赤ってどんな色? 日本人の色彩感覚の変遷を覗き見る(青についても少し)
われわれはごく当たり前にように視覚でもってモノを見ているわけですが、この視覚が正常に機能するためには2つの段階を経る必要があるようです。
まず視界に映るモノを目で見る、そして、
見たモノがなんであるのかを脳が処理する。
この2つが機能していないとモノを見てもちゃんと認識することができないらしい。今あなたが画面越しにわたくしの投稿をご覧になっている間にも(ありがとうございます!😊)にも脳内では驚くべき複雑かつ高速な処理が行われていることになります。
画面を見て、そこに書かれているものが文字であると認識して、さらにその文字を読解するという作業をほぼタイムラグがない状態で行っている。
しかし一方で目で見たモノを脳で処理・判断する段階でいろいろなバイアスやらフィルターやらがかかる。その結果、同じモノを見ても人によって見方も、感じ方も変わってきちゃう。文字による表現とはそうしたバイアス/フィルターによる感じ方の違いの幅をできるだけ小さくする役割を持っているのかも知れません。
1.虎塚古墳の壁画 in 茨城県ひたちなか市
というわけで、↓の画像は茨城県ひたちなか市中根にある虎塚古墳。古墳内部の石室の内壁に鮮やかな彩色が施されていることで知られている古墳で、毎年春と秋に一般公開されているのを見てきました。


この虎塚古墳の造営は7世紀前半頃と考えられており、説明板にもありますが全長56.5メートルの前方後円墳。後円部が直径32.5mに高さ5.5m、前方部は幅が38.mに高さ5.2m、堂々たるサイズです。
1973年に発見され、石室からは遺骸(成人男子と推定)、さらに全長38cmの漆塗りの太刀、鉄鏃などが副葬品として発見されたそうです。この地の有力者の墓として造営された、ということでしょうか。
なにせ約1400年前の貴重な遺跡ですから、内部はもちろん撮影禁止。↓はすぐ近くにあるひたちなか市埋蔵文化財調査センターにある実物大のレプリカ。

一見して目を引くのは正面の奥壁に描かれた2つの円(環状文)。太陽や月を描いたとも、魔除けの紋様だとも考えられているそうです(もちろん、両方を兼ねているのかも知れません)。



円を描く時に使ったコンパスの軸の痕も残されているのが面白いですね。

↑擬人化された虎塚古墳のイメージキャラクター
↓は現地でもらったパンフレットにあった壁画の説明。

2.赤色が持つ神秘性、そしてベンガラとは?
この鮮やかな赤は「ベンガラ」と呼ばれる顔料が使用されています。ベンガラとは「酸化第二鉄」とも呼ばれるもので、赤鉄鉱や赤土、黄鉄鉱などの天然素材から作ることができますが、この虎塚古墳で使われたベンガラは鉄バクテリアを利用して人工的に作られたものらしい。↓はその説明板。

ずいぶんと高度な技術が用いられて作られた顔料のようです。
全国各地に見られる「赤石」という地名や姓はこのベンガラが採取できる石が由来なのでしょうか? 兵庫県の有名な明石市(日本標準時の地として有名)の地名由来のひとつにも「赤石」説がありますし。
さて、赤は赤ちゃんの産着(というか名称もそのまんま「赤」!)や還暦の赤いちゃんちゃんこに代表されるように魔除けの力を持つと考えられていました。江戸時代に天然痘が流行した際にも赤のモノを感染を防ぐためのお守りとして使用されていました。赤いミミズクを描いた「疱瘡絵」とか。↓は歌川国芳作の疱瘡絵。

国芳と言えば猫の絵がよく知られていますが、このミミズクもいい味だしてます!
当時の絵師はこんな仕事もしてたんですねぇ!
あとは現代の我々にもおなじみな赤ベコとか↓

