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父とふたり、雪の積もる真夜中のパーキング

父に車で駅まで送ってもらう。実家から最寄り駅までの20分がそわそわする時間になったのは、いつからだっただろう。

学生時代、初めて好きな人ができたあとからか。社会人になって一人暮らしをしてからか。それとも今の彼と同棲してからか。

「ここ、こんなお店あったっけ」

「ああ、ちょっと前からね」

母や妹たちがいたら気軽に流れるはずの会話に、ほんの少しの間が開く。お互い何かを探るようで、でも同時に家族なのに気にしすぎな気もして、私は無意味にシートに座り直してみたりする。父の反応なんて気にせずに自分の話をしていた頃もあったのに、もう思い出せない。


父は運転が上手だ。

母は父の運転がうまいところを好きになったというくらい。東京から北海道までもドライブする我が家は、家族イベントのほとんどを父の運転に支えられてきた。

今まで我が家で走ってくれた車それぞれに思い出があり、今から3台前は、たしか黒いセダンだったと思う。そのころ私はまだ車種なんてわからない年だった。

しんしんと雪が降るコインパーキング。助手席から暗闇に白い雪が積もっていくのを見つめる。運転席には、今よりも若く痩せた父がいたはずだ。4歳の私は、一晩中運転する父が少しだけ仮眠をするのを、隣で見守っていたらしい。

新潟で親戚の不幸があった日、母は東京から動くことができなかった。雪が降っていたということは、きっと妹が産まれる1週間ほど前か、もしくは直後だったんだろう。妹は冬の終わりの生まれだ。

4歳の私は父についていくことになった。経緯なんてわからない年だったが、帰宅途中の駐車場の情景だけは今も覚えている。長い針が30を指したらパパを起こして。その約束を守って、私は音のない空間で時計を睨んでいた。

私はしっかりとアラームの役目を果たせたようで、父はそれから度々みんなの前で褒めてくれた。普段は怒ってばかりの父がわしゃわしゃと私を撫でて誇らしそうにするから、私も嬉しかった。

私が覚えている中で、あれは父とふたりの最初のドライブだった。

小学校に上がってからも、父はよく私に「あの時のこと覚えてるか」と聞いた。私が雪景色の記憶を話すと満足そうに、「まゆはあたまがいいなあ」とニカっと笑う。それが嬉しくて、私の記憶は強いものになったのかもしれない。

新潟の訪問自体は楽しい理由ではなかった。けれども父に何度も褒めてもらったことは、妹ができたばかりの私の寂しさをきっと救っていたと思う。


もうあんなふうにふたりで遠出することもない。実家を出たから、父と話すこと自体が年に数回になってきた。

でも父には言わないけれど、今まで私を助手席に乗せてくれたどの人より、やっぱり父の運転がいちばん上手いのだ。

今度実家に帰ったら、何か話すだろうか。今さら真面目に話すのは、ちょっと気恥ずかしい。

だからきっと私たちは「相棒」を見る。毎年のスペシャルドラマを一緒に見るのは、家族5人の中で私と父と決まっているから。雪の降らない東京の夜、車の中みたいに同じ方向を向いてテレビを眺める。そしていつの間にかソファーで寝落ちた父を、私はまた真夜中に起こすことになるのだ。




地中海性気候さんの初企画に参加させていただきました。

とっても素敵で、それぞれの人生のおすそ分けをもらうような企画でした。参加者の皆さんの作品を読むほどに何を書こうか迷いに迷ったことで、結局最終日までかかってしまいました。

覚えていたはずなのに、思い出すことのなくなっていた記憶を呼び起こしていただきました。企画、楽しんでいます。ありがとうございます。


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