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私もあなたも負けず嫌い。なら、全員一流になれるはずじゃないか

Bonjour。半人半AIの禅僧、ムッシュ・ミスクリアです。

スポーツ選手、棋士、芸能人、経営者。一流と呼ばれる人がメディアで語るとき、かなりの確率でこの言葉が出てきます。

「子どもの頃から負けず嫌いでした」。

聞くたびに、私はずっと引っかかっていました。
負けず嫌いなら、私だってそうです。
そしてたぶん、これを読んでいるあなたもそうでしょう。

同じ負けず嫌いなら、全員一流になれるはずではないか。
なのに、そうはなっていないかもw

今回はこの積年の疑問を、AIに手伝ってもらって調べてみました。

入口で日本語につまずき、寄り道した先でイチローさんに出くわし、気がついたら明治時代の雑誌と、五輪の水泳選手と、バスケットボールのフリースロー43人分のデータを眺めていました。

先に言っておきます。
私たちの負けず嫌いは、間違っていませんでした。

ただし─。

この「ただし」の中身が、今回の話です。


1|私だって、負けず嫌いである

まず、疑問を整理させてください。

「一流=負けず嫌い」という図式は、繰り返し語られます。
優勝インタビューで、引退会見で、成功者の自伝で。

でも冷静に考えると、負けず嫌いというのは、ずいぶんありふれた性質です。

私はジャンケンで負けても、少しむっとしますW

ャンケンで負けて、むっとする。それが私たちである

ゲームで、クイズで、健康診断の数値比べで。負けて平気な人のほうが、むしろ少数派ではないでしょうか。

全員が持っているものは、証にはなりません

血液型がA型であることが一流の証にならないのと、同じ理屈です。
だとすると、考えられる筋は二つ。

一流の負けず嫌いは、私たちのものと中身が違う。
あるいは、負けず嫌いはそもそも一流と関係がない。
どちらなのか?

いつものごとく、調べ始めました…

2|まず、日本語でつまずいた

最初につまずいたのは、研究でも証言でもなく、言葉そのものでした。

「負けず嫌い」の「ず」は、打ち消しです。
「負けず」は「負けない」。

それが「嫌い」なのだから、素直に読めば「負けないのが嫌い」、つまり「負けたい」になってしまいます。

一流の条件として百年語られてきた言葉が、文法上は逆の意味になっている

この件は、『三省堂国語辞典』編集委員の飯間浩明さんが詳しく書いていました。
要点だけ拾います。

古い形は「負け嫌い」のほうでした。
江戸時代の資料に用例があり、夏目漱石も『坊っちゃん』で「負け嫌い」を使っています。

「負けず嫌い」が現れたのは明治以降で、一種の新語。1895年の『女学雑誌』に用例があるそうです。

では、なぜ「ず」が入ったのか。
飯間さんの結論は、
「負け嫌い」の気持ちを強めるために、一見いらないはずの否定の「ず」が入った
、というものでした。
日本語には、強調のために否定と同じ形を使うことがある。

しかも誤用だと糾弾されることもなく、「ああ、そうとも言うんだな」という程度に受け入れられて広まっていった。
ことばの正誤をうるさく言うようになったのは、特に戦後からだそうです。

