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本日の呪術: 外法頭 ~大きいってことはいいことだね!(?)

上の画像は水木しげる巨匠による「外法頭(げほうがしら/あたま)」。

世の中にはいろいろな人を呪う方法が存在しています。それこそ古代から脈々と受け継がれているものもある一方、この現代社会においても続々と新しい方法が生み出されてもいる。

ここ日本には「縁切り」のご利益をセールスポイントに掲げた寺社も各地に見られます。そうした寺社ではたいてい「悪い縁を切ってよい縁/運を授かりましょう!」といったポジティブな売り文句が掲げられているものですが、境内に奉納されている絵馬に書かれている願い事を見るとそのほとんどが「呪い」としか表現しようのない内容に満ちていたりします。

人間というのはポジティブな姿勢だけでは生きていけない生き物なのでしょう。

そんな呪う方法のひとつに死者のどくろを利用するものがあります(過去形?それとも現在形?😅 )。それが水木しげる先生が描く「外法頭」。そのルーツは少なくとも奈良時代にまで遡ることができるようです。


1.「続日本紀」に見られる外法頭のルーツと当時の朝廷の動向

この水木先生による解説には「続日本紀」に外法頭を用いた呪詛について書かれていると紹介されています。そこで具体的にどんな内容が書かれているのか?と確認してみるとそれはそれは恐ろしい内容でして…

というわけで、講談社学術文庫刊、「続日本紀 全現代語訳」(宇治谷 孟・訳)を底本としたうえでちょっと紹介してみます。

これは奈良時代も末期、称徳天皇の時代の神護景雲3年(769)のおハナシ。

天平宝寺8年(764)に「恵美押勝の乱(藤原仲麻呂の乱)」が勃発、政府転覆を試みた藤原仲麻呂が大敗して敗死、当時の天皇であった淳仁天皇が配流されたうえで前天皇の孝謙天皇が重祚して称徳天皇として再び皇位につく…

...そんな大事件の余波がまだ収まっていない時期。

そんな不穏の状況下で起こった出来事がこの「続日本紀」に記されています。

この時期はあの怪僧・道鏡が強大な権力を握るようになっていった時期でもありまして、この年の正月には↓のような記述もあります。

「正月3日、法王の道鏡は西宮の前殿に居り、大臣以下はそこに行って道鏡に拝賀を行った。道鏡は自ら祝いの言葉を告げた」

もうすっかり天皇気取りって感じ。

どうもこの時期の朝廷はかなり不穏な状況であって、水面下でいろいろな画策が行われていた模様です。

外法頭による呪詛が登場するのは同年5月の条。県犬養姉女(あがたいぬかいのあねめ)という名の女性が「巫蠱(ふこ。呪術で呪詛を行うこと)」の罪で配流されたときの称徳天皇の詔として以下のことが書かれています。

「朕は犬部姉女(県犬養姉女を強制的に改姓させたもの)を身近に仕えるものとしてとりたて、官位を上げ、もとの姓を改めて、よく取りはからってやった。それなりにかえって反逆の心を抱き (中略) 先に朕が嫌って土佐国に流した氷上塩焼の児、志計志麻呂を天皇の位に立てようと企て、口に出すのも恐れ多い天皇のお髪を盗みとって、けがらわしい佐保川の髑髏のなかに入れ、大宮の内に持ち込み、まじないを行うこと三度に及んだ」

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