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「努力」に価値がなくなった時代


 いま現在の2026年を含む「2020年代」というのは、本当に世界中の価値観がひっくり返った「パラダイムシフト」の時代なのだなあ、と思う。
 その序章としての「新型コロナウイルスの蔓延」というのは、人がいくらジタバタしても「どうしようもない」という諦念の価値観をリアルに実感させるものとなったが、今回の中東の戦争は、さらにいっそう

「個人の努力とか、もう関係ない」

ということを十分に想起させるものとなってしまった。

 もちろん、努力することが無意味なのではない。そこは確実に違う、と言える。

 なぜなら、いまこの現在、この真っ只中で、「どこから原油やナフサを調達するか」とか「どのように各国と協力するか」といった、死にものぐるいの努力を続けている人たちが存在することは確かであり、その努力を称えなければ、資源のない日本は一発で滅びてしまうだろう。

 だが、このように

「努力には価値がある努力と、価値がない努力がある」

ということをはっきり知ることができるのは、もしかしたら人類にとって幸せなのかもしれないのだ。

 たとえば石油や資源が止まってしまったら

「こっちの携帯会社のほうがいいっすよ!ナンバーポータビリティで乗り換えっすよ!」

みたいなイオンモールで風船を配るような努力は、無価値になってしまうだろう。

 すでに全日本人に携帯電話やスマホが行き渡っていて、それ以上需要が存在しないのに、資源を無駄にしてスマホの乗り換えを喚起するような

「そんなアホみたいなノルマや努力は、もはや無意味だ」

ということは、誰にだってわかることである。

 資源の停滞は、すべてをひっくり返してしまうから、たとえば

「エネルギー不安のいま、太陽光発電をどんどん売ろう!」

みたいなことを思いついても

「いや、それを作るのも、運んでくるのも無理だから」

みたいなオチがついてしまう。

 これまでのような「ある商品の魅力を捉えて、売る」みたいな努力は、無価値になってしまうのである。

 わたしは世をしのぶ仮の姿として「建材関係」の仕事をしているが、燃料高騰などの影響で、さっそく

「ある商品はもう、作りません。ストップです」

という通知を昨日受けたばかりである。この通知が、これから日を追うごとに、どんどん増えてくるだろうことは想像に難くない。

 こうなると

「売れ」みたいなノルマ

は、そもそも意味がなくなってしまう。もう、好きにしてくれ、という感じだ。努力というより、存在するものになんとか「つなげる」のが精一杯であり、そして

「その代金は、これから青天井である」

とも言える。

 モノがない、ということは売り手市場になる。「買ってください」と言わなくても、必要な人は買いに来る。

 そして、その価格は釣り上がる。

 資源が少なくなればなるほど、それがゼロになる時まで、釣り上がってゆく。

 となると、見かけ上は

「まったく努力しなくても売値は上昇するし、利益も上昇する」

のである。

(もちろん、総売上が減少するので、売り手が単純に幸せになれるわけではまったくない。ただ、それぞれの単価は上がる、のだ)

 となると、これまで日本のほとんどの商売人が「努力」してきた「ちょっとでも安く売る」という行為は、無駄になってしまい反転する。

 努力しなくても単価は上昇するからである。今までの行為は無駄だったのだ。

 そして、努力の方向性がまるっきり変わってしまう。

「1円でも安くして、より多く売ろう」から「とりあえず商品をゲットしてこよう」という動きに努力の内容が変わるのだ。

 それは「高い金を払って買い負けしないように、ぶっこんでゆく」ということにもなるので