で、この日本における「赤」の色彩ですが、大きく分けると3つの種類があったようです。まず稲荷神社の鳥居でおなじみの丹砂(辰砂.硫化水銀)由来の赤。一般的には朱色と言われますね。
2つ目が第二酸化鉄由来のこのベンガラ。そして3つ目が鉛、四酸化鉛由来の鉛丹(えんたん)。これはあのポンペイ遺跡で使用されていることから「ポンペイ・レッド(Pompeian Red) 」とも呼ばれています。
このうち鉛丹は他の2つに比べて後発のようで、もともとは丹砂/辰砂由来の赤の代用品として使われたのをきっかけに広く普及するようになったとのことです。
なお、わたくしの丹砂に関する知識はおもに↓の本からの受け売りとなっておりますので(笑)、ご紹介。
かなり古い本ですが、一般人が手にとって読めるこの手の学術的な本は現在でもごくごく限られていますので価値はそれほど下がっていないと思います。
この本では古代ではもともとベンガラのことを「そほ」と読んでおり、中国から漢字が入ってきたときに「赭」という漢字を充てて使うようになったと書かれています。そして辰砂由来の赤はこのベンガラに対して「本物の赤である」という意味を込めて「真赭(まそほ)」と読んでいた…
なにやら漢字(真名)とひらがな・カタカナ(仮名)の関係をうかがわせますが、ただしどうもベンガラの方が辰砂よりも古くから使われていた赤であって、辰砂由来の赤は後に広く使われるようになったうえでベンガラを凌駕する評価(もしくは神秘性)を備えるに至った…という可能性もありそうです。
なぜ辰砂が「本物の赤」と見なされるようになったのか?
3.辰砂と水銀、錬金術との不思議な関係
この辰砂/丹砂は水銀の材料でもあります。水銀はヨーロッパやアラビア世界の錬金術においても非常に重要な役割を担っており、あらゆる病気を治すエリクサー(ファンタジー世界でおなじみ)や病気を治し、あらゆる金属を金に変えるという「賢者の石」の材料とも考えられていたそうです。
かのアイザック・ニュートンが晩年に錬金術の研究に入れ込んだ挙げ句せっかくの人類史上最高レベルの頭脳を水銀中毒でダメにしちゃった…なんてトホホな話もあったりして。
賢者の石についてはヨーロッパ世界では赤い色、アラビア世界では黄色をしていたと見られていたそうですが、丹砂/辰砂は粒子が粗いと深い赤みを帯びて、細かいと黄色みを帯びるようになるらしい。↓は鎌倉にある鏑木清方記念美術館にあった説明


中央の9番が辰砂です。
そしてここ日本では苦行を積んだ末にミイラと化し、生きながらして仏になる即身仏においてこの水銀が非常に重要な役目を担っていたらしい。
もともと日本のような蒸し暑い気候はミイラづくりにはまったくもって向いておらず、何らかの防腐措置が必要になる、そこで水銀の殺菌防腐作用を活用したようです。
ヨーロッパ/アラビア世界の錬金術においては不老不死を実現することは(今のところ?)できませんでしたが、日本の仏教では生きながら仏陀になることで実現したことになる。
神秘の世界ですねぇ。
さらにかつての仏像製作では表面に金メッキを施す際に水銀が使用されていました。「水銀アマルガム法」と呼ばれるもので、水銀と金を混ぜ合わせた状態で仏像に塗布し、加熱して水銀を蒸発させることで金を仏像の表面に貼り付かせることができる、というもの。
奈良の大仏もまさにこの水銀アマルガム法によって金メッキが施されており、作業に従事した人たちの間で水銀中毒が続出、これは日本史上初の労災ではないか?なんて意見も。

ちなみに特撮ヒーローの名作、宇宙刑事ギャバン(1982)の変身「蒸着」はまさにこの水銀アマルガム法と共通する蒸着技術が採用されたものである。
どうやら蒸着技術によってコンバットスーツを体に貼り付けて変身する…というメカニズムらしい。
↓のこの変身シーンを見れば水銀アマルガム法とはどのようなものなのか、その概要がご理解いただけるはずである(興味ない方はスルーで!😂)
像が仏になる際にも、人間が仏になる際にも水銀を必要としていた、というのも面白いですね。
さて、ミイラと化しつつ生きながらにして仏になる即身仏はおもに羽黒修験を中心とした真言宗一派によって行われていました。そして真言宗の本拠地、高野山は辰砂/丹砂の産地であり、さらに京都の伏見稲荷神社は明治の神仏分離/廃仏毀釈まで真言宗の東寺の管轄下にありました。
おそらく、虎塚古墳が作られた7世紀初頭と、空海の登場から真言宗の普及がはじまった9世紀以降との間では日本人の「赤」に対するイメージが大きく違うのではないかと思います。
真言宗によって赤の色彩における丹砂/辰砂の優位が決定づけられ、茶色っぽい赤よりもより鮮やかな朱色が「神秘の赤」の主役となっていった…
と推測したいのですがいかがでしょうか?
もっとも現在でもベンガラは宗教施設でも使用されていまして、有名なところでは岡山県の最上稲荷の大鳥居があります。↓の画像

扁額には「紅柄(ベンガラ)」の文字が。

↑鳥居の説明板
浅草浅草寺の雷門もベンガラを使っていることでちょいと有名です。

ともかく、同じ日本人でも時代によって同じ色を見ても受ける印象が大きく違う可能性があるのだ!
↓は山形県酒田市にある海向寺。2体(尊)の即身仏、忠海上人(1755年入定)と円明海上人(1822年入定)が安置されていることで知られるお寺です。もちろん、撮影禁止。





↑円明海上人がこの地下で入定(つまりミイラ化)したらしい。
4.人間の感覚の不安定性
そしてこの日本人の色彩感覚の変化は人間の感覚は文化、信仰、言語などの影響を受けることを示唆しています。
例えばヨーロッパではカイガラムシから作られた「コチニール」とも呼ばれる赤い顔料が高貴な色として上流階級で使用されていました。
この色は日本語では緋色、英語だとスカーレットと表現されることが多いようです。ちなみにコナン・ドイル作、シャーロック・ホームズ・シリーズの第一作「緋色の研究」の原題は「A Study in Scarlet」。
ですから、日本の文化・信仰をルーツに持たない人でも、日本の文化・信仰に興味を持って接するようになれば次第に丹砂/辰砂由来の朱色に神秘的な印象を抱くようになるのでしょう。
一方でヨーロッパの文化・歴史にルーツを持たない人(例えばわれわれ日本人)もヨーロッパの文化に興味を持って接するようになればカイガラムシ由来の緋色/真紅に高貴な印象を抱くようになるはず。
こうして見ると人間の感覚とは多くの状況において後天的なものであって、生まれ持ったものではないとも言えます。しかもかなり不安定。
そして感覚の違いとはどちらが優れているとか、劣っているかといった話ではなく、どの人種や国民、言語が優れているか、劣っているかの話でもない。単に違うというだけの話。
そしてしばしば「人は第一印象が大事」「人の印象/評価は見た目で決まる」などと言われますが、これは適切な考えではないとわたしは断言したい。第一印象でその人を評価できるほどわたしたちの脳は適切な処理能力を持っているのか?
これまで日本は均一な社会であったと言われていまして、似たような外見(髪型や体型、服装を含む)をした人たちが多くを占める環境でした。そんな環境なら第一印象で人を評価してしまうこともある程度はできるでしょう。それまでの人間関係で得てきたデータの蓄積を判断材料として使用できるからです。
しかし多様化の時代を迎えていろいろな外見、あるいはいろいろな価値観を外見で表現しようとする人が増えていくとそうした手段が通用しなくなるでしょう。馴染みのない外見(例えばアジア系以外の外国人)と会った時に単に馴染みがないというだけで拒絶反応を示してしまうかもしれません、あるいは自分の価値観に合わない服装(単にスーツを着ていない、ハイヒールを履いていないだけでも)をしている人に対してネガティブな評価を下してしまうかも知れません。
個人的な話ですが、ここ数年わたくし旅行先(国内)で現地の人から外国人に間違えられる機会があります(わたくしは生まれも育ちもバリバリの日本人です🤣)。そんな方に「いや、日本人ですよ」と返すと相手はちょっと及び腰だった態度が一変してフレンドリー(?)になります。
おそらくわたしが日本人だとわかった瞬間に第一印象の「この人日本人?」という疑問をともなう印象が吹き飛んで日本人にしか見えなくなったはずです。そう、感覚も印象も不安定なのです。
これからの日本は第一印象だけで安易な判断を下すことが許されない社会になっていく、というか、自分の直感(しばしば深層心理にある固定観念に影響される)に依存しすぎないことが求められる社会になっていくのかもしれません。
…ちょっと真面目な話になってしまったのでここでわたくしの失敗談をひとつ。以前わたくし、現存する日本最古の即身仏、弘智法印が安置されている新潟県長岡市の西生寺を訪れたことがあります。
このお寺、近くに公共の交通機関がなく車を運転しないわたくしのような人間にはかなりハードルが高い場所なのですが、裏技が一つあります。お寺の西にそびえる弥彦山(634メートル)を東から突破して行く。
↓が大まかなマップ。直線距離で見ると弥彦駅からけっこう近い…ように見えるのです。

ぜひとも即身仏を拝みたいとわたくしは勇躍として弥彦山の突破を目指したのですが…
いざたどり着いてみるとお寺はお休み!


↑弘智法印の即身仏が安置されているお堂。


↑弘智法印の像。しかし逆光でうまく撮影できず。写真撮影まで拒まれた気分😭
どうにもなりません。泣く泣くわたくしは再び弥彦山を登って帰路についたのでした。そして山を登りながら、
「ああ、この弘知法印とは今生では縁がなかったのかな…」
なんて考えをよぎらせたりもしたのですが…
さて、縁はあるのか?
5.青についての色彩感覚についても
日本人の色彩感覚についてはもうひとつ、青についても少し。↓は歌川広重の「名所江戸百景 猿わか町よるの景」

この絵は↓のフィンセント・ファン・ゴッホの「夜のカフェテラス」の元になった…などとも言われています

広重の作品はこの絵に見られるように青の色彩がとても印象的で、しばしば「広重ブルー」なんて言われます。さらに葛飾北斎の代表作、富嶽三十六景にもしばしば印象的な青が描かれています。言わずと知れた「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」↓

これらの作品にはプルシャンブルー、当時は「ベロ藍」と呼ばれる顔料が使用されています。18世紀初頭にドイツの錬金術師(!)によって発見されたとされるこの顔料はすでに18世紀半ばには日本にも伝えられていたそうですが、実際に広く用いられるようになったのは安価な中国産が出回るようになった19世紀に入ってからだそうです。
興味のある方は↓のWikiページをご参照ください
ですから、このベロ藍がなければ広重や北斎の作品もまったく違ったものになっていたことでしょう。
そして、19世紀以降の日本人と、それ以前の日本人との間では「青」の色彩感覚も大きく違っていると考えられます。
そして最後の最後に、↓の本をご紹介したい。
人間の感覚や思考は言語によって左右され、束縛を受ける。そんなテーマで書かれた本です。とくに色彩感覚と言語の関係について多くの例が挙げられていてなかなかおもしろいです。しばしば青と緑をごちゃごちゃにする日本人(日本語話者)についても取り上げられています。
興味がおありでしたぜひご一読を。ちなみに原題は「Through the language glass」。これは「鏡の国のアリス(Through the looking glass)」のパロディですね。「言語の色眼鏡を通して見ると」みたいな感じでしょうか。
それともうひとつ、今年(2025)に入ってこんな面白そうな本も出ました。
わたくしはまだ読んでいないので、もしお読みになった方がいらっしゃいましたら感想を教えて下さい。
最後まで読んでいただきありがとうございました。自作の小説を電子書籍でKindle出版しています。お手にとっていただけたら幸いです。普段の投稿と同路線、「神・仏・妖かしの世界」を舞台にした創作小説(おもに怪奇・幻想・伝奇・ファンタジー系)です。
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