ヶ月もすると「最近韓国行ってなくない!?」なんて口にしたりする。しばらく行けない期間が続くと、子どもたちまで「あー韓国行きたいわー」と言い出し、鼻歌がソウルの地下鉄の発車音になっていたりする。そしてそれを聞いてまた、私は韓国への思いを募らせるのだ。

2年ほど前、娘と2人旅で10年ぶりに韓国を訪れた。妹とたちと10年前に訪れた韓国ももちろん楽しかったけれど、その頃よりなんだかぐんと洗練されて、パワフルになっているように感じた。それ以来、何度行っても、気づけばまた足を運ぶ、というのを繰り返すようになってしまった。

韓国のなにがこんなに私の心を掴むのだろう。どうして、行くたびに夢中になるのだろう。

圧倒的に近い、非日常

飛行機で2時間半で行ける海外。これは、旅好きにはあまりにもうれしい。航空券だって海外旅行にしてはお手頃だ。マイル数も沖縄より少なくて済むことが多い。

もちろん時差もないので、現地からオンライン会議に出席することだってできる。最近は会議に出た瞬間「今、韓国なんです」と言っても誰も驚いてくれない。メールも即、返信可能。仕事だってさくさく進む。(泣いてなんかいない。)

だけど、これだけ近いのに、ハングルがあふれる街は旅情でいっぱいなのだ。地下鉄の駅では、いつもどちらに進めばいいのか戸惑ってしまう。こんなに近いのに、ここはやっぱり異国だ。旅を感じられる瞬間が、非日常に迷い込み、夢中になる瞬間が、いつだってある。その瞬間を、私はいつも求めているのだと思う。

時間を忘れる、仁寺洞のポジャンマチャ

昔ながらの食堂で食べるポッサムも、漢江で地元の人たちに混ざって食べるラーメンも、カフェのベーグルも、中華レストランのジャージャー麺も、とにかく飽きないグルメの数々。お米もあるからなのか、あまり「和食シック」にならないのもうれしい。行けば行くほど、何度行っても行ききれないと思うほどに、新しいお店も気になるお店もどんどん増える。

そんな中で忘れられないのは、息子と仁寺洞(インサドン)のテント屋台「ポジャンマチャ」でカルグクスを食べた時のことだ。隣に座った韓国人のお兄さん2人が「どこから来たの?日本人?何年生?」と、息子に話しかけてくれた。息子は習いたての、つたなすぎる英語で懸命に応えた。

サッカーをしていること、数学が好きなこと、最近観た韓国ドラマは『梨泰院クラス』……。息子が身振り手振りで必死に伝えて、お兄さんたちは焼酎を飲みながらにこにこと聞いてくれた。海外の人とコミュニケーションがとれた喜びで、息子が照れくさそうに笑う。テント屋台の、ドラマで見たあの世界に溶け込んだような景色が、そこにあった。なんだこれは、本当に『梨泰院クラス』のワンシーンみたいじゃないか。「ハンサムだね!」なんて言われている息子は将来パクソジュンにでもなっちゃうのかもしれない!!と、思いながら私は韓国焼酎を飲む。

将来のパクソジュンとカルグクス

最後に慣れないウォンの支払いをお兄さんたちは手伝ってくれた上に、息子には「お母さんと旅行なんて、素敵だね!良い旅を!」と爽やかに手を振ってくれた。

その日は、一日歩き回って疲れ果てていた。「早めにホテルに戻って休もう」「1杯だけ飲んで帰ろう」と言っていたはずなのに、気づけばお兄さんたちと話すことに夢中になり、あっという間に時間が過ぎていた。ポジャンマチャのどこか懐かしい、だけど活気ある空気と、そこで出会った地元の若者たちとの交流が、旅の疲れを忘れさせてくれる。

ファッションの世界観に没頭する

いまやソウルはファッション大国だ、と私は思っている。

特に韓国のデザイナーズブランドはショップの内装がかなりこだわっていて、建物全体がテーマパークのようになっていたりする。

特徴的な外観に惹かれてブランドの旗艦店にたまたま入った時、その細かいところにまで凝った内装に圧倒された息子が、「このエレベーター、実はタワーオブテラーみたいになってて、急降下するんじゃない!?」と言い出した。それほどまでに、細部まで世界観が完成されていたのだ。心を奪われたらしい息子は、自分のお小遣いでもなんとか買える値段のairPodsケースを見つけて購入していた。それまでそのブランドのことを何も知らなかったのに、すっかりファンになってしまったらしい。

結局私たちは、気づけばそこで二時間ほど過ごしてしまった。だけどもうすぐ高校生になる息子と2人で、洋服を見ながら2時間も過ごせるなんて、考えてみればなかなかない体験だ、と思う。

洋服だってオンラインで買うことが多くなってきたけれど、ブランドの世界観に丸ごと浸る体験というのはなんだか改めて新鮮だ。若い頃はそれが当たり前だった気もするのだけれど、こうしてまだ今も洋服の世界観に没頭できるというその事実に、ちょっとうれしくなってしまうのだった。