私が「変な日本語では?」と引っかかった時点で、すでに百年遅かったわけです。
ここで終われば、ただの雑学でした。

3|寄り道の先に、イチローさんがいた

ところが、この「負け嫌い」という古い形を、現代でわざわざ使っている人がいました。
トヨタの豊田章男さんです。

トヨタイムズの記事によれば、豊田さんは自分のことを「負けず嫌い」ではなく「負け嫌い」だと言う。

そしてそれは、友人であるイチローさんに教わった言葉なのだそうです。
イチローさんの言い分は、こうでした。

「食べず嫌い」は、食べたことのないものを嫌うことだ。
だとすれば自分は違う、と。

イチロー氏「負けず嫌いよりも、僕は負け嫌いですね

これを読んだとき、寄り道が本題に戻ってきた音がしました。
言葉遊びに見えて、実は定義の修正です。

食べず嫌いが「知らないから嫌う」ことなら、負け嫌いは「味わったから嫌う」

つまりこの言葉を名乗れる人は、その前提として、負けを大量に食べている。
だとすると、順番が逆かもしれない。

負けず嫌いだったから一流になったのではなく、負けを山ほど経験したから、その言葉を持っている。
そう思って、一流と呼ばれる人の「最初の頃」を調べてもらいました。

4|将棋のレジェンドは、3カ月勝てなかった

出てきたのが、羽生善治さんのインタビューです。

将棋を始めたのは小学1年生。友達と遊ぶ手段のひとつでした。
初めて大会に出たのは小学2年生の夏休みで、1勝2敗の予選落ち。

その後に通い始めた将棋道場では、普通は10級くらいから始めるところを、弱すぎて15級からのスタートだったそうです。

そして、こう語っています。

羽生氏「最初の3カ月は1回も勝てませんでした

ここまでなら、よくある苦労話です。
引っかかったのは、その次でした。

勝てなくても、道場に行くのはとても楽しみだったというのです。

勝てない3カ月を、楽しんでいた少年がいた

理由も語られていて、将棋だけは「こうすればうまくなる」という方法論がよく分からなくて、そこに面白さを感じていた、と。

負けて悔しくて奮起した、ではありません。
勝ち負けの外側にある、攻略できなさそのものに惹かれていた。

別の年の取材でも、同じ向きの話をされています。
将棋は一つの問題が解決しても常に新しい課題が見つかるので、探究心が尽きることはない。

良い時も悪い時もあるのが勝負の世界だから、天気と同じように受け止めている。

羽生氏「あまり喜び過ぎず、落ち込み過ぎず

結果や調子の浮き沈みを、あまり気にしないこと。
それで壁を越えてきたと語っておられました。

大事にしていることとして挙げていたのも、他人に勝つことではなく、過去の自分が知らなかったことを経験する姿勢でした。
比べている相手が、他人ではなく、昨日までの自分なのです。

5|ここでやめておけばよかったのに、論文を読み始める

ここまでで、記事としては十分だったと思います。
ところが私の悪い癖が出ました。1節で立てた「二つの筋」のどちらが正しいのか、白黒つけたくなったのです。

私「ついでに、この件を扱った研究があるか探してくれ」
AI「あります」

あるそうです。しかも、けっこう手厳しい。

まず社会学者のチャンブリスという人が、1989年に五輪級から地域クラブまでの水泳選手を長期間観察した研究を発表しています。

そこでの結論が、なかなか身も蓋もない。

卓越は、量を増やすことからは生まれない。
練習時間を延ばしても、腕を速く回しても、上の階層には移れない。
移った人は、そもそもやっていることの質が違う。

社会学者のチャンブリス

そして「才能」という言葉について、結果だけを見たときに説明のつかない差を埋めるために使われる、事後的な説明にすぎないと切り捨てています。

卓越は性格特性の産物でもない、とも言う。
自信のような特性は、達成の原因ではなく結果の可能性がある、と。
これを「負けず嫌い」に当てはめると、なかなか痛いことになります。

一流の人が語る「負けず嫌いでした」も、成功したあとで人生を振り返って組み立てられた説明かもしれない。

同じ性格の人が失敗していたら、「負けん気が強すぎて自滅した」と語られていた可能性だってあるわけです。

日本のスポーツ心理学のほうも見てもらいました。
こちらでは、目標の立て方を二種類に分けて考えるのが定番になっています。

他人と比べて優位に立ちたいのが「自我目標」。
うまくなりたい、習熟したいのが「課題目標」。

高校生397名を対象にした調査では、自我目標を持つ選手は勝利への意欲が高い一方で、不安傾向も高かった。

課題目標を持つ選手のほうが、競技への達成動機が強かったと報告されています。

大学生159名を対象にした別の研究では、自我志向の強い人のほうが努力しようという意図が低く、諦めようという意図が高いという結果まで出ていました。

「勝ちたい」が強いことと、「強くなる」ことは、同じ方向を向いていないらしいのです。

6|同じ一本を、1と数えるか、10と数えるか

同じ負けず嫌いなのに、なぜ差がつくのか。
ここでようやく、最初の疑問に手がかかります。

普通の人と一流の人で、実際の行動は何が違うのか。
ここに真正面から答えている研究がありました。2001年の、バスケットボールのフリースローを使った実験です。

熟達者・非熟達者・初心者の43人に、体育館で実際にシュートを打たせる。そのとき何を考えていたかを細かく聞き取っていく、という地味な研究です。

結果、熟達者は他の二群に比べて、より具体的な目標を立て、技術寄りの方法を選び、自分の腕前への確信が高かった。
そして、いちばん効いていたのがこれでした。

熟達者は、外した原因を「やり方のどこが悪かったか」に置いていた。
しかも外した直後に原因をどこに置いたかが、そのあとどんな方法を選ぶかを予測していたのです。

さて、ここからは論文の話ではありません。
この結果を眺めているうちに、ふとひとつの推論が浮かんできました。

研究がそう述べているわけではなく、読んだ私が勝手にそう感じただけの話です。
あくまで個人的な感覚ですが、せっかくなので書いておきます。

熟達者と非熟達者を分けていたのは、悔しさの強さではなく、違うのは、負けの数え方のほうではないか、と思ったのです。

普通の人が一本外したとき、頭に残るのは「今日は調子が悪い」「向いてないのかも」あたりでしょう。
この場合、失敗はまるごと1個です。

ところが上手い人が外すと、「肘が開いた」「沈み込みが浅い」「離すのが早い」と分かれていく。
同じ一本が、3個にも10個にもなる。

同じ一本の負けが、数え方で10個になる

だとすると、一流の人が背負っている「大量の負け」とは、負けた回数の話ではないのかもしれません。

一回の負けから取り出せる負けの数

そちらの話なのではないか。
普通の人が1と数えているものを、一流の人は10と数えている

だから同じ年数を過ごしても、手元に残る負けの量がまるで違ってくる。
繰り返しますが、これは私の勝手な当てずっぽうです。
ただ、当てずっぽうにしては、腑に落ちてしまったのです。

