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教えてもらったこと

禅寺での葬儀は、静かで、淡々としていて、
でもどこか映画のワンシーンのようだった。

ご親族がご遺骨を抱いて、境内をぐるぐる回る。
わたしたち参列者は、その葬列を合掌して見守る。
冷たい風が動くたびに衣が揺れて、
映像の中に入り込んだような、不思議な時間だった。

お恵さんは、釜石で知られた居酒屋の店主。
2020年に移住してから通い始めた。
有名な店だから常連さんがひしめいていると思って、
のれんをくぐるのは、ちょっとだけ勇気がいった。

でも、ぽつんとひとり。
迎えてくれたのは、お恵さんだけ。
お客もずっと、わたしひとり。
常連さんは早い時間に来るのか、
あるいは、もう飲み歩かなくなったのか。
そんなことを考えながら、静かに座っていた。

義理の母も「おけい」だった。
桂子で「お桂」。
スナックをやっていた。
その話をきっかけに、お恵さんとの距離も少しずつ縮まった。

やがて、最古の常連・マモルさんと通うようになり、
お恵さんともいろんな話をした。
ただ、早口の釜石弁は半分くらいしか聞き取れない。
カンで会話についていく日々。
きっと、ところどころトンチンカンだった。

でも、お恵さんは言い直さなかった。
「釜石来たんなら、これくらいわかれ」
そんな無言の教えだったのかもしれない。

今日の葬儀もそう。
参列の作法すら、そっと差し出された学びだった。

豪快なガハハハが、どこかで響いていそうだ。
釜石でお恵さんに会えたこと。
それは、やっぱりラッキーだった。