幸せを感じるために悪夢を見るのかもしれない
メガネを何度かけ直しても、レンズを拭いても0.01の裸眼視力のまま、大学受験やり直し、舌先で押した歯が全部ぽろぽろ抜け、口の中でごろっと転がっている……私がよく見る夢だ。なかなかの悪夢っぷりである。
特に大学受験をやり直す夢はよく見る。
シチュエーションは様々だが、だいたい高校3年間をもう1回やり直すことが多い。年下の同級生たちと授業を受け、模試に臨み、大学受験に向けて日々を過ごす中で、あれっ?私もう大学は卒業しているんだから、受験しなくてもいいんじゃない?と気づくとか、同級生に「実はもう大学は卒業してるから、受験はやめようと思う」などと告白するシーンが多い。そういえば、今大学に入学して、20歳以上も年下の子と一緒に講義を受けるの?ん?私今何歳だっけ……となったところで夢から覚める。
こんな悪夢を見るのは、心当たりがある。
私は大学受験というものをどこかに置いてきてしまった気がする。第一志望の大学には入れなかったが、進学先の大学生活は楽しく、今のパートナーとも巡り会え、多くの友人を得て、人生的にはこの進路は間違いなく成功なのだが、それでも、私は大学受験を、まだ寒さの残る19歳の3月に置いてきてしまった。高校3年間、演劇部の活動に一生懸命だった私は、最低限のテスト勉強しかせず、大学受験は、予想はしていたが、全滅だった。親に甘えて当然のように浪人をし、予備校に通って1年間は頑張った。あんなに勉強をしたのは後にも先にもあの1年間だけだったように思う。それくらい行きたい大学があった。国内でも難関と言われる国立大学だった。迎えた1月、私はセンター試験に臨む。神戸の急な坂の上にある会場は薄ら寒く、マークシートを塗る鉛筆の先が微かに震えていた。手応えはまずまずだったが、自己採点は微妙なものだった。理系の学部を受験するのに、数学や理科の得点が伸びなかった。増える赤ペンのバツ印に冷や汗をかく。結果的に目標としていた点数には少し足りなかった。もっと言うと、第一志望の大学を受けるにはちょっと不安要素が残るものだった。
悩みに悩んだ。第一志望の大学は二次試験重視だ。二次での巻き返しは十分に有り得る範囲内ではあった。しかし同時に怖かった。これでダメだったら、本当に行き先がなくなってしまうのではないか。二浪をする体力も胆力もなかった。
結局私は第一志望を諦めた。センター試験の自己採点でA判定が出ていた大学に願書を出した。当時のシステムでは願書を出した後にいわゆる滑り止めの私学の結果が届く。受験した私学の方は合格だった。
なんだかふっと虚無感が襲ってきた。私学の結果が分かっていれば、第一志望の大学に、せめて前期だけでも願書を出したのに。
その後何年も、当時の第一志望の大学にチャレンジすらしなかったことを悔やんでいる。その後悔が夢に出るのだろう。何度でも言うが、進学先での生活は結果的には充実したものだったが、今でもその第一志望の学校に受かっていたら、どんな人生だったのだろうかと、インターネットでその大学の偏差値を調べたりしてしまう。テレビでその大学のキャンパスが映った時、その大学出身だという人に出会った時……どうしようもない無念に襲われる。同時に、この悪夢を見たあとは、いや、今の人生で良かった。辛いこともたくさんあったけれど、それよりも得たものがとても大きかった。何より今私は幸せだと感じることができる。
そのことを実感するために、この夢を見るのかもしれない。
※この記事は以下の企画に参加したものです。ありがとうございます。
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