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名付けられぬものについて 善き随想(34)


 人は何かを名付けることで、それを理解し、捉え、扱おうとします。しかし、この世界には、言葉にしようとしてもするりと指の間をすり抜けるようなものが確かに存在します。  


 たとえば、心にふと訪れる、説明のつかない感覚。

懐かしさにも似ているが、はっきりとした記憶には結びつかないもの。悲しみにも喜びにも属さない、ただそこにある感情。あるいは、遠くの鐘の音を聞いたとき、夕暮れの風に吹かれたとき、消えかけた夢を思い出そうとしたときに胸の奥に広がる、あの名状しがたい余韻。

それらを一言で言い表す言葉があれば、どんなに楽だろうと思うことがあります。  


 けれど、名付けられないからこそ、それは豊かに揺らぎ続けます。言葉という枠に収められないからこそ、限りなく自由で、私たちの感性にそっと寄り添いながら、ただそこにあるのです。名付けた瞬間に輪郭が生まれ、それが確定してしまうことで、かえって本来の広がりを失うこともあるでしょう。  


 そう考えると、名付けられぬものの存在は、私たちがまだ見ぬ風景や未知の感情へと心を開く余地を与えてくれるのかもしれません。言葉にしようとあがくことで、私たちはそれをより深く感じ、理解しようとする。けれど、最後まで言葉にできずに終わることで、かえってその尊さを知るのではないでしょうか。  


 名付けられぬものを抱えながら生きることは、決して曖昧なまま流されることではなく、むしろ、世界をより豊かに味わうことなのかもしれません。名付けることのできるものと、そうでないもの。その狭間で揺れる私たちの心こそが、何よりも美しいものなのではないでしょうか。

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ノアキ光 🔀発達障害で苦労しながらも、毎日寝不足になるほど努力しながら、何とか努力しています。 もし気に入っていただけましたら、応援よろしくお願いします。

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