“座るだけ”がなぜ難しい?──坐禅が教えてくれる『気づき』の世界

坐禅というと、「ただ何も考えずに座っているだけ」と思われがちかもしれません。
けれど実際には、それほど簡単なものではありません。
坐禅の目的は「己と向き合うこと」だと、よく言われます。
これも、一見すると簡単なことのように思えます。
けれど、そもそもその「己」とは何でしょうか。
仏教には「気づき(悟り)」という言葉があります。
それは、何かを“得る”というよりも、すでにそこに在るものに“気づく”という感覚です。
たとえば、夢を見ているとき。
その体験が夢であるとは、ふつう気づきません。
目覚めてはじめて、「ああ、夢だったんだ」とわかる。
その“気づき”の瞬間、まるで別の世界に来たような、自分自身も同時に変わったような感覚が訪れます。
坐禅もまた、それとよく似た「働き」を持つものだと私は思います。
私たちは「今ここ」を生きているはずなのに、
気がつけば、“現実”から少しずつ遠ざかってしまっている——
そんなことはないでしょうか。
仏陀は、深い瞑想を通して「気づき」を得たと伝えられています。
それは、世界への気づきであり、
同時に、自分自身への気づきでもあったのでしょう。
では、その「気づき」とはいったい何か?
それは、どんな感覚なのか?
その答えを、次回もう少し深く掘り下げてみたいと思います。