「かわいくなりたい」を笑わない

ソウルの街を歩くと、ほんとうにものすごい数の美容皮膚科の看板に出会う。その数はおそらく、熊本の商店街でくまもんに出会う数と同じくらいだと思う。(どうか熊本へ行ったらくもまもんの数を数えてみてほしい。)そして美容皮膚科へ行くと、それはもう、国籍問わず、老若男女様々な人たちで溢れている。そう、男性もとても多い。ベビーカーの赤ちゃんを連れたお母さんや、親子二代で来ている人もよく見かける。

私は元々洋服が好きで、働いて得たお金の大部分を洋服に注ぎ込んできてしまったため、美容に関してはかなり後回しにしてきてしまった。だけどそんな私でも楽しめる「美容」が、韓国にはたくさんある。

美容皮膚科だけでなく、例えば芸能人も相手にしているメイクスタジオが一般の人にもメイクをしてくれたり、そのまま「盛った自分」の写真を撮ってくれるスタジオがあったりする。そこには、年齢男女問わず「かわいくなりたい人」を、嘲笑しない雰囲気があるように思うのだ。

だからだろうか、ドラッグストアのオリーブヤングの看板を見つけるたびになぜかうれしくなり、店内に吸い込まれてしまう。これでもかというほどにパッケージにこだわった色とりどりの化粧品に心が満たされ、それだけでなぜか自分まで「かわいく」なれる気がする。もうすぐ中学生になる娘と2人で、同じ目線で、夢中になってあれこれコスメを選ぶ時間も、韓国でなら叶うのだ。「かわいい」を笑わない空気が、大人を素直にしてくれるのだと思う。

オリヤンに置かれているコスメはほとんどが今や日本でも買えるはずなのに、それでもつい韓国で買ってしまうのも、そういう空気のおかげなのだろう。美容というのは、本来心から「楽しい」と思えてこそのものなのだ、と、韓国へ来て初めてわかった気がする。

行くたびに変わる街と、タプシムニの古い壺

例えば聖水(ソンス)という街では、様々なブランドのポップアップがしょっちゅう行われている。そのため、1ヶ月後に行くと街の雰囲気ががらりと変わっていたりする。街ごとに色が変わるというのは、東京にも少し似ている。でもそれが、さらに短いスパンでころころと表情を変える。

変化を目の当たりにすると、やっぱりそこに何かしらのパワーを感じることができる。街を歩きながら、元気になっていく自分にも気づく。特に聖水の街なんかは、気づけば何時間も歩いていたということも少なくない。行くたびに変わる街そのものが、韓国に夢中になる理由の一つだと思う。

そういった、ころころ変わる街の表情が魅力的な一方で、韓国の古いものもまた、いつも私を惹きつける。

「踏十里(タプシムニ)古美術商街」には、古美術やアンティークものを扱う渋いお店がビルの1階にずらりと並んでいる。決して、おしゃれで洗練された空間というわけではない。だけど、東南アジアの市場のような混沌とも少し違う。お店の人たちはとてもとても親切で、よく見ると洗練された、ポジャギという韓国の伝統的な布のパッチワークや、ソバンという1人用の小さな膳が、静かに並んでいる。

お店の人に案内されて奥の方へ連れて行かれると、そこには李氏朝鮮時代の壺がずらりと並んでいる。あまりに美しいその並びに、雑多なビルの中で、そこだけ時間の流れが止まったように感じる。最近は韓国へ行くたびに、この壺をひたすら眺めては「いつか連れて帰ろう……」と、夢見ている。待っていて、壺……。

私はとにかく古いものに魅力がある街が昔からとても好きなのだけれど、ソウルはそういう街だと思う。古い映画に迷い込んだような気分になることがたまにある。新しいものと古いもの。そのバランスに、心を掴まれるのだ。

たぶんだから私は、また韓国へ旅に出る

いつも思うのだけれど、旅というのはいつだって、完璧には終わらない。100%満足して終わることは、まずない。うまくいかないこともあれば、やり残したこともたくさん残る。

それどころか、私は韓国にいる間、たいていなにかを忘れている。次に立ち寄るはずだったカフェの場所、オリーブヤングで買おうと思っていた新しいシートマスク。ポジャンマチャで時間を忘れて飲み続け、ブランドショップで2時間も夢中になって息子と買い物をし、古い壺をひたすら眺めているうちに、つい他にやろうとしていたことを忘れてしまっている。

でもこれこそが、韓国旅なのだと思う。何気ない瞬間に、夢中になって時間を忘れてしまう。その積み重ねが、思いもしなかった、新しい体験と記憶になっていく。

こんな具合だから、韓国旅の終わりにはいつも「もっとあれがしてみたい」や「あそこに行ってみたい」が残る。そして「また、いつかね」と言ってそこを後にする。

韓国という場所は、「またいつか」が、ちゃんとやってきてくれる。「ここではないどこか」だけど、手を伸ばせば届く場所なのだ。だから私は、何度も何度も、夢中になる。

だけど、どれだけ近くても、たぶんこの旅が、完成することはない。人生と同じように。だけど、それでいいのだ。 予定を忘れ、夢中になれる、そんな「次」をいつまでも信じることは、きっとしあわせなことだから。

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虫明 麻衣(Mai Mushiake) ありがとうございます…! いただいたサポートは、ヤクルトスワローズへのお布施になります! いつも読んでいただき、ありがとうございます!