芸術ではなく仕事になってしまう

昨日、知人に誘われて芸術体験をしてきた。
流木、金属製のピン、糸を使っての表現。

講師作の見本があった。糸が作り出す幾何学模様と内部に包まれた流木の有機物たる自在な形の対比が面白いものだった。
私は、見本から、製作過程のポイントを想像し、作りやすさ、最終的な見栄えの良さなどを見越して数ある流木の中から1つを選択し製作を行なった。

順調に工程をこなし良いものが出来た。
その時、近くの子供や大人たちを見回した。
大きさや形など、それぞれに特徴のある流木を選んでいて、作り方が見本から外れているものもあった。

そこで気づいた。私は仕事をしたのだと。

依頼があって、このような物を、という役回りで作ったのであれば、私は正解だった。しかしながら、芸術体験のお膳立てをしてもらっていたのだ。逆算から始まる私の行動から芸術は生まれない。

かの岡本太郎は「芸術は爆発だ」と言った。
点からの拡散。
これは生物の多様化と似ている。
無目的の可能性への道。
逸脱。超越。偶発、、、、。
加速度。エネルギー。光、、、。
そこに芸術が存在する理由や、心からの感動があるのではと。

殻に留まる己の姿を突きつけられた1日でした。

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