私のキャリアを変えたのは、いつもマイナスな出来事だった
いま振り返ってみると、私の大きなキャリアの分岐点は3つで、そのどれもがマイナスな出来事だった。
①いらない、使えない、向いていない
②妬まれ、部下の引き抜き、担当外し
③病気、入院、手術
とても順風満帆とは言えない。
映画『国宝』を見た時に共感できたが、そこまで響かなかった。
それはなぜだろう。
キャリアの分岐点を振り返りながら考えていきたい。
①いらない、使えない、向いていない
直接的にそう言われたわけではない、言われたのは、
「村田君は、事業推進の方が向いていると思うから」
システムエンジニアとして入社したものの、情報系の学部ではなかったのでプログラミングの知識は乏しかった。
そして、上司の言葉通り、システムを作るよりそれを活用して進めていく方が向いていた。実際にいまプロジェクト推進をしているのだから、それは間違いない。
「ただし、だ」
当時は「いらない、使えない」と言われたように感じた。
決して、冷たく言われたなどではない。
私の適性を見て、薦めてくれたと思っている。
ただ、悔しかった。
自覚はあった。周りにはプログラミングが得意な優秀な人ばかりで、自分は見劣りしていた。
「それでも」
それでも負けたくなかった。
毎週土日はどちらか勝手に出社して、一人でプログラミングしていた。
本に書いてあったコードをひたすら自分で書いてやってみた。
そんなことを半年続けた。
景色が変わった。
②妬まれ、部下の引き抜き、担当外し
「自分の力でどこまでできるか試してみたい」
そう思って最初の会社を飛び出した。
もともと大学では環境の勉強をしていたし、環境問題にかかわる仕事をしてみたいという願望があった。
当時は、ひろゆきさんの2chや、三木谷さんの楽天市場、堀江さんのlivedoorなど、インターネットが発展してワクワクしていた時代だ。
私もそこに乗っかった。
元からあった環境系雑誌の書籍紹介ページを環境ニュースサイトに作り替え、急成長させた。
「環境」でググれば3位に表示され、大手ハウスメーカーの人から
「太陽光発電関係者で、このサイトを知らない人はいない」
とリップサービスをいただけるまでになった。
プログラムやDBが分かり、データ分析ができ、デザインも好きで、企画を考えるが大好きだった私にとって、Webで売上を上げまくるのは楽しすぎた。
だって、全部自分でできるのだから。
自分一人でできるのだから、スピード勝負では絶対に負けない。
リーマンショック時に中古サイトを企画してから1カ月で立ち上げて、2年で年間2億円まで伸ばして、完全に調子に乗っていた。
ただ、急速に成果が出れば出るほど、周囲とのズレも出始めた。
妬まれ、育てた部下を奪われ、成長途中だった環境ニュースサイトの担当を外された。
成果を出せば認められる。
当時の私は、そう単純に考えていた。
でも現実は、そんなにきれいではなかった。
人間性が未熟だった。
そして、熱量が急速になくなっていった。
③病気、入院、手術
その後も相変わらず仕事漬けの日々を送った。
それなりの成果は出るものの、心からやりたい仕事ではなく、無理しながら毎日長時間労働をしていた。ストレス食いで大量にお菓子を食べていた。
胆のう炎になった
救急車で運ばれた病院のベッドで、もっと麻酔を打ってほしいとお願いし、そんな頻繁には打てないと言われるくらい激痛だった。
18cmほど腹を切って摘出された胆のうからは、石が2つ出てきた。
胆のう内で石がぶつかり合って炎症しまくり、胆のうが腐っていたそうだ。
2020年3月3日、全身麻酔で動けないベッドで、ふと考えた。
「僕の人生、このままでいいのかな」
これからのことをいろいろ考え、慎重に選択肢を吟味。
2025年3月3日、会社を設立した。
まだ終わっていない
そうか、『国宝』のストーリーを私は知っている。
才能がある人が苦しむこと。
嫉妬されること。
奪われること。
身体を壊すこと。
それでも、何かを捨てきれずに続けること。
形は違っても、その感覚を少し知っている。
だから、驚きよりも確認に近かったのかもしれない。
ただ、映画には終わりがある。
物語として幕が下りる。
でも、私の人生はまだ終わっていない。
これまでのキャリアの分岐点での選択が、間違っていたとも正しかったとも思っていない。
それは最後の最後でわかる話だ。
だから、いまはまだ結論を出さない。
今日できることをやりながら、自分の物語の続きを書いていく。
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