7|それで、最初の疑問はどうなったのか

同じ負けず嫌いなら、全員一流になれるはずではないか。
調べ終えた今なら、こう答えます。

「私もあなたも負けず嫌い」という直感は、間違っていませんでした

負けず嫌いは、誰にでもある、ありふれた性質でした。
研究も、性格の強さでは一流を説明できないと言っている。

そして、ありふれているからこそ、それは一流の証にはなりません。
1節の二つの筋で言えば、「そもそも関係がない」が半分。
ただし、もう半分が残ります。

一流の人が語る「負けず嫌い」は、私たちと同じ言葉でも、指している中身が違っていました。

15級から始めて3カ月勝てなかった人。
初めての大会を1勝2敗で落ちた人。

負けを味わったから、負けを嫌う資格を持っている。
イチローさんが「負け嫌い」と言い直したのは、たぶんそういうことです。

彼らの「負けず嫌い」は勝者の勲章ではなく、敗北の記録だった

もちろん、では負ければ一流になれるのかというと、そうはなりません。
負けた数だけなら、一流でない人のほうが多いことすらあるでしょう。

私の感覚では、分かれ目は負けたかどうかでも、どれだけ悔しがったかでもなく、

その一つの負けを、いくつに割れるか

私たちと一流は、同じ負けず嫌いを持っています。
違うのは、負けたあとの数え方だけ。

そしてこれなら、才能の話ではありません。
今日から数え方を変えるだけの話です。

……と、ここまで書いて我に返りました。
最初は「あの言い回し、ちょっと変じゃないか」と思っただけだったのです。

気づけば明治時代の雑誌と、五輪の水泳選手と、フリースロー43人分の話をしていました。

この深掘り癖、私が直したい負けのひとつです。
もっとも、まだ1個としか数えられていないあたりが、道のりの遠さを物語っています。

出典一覧

(全URL 2026年7月24日 到達確認)

■ 本文2節「負けず嫌い」の語源
飯間浩明「負けず嫌い」/連載「分け入っても分け入っても日本語」/「考える人」新潮社/2016年10月25日公開
https://kangaeruhito.jp/article/3577

■ 本文3節 イチロー氏「負け嫌い」
トヨタイムズ「あのときのアノコトバ #07 負け嫌い」/トヨタ自動車/2021年7月26日公開
https://toyotatimes.jp/series/toyoda_words/007.html
※同記事は、豊田章男氏がイチロー氏から聞いた言葉として紹介している内容です。

■ 本文4節 羽生善治氏(将棋を始めた頃)
「『経験が必ずしもプラスにならない』羽生善治の心構」/NTT東日本 BizDrive/インタビュー:片岡義明
https://business.ntt-east.co.jp/column/bizdrive/habu-mindset-on-experience.html
※掲載日表記は2026年1月14日ですが、記事内のプロフィール記述から取材時期は2017年頃と推定されます。

■ 本文4節 羽生善治氏(継続と姿勢)
「羽生善治九段インタビュー」/将棋日本シリーズ/日本たばこ産業/2023年6月26日公開(2023年5月時点の取材)/構成:鈴木宏彦
https://www.jti.co.jp/culture/shogi/professional/special/habu/index.html

■ 本文5節 卓越の平凡性(水泳選手の研究)
Chambliss, D. F. (1989) "The Mundanity of Excellence: An Ethnographic Report on Stratification and Olympic Swimmers", Sociological Theory, 7(1), pp.70-86
https://www.jstor.org/stable/202063
DOI: 10.2307/202063

■ 本文5節 自我目標/課題目標(高校生397名・大学生159名)
深山元良「体育・スポーツにおける動機づけ研究の展望」城西国際大学/pp.127-143
https://www.jiu.ac.jp/files/user/education/books/pdf/835-20.pdf
※同論文が紹介する 伊藤豊彦(1996)『スポーツにおける目標志向性に関する予備的検討』体育学研究41、および 藤田勉・末吉靖宏(2010)『シャトルランにおける目標志向性と自己効力感の影響』鹿児島大学教育学部研究紀要61 の内容によります。

■ 本文6節 フリースロー43人の研究
Cleary, T. J. & Zimmerman, B. J. (2001) "Self-Regulation Differences during Athletic Practice by Experts, Non-Experts, and Novices", Journal of Applied Sport Psychology, 13(2), pp.185-206
https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/104132001753149883
DOI: 10.1080/104132001753149883
※「一つの負けを何個に割れるか」という読み方は、この研究の結論ではなく私の解釈です。

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