臨床の「暗黙知」と科学の「形式知」が交差する未来へ ——第15回 日本ボバース研究会 学術大会 参加レポート
はじめに
リハビリテーションの臨床現場において、熟練したセラピストが患者のわずかな反応の変化を手がかりに行う介入は、しばしば「経験」や「感覚」に根ざした「暗黙知(tacit knowledge)」として継承されてきました。一方で、現代の医療においてはエビデンスに基づく医療(EBM)が強く求められ、科学的根拠という「形式知(explicit knowledge)」の提示が不可欠となっています。
2026年に開催された第15回 日本ボバース研究会 学術大会は、「臨床(暗黙知)と科学(形式知)をつなぐ - 神経リハビリテーションからの提言 -」をメインテーマに掲げ、この二つの知を対立構造としてではなく、相互に補完し合う関係として再構築するための熱い議論が交わされました。
今回は個人的な学会参加レポートです。
第1部:神経科学が解き明かす「回復」と「臨床の知」の可視化
セラピストの「手」は何を起こしているのか(基調講演)
ボバースコンセプトに基づく臨床実践では、セラピストが患者の身体に触れ、動きを観察しながら介入を微調整する過程(ハンドリング)が極めて重要です。しかし、これは言語化や客観的な共有が極めて困難な「暗黙知」の代表例でもありました。講師の先生は、fMRIや外骨格ロボットを用いた先進的な研究を通じ、この暗黙知の可視化に挑戦しています。
熟練者のハンドリングは、患者の運動を単に他動的に代行するものではありません。患者自身が能動的に運動を組織化できるよう、力の方向・量・タイミングを絶妙に調整して行われます。講演では、fMRIを用いた研究によって介入による即時的な脳活動や筋電活動の変化を捉え、セラピストの「感覚」を定量的なデータへと変換する試みが紹介されました。これは暗黙知を形式知に置き換えること自体が目的ではなく、神経科学の視座から患者の潜在的な回復可能性をより深く理解し、臨床判断の質を高めるための重要なプロセスであると強調されました。

脳科学から見た「真の回復」へのアプローチ(特別講演1)
中枢神経損傷後の機能回復について、講師の先生は局所脳活動や脳内ネットワークの変化という最先端の脳科学的視点から概説されました。近年、fMRIやfNIRSなどの画像解析技術の進歩により、脳卒中後の運動機能やADL(日常生活動作)の回復には、病変部位のみならず残存運動野や関連領域を含む「脳内ネットワークの再構築」が深く関与することが明らかになっています。
リハビリテーションにおいて重要なのは、単なる「代償的回復(Compensation)」と、神経システムの再構成を伴う「真の回復(Restitution)」を区別することです。講師の先生は、十分な反復、適切な難易度設定、そして日常生活での使用機会の拡大が、適応的な神経可塑性を促進する「運動学習」として不可欠であると指摘しました。非侵襲脳刺激やBMI(ブレイン・マシン・インターフェース)などのニューロモデュレーション技術の併用も含め、個々の患者の脳状態に応じたテーラーメイド型リハビリテーションの実現が目前に迫っていることを強く実感させる内容でした。
小児神経リハビリの未来:批判的議論を超えて(特別講演2)
小児領域におけるボバースアプローチ(NDT)は近年、EBMを推進する立場から「他動的であり問題解決を促さない」といった厳しい批判に晒されてきました。講師の先生は、2013年のNovakらによるシステマティックレビューから始まるNDTへの批判的な議論の歴史を真正面から受け止め、現状の課題を冷静に整理されました。
従来のボバースの殻を破り、活動・参加に目を向けた多職種協働の介入システムへと進化していくべきだという力強いメッセージは、小児領域のみならず、すべてのセラピストにとって重い問いかけとなりました。
第2部:歩行と動作の「質」を科学の眼で読み解く
一般演題では、臨床推論の枠組みである「Model of Bobath Clinical Practice(MBCP)」や最新の動作解析機器を用いて、動作の「質的変化」を客観的データとして証明する報告が多くありました。
躓き(つまずき)の一瞬を捉える:姿勢制御と代償運動の連鎖(一般演題)
歩行中の転倒の主要な原因である「躓き」について、三次元動作解析を用いて、躓きに先行して生じる全身姿勢の特徴を客観的に比較・分析しました。 躓きによる転倒未遂データを抽出して分析した結果、躓きを発生した試行では、それに先行して胸郭や骨盤の前傾が有意に増大し、非麻痺側の歩幅が減少していることが明らかになりました。つまり、足が引っかかってからバランスを崩したのではなく、その前の段階で体幹が前傾(屈曲姿勢)してしまい、重心の前方移動が困難になっていたのです。この推進力が得られにくい状態を代償しようと、麻痺側足関節の底屈増大や非麻痺側の急激な膝屈曲といった下肢の代償運動が引き起こされ、結果として躓きに繋がることが示唆されました。麻痺側下肢の運動だけでなく、それに先行する「体幹アライメント(姿勢制御)」を分析する重要性を強く示す報告でした。
転倒リスクを「床上動作」から定量化する(一般演題)
日常生活の自立度や安全性に直結する「床上動作(床への着座・立ち上がり)」について、Floor Transfer Test(FTT)およびSitting and Rising Test(SRT)を用いて健常人と脳卒中片麻痺者を定量的に比較しました。 片麻痺者は健常人に比べ、動作時間の延長や得点の低下が顕著に確認されました。さらに片麻痺者の中でも、過去に転倒歴のある患者は、転倒歴のない患者に比べてFTTの遂行時間が有意に延長し、SRT得点も低値を示しました。 床上動作は単なる筋力ではなく、バランス制御や協調性、さらには転倒不安という心理的要因を含む多面的な複合課題です。この発表は、床上動作を定量的に評価することで運動戦略の質的変化を客観的に捉え、転倒予防に向けた新たな評価・介入戦略に活かせる可能性を提示しました。
坂道歩行と足部からの感覚フィードバック(一般演題)
屋外応用歩行の獲得に向けて、坂道歩行やクロスステップ(FSST)の課題分析を行いました。坂道歩行は、上りでの求心的な推進力生成と、下りでの遠心的な衝撃吸収という力学的タスクの反転を要求します。本症例では、足関節の運動性制限や足底からの感覚フィードバックの不足が、立脚期の推進力低下や体幹の不安定性を招いていました。
介入において、足関節の選択的な内外反コントロール(フットコアシステム)や内在筋の活性化に焦点を当てた結果、足部からの求心的な固有感覚情報が改善。これにより、環境変化に応じた補償的姿勢制御が可能となり、FSSTのタイム短縮だけでなく、動的な安定性という「歩行の質」の向上が見事に示されました。
「歩く速さ」ではなく「歩く力強さ」を測る(一般演題)
3軸加速度センサー(AYUMI EYE)を用い、生活期脳卒中患者の体幹加速度指標の変化を追った発表は、データと臨床観察の「整合性」という点で非常に示唆に富んでいました。
介入を通して、歩行スピード自体は、明確な変化を示しませんでした。しかし、体幹の前後加速度(RMS)には劇的な時系列変化が起きていました。初期から、第4回介入後には低下し、その後、第5回介入後には再上昇したのです。
一見すると数値が上下する矛盾したデータに見えますが、初期は健常者の2倍以上の「無駄な代償的ふらつき」があった状態から、MBCPに基づくコアスタビリティへの介入によって、第4回時には無駄な揺れが健常者と同等レベルにまで安定化(低下)したのです。
そして、その安定した体幹を土台として、第5回時には麻痺側の足でしっかりと床を蹴る(push off)力強さが加わり、前方へのダイナミックな推進力として加速度が再上昇しました。
患者自身の「麻痺側の足で床を押せるようになった」という主観的感覚と、セラピストの観察、そして加速度データがリンクし、速度という指標だけでは測りきれない「歩行の質的な改善プロセス」を可視化した画期的な考察でした。
TUGにおける「軌跡の膨らみ」と方向転換戦略(一般演題)
移動能力の評価として広く用いられるTUG(Timed Up and Go test)について、遂行時間(タイム)だけではなく、マーカーレス動作解析装置を用いて「運動軌跡」という質的側面に切り込みました。
介入前の方向転換時、患者の運動軌跡は外側へ大きくカーブを描くように逸脱し、累積の膨らみ上昇していました。この「膨らみ」の正体は、体幹の分節的な回旋運動が不足し、非麻痺側への側屈で代償した結果、身体の重心が外側へ遠回りしてしまっていたことでした。また、方向転換のハンドル役となるべき「頭部・視線」が下を向いたままであったことも、スムーズな回旋を阻害する要因となっていました。
リハビリテーションにより、体幹の伸展・分節的な回旋運動が改善し、方向転換に先行する「頭部からの回旋運動」が出現。これにより、体軸を内側へ傾けながら足部でコントロールすることが可能となり、ターン前の累積膨らみは減少、効率的な重心移動ルートを獲得しました。臨床推論に基づく介入が、いかにして無駄な代償動作を減らし、予測的で効率的な運動戦略(歩行の質)を引き出すかを、マーカーレス解析で見事に証明した研究と言えます。
第3部:「ハンドリング」と臨床推論の哲学(シンポジウム)
シンポジウムでは、成人領域と小児領域のトップランナーが、臨床の「暗黙知」を言語化し、知識を再構築するプロセスについて深淵な議論を展開しました。
臨床の違和感を、問いに変える
講師の先生は成人リハビリテーションにおいて、エビデンスという「形式知」を目の前の患者にそのまま当てはめるのではなく、患者の文脈依存的な反応から「問い」を生み出し、仮説を更新し続けることの重要性を説かれました。
歩行時の立脚期における支持性低下を、単なる「筋力低下」として片付けるのではなく、感覚運動経験、姿勢制御、視覚・前庭系との相互作用といった複雑なシステムから再解釈する。その際、ハンドリングは一方向的な操作ではなく、仮説を検証し、患者のシステムと対話するための高度な臨床行為となります。暗黙知を言語化し(MBCPなどの枠組みを用いて)、科学と往還させながら「共有可能な知」へと磨き上げることこそが、これからのセラピストに求められる専門性です。
「ハンドリング or NOT」を超えた関係性の連続体
小児領域におけるハンドリングへの批判に対し、講師の先生は根源的な疑問を投げかけました。日常の育児において両親が意識的・無意識に行う適切なハンドリングが子どもの発達の足場となっているように、セラピストのハンドリングもまた、決して「一方向的な他動的操作」ではありません。
"He guides us and we guide him"(子どもが私たちを導き、私たちが子どもを導く)というボバース夫妻の言葉に象徴されるように、ハンドリングとは身体を介した「双方向の対話」です。近年では、子どもを主体的な存在と捉え、ハンドリングを「協調(coordination)」「包摂(incorporation)」「主体感(sense-of-agency)」「意図(intention)」といった用語で再解釈する動きが進んでいます。ハンドリングをするかしないかという二元論を超え、身体や意図を介して生まれる「協働的な関係性の連続体」としてタッチを捉え直す視点は、神経リハビリテーションの極めて重要なパラダイムシフトとなるでしょう。
第4部:リハビリテーションの真の目的――行動変容と自己効力感(市民公開講座)
学会の最後に開催された市民公開講座では、リハビリテーションの「真の価値」がどこにあるのかを、2名の脳卒中当事者の方が語ってくれました。
発症直後、患者が直面するのは単なる身体の麻痺ではなく、「自分の人生はどうなってしまうのか」という深い恐怖と喪失感です。その暗闇の中で彼らを救ったのは、高度な技術だけでなく、「一緒に考え、小さな成功を共に喜んでくれたセラピストの存在」でした。
印象的だったのは、「リハビリはやったもん勝ちですよ」というセラピストの一言が、患者の中で「頑張れば変われるかもしれない」という強烈な希望へと変わったエピソードです。身体は運動療法によって回復していくかもしれません。しかし、心は人との関わりと「言葉の重み」によって回復していくのです。
左手で行った動作を毎日書き出すという小さなルーティンが、いつしか自信を育てる「自動増幅装置」となり、「少しならできるかもしれない」「一人で出来るかも!」という自己効力感(Self-efficacy)を芽生えさせていきました。
退院後、不安を抱えながらの生活期のリハビリテーションは単なる機能回復ではなく、入浴や家事、趣味といった「その人らしい人生(役割)」を取り戻すためのプロセスです。セラピストとの相互作用が、いかにして患者の意欲を引き出し、行動変容を促し、生きがいの発見へとつなげていくか。科学的計測やバイオメカニクスの探求も、すべてはこの「患者の人生を前へ進める」という最終目標のために存在していることを、私たちは決して忘れてはなりません。

おわりに ―― 「姿勢と態度」が紡ぐリハビリテーションの未来
第15回 日本ボバース研究会 学術大会は、「暗黙知」と「形式知」の架橋という壮大なテーマに対し、「経験 vs 科学」という対立構造を終わらせるという一つの明確な答えを提示してくれました。
fMRIで可視化しようとしたハンドリングの真髄、AYUMI EYEが捉えた歩行の「力強さ」への質的転換、そして当事者の方々が語った「言葉による心の回復」。これらはすべて繋がっています。
この学会全体の総括として、私が日々の臨床で常に心に留め、大切にしている言葉をご紹介させてください。神経生理学者である高草木薫先生の著書にある、次の一節です。
「姿勢(Posture)は、身体のアラインメント(Postural figure)という意味とともに、態度(attitude)という意味を持つ。双方ともに私たちの意図(idea, intention)を伝える手段であり、私たちの精神活動を反映する」
さらに高草木先生は、「すべての運動において、姿勢の制御が随伴しており、先行する姿勢制御がない限り、意図とする運動を実行できない」とも述べられています。
今回の学会で語られたすべての内容は、まさにこの言葉の真理に集約されると感じています。
一般演題で示された歩行や動作における「無駄のない姿勢制御からの力強い推進力」の獲得は、単なる力学的なアラインメントの修正ではありません。それは、前頭葉をはじめとする高次脳機能が司る「動きたい」「前へ進みたい」という患者の意図を、実際の運動へと変換するための土台を再構築するプロセスそのものです。
そして、シンポジウムで講師の先生が指摘した「ハンドリングを通じた意図の共有・双方向の対話」や、市民公開講座で当事者が語った「言葉の重み」によってもたらされた「一人で出来るかも!」という意欲の芽生え。これらはまさに、患者の「態度(attitude)」、すなわち「精神活動」が前向きに変化した瞬間でした。
つまり、私たちが日々の臨床で「姿勢制御に介入する」ということは、単に身体の傾きや筋緊張を正しているのではなく、患者の「生きる姿勢」や「人生に向き合う態度」そのものに深く関わっていくということなのです。
科学(形式知)は、姿勢や運動の背後にある複雑な神経ネットワークを客観的に紐解き、確かな道標を与えてくれます。しかし、その科学的知見を患者一人ひとりの多様な文脈に落とし込み、身体と心の両面から「意図」を引き出し、その人がその人らしく「生きる姿勢と態度」を取り戻すための行動変容を促すのは、セラピストが臨床現場で培ってきた眼と手(暗黙知)に他なりません。
エビデンスを重んじながらも、目の前の患者が発する「意図を伝える姿勢」と丁寧に対話し、仮説を更新し続けること。
「科学と臨床の絶え間ない往還」こそが神経リハビリテーションの未来を切り拓く鍵であり、ボバースコンセプトが次世代へと継承していくべき最も価値あるレガシーであると確信しています。
こういった歩みを続けているボバースセラピストは対象者様から感謝され、選ばれ続けているセラピストが多いと感じます(その理由をデータにするのは難しいですが)。
笑あり、感動の涙あり、たくさんの学びが得られた学会でした
現地でお会いできた皆様、運営に関わられた方々、講師や発表をされた皆様に感謝いたします。
※この学会レポートはあくまでも個人の感想につき所属組織や学会の見解ではございません。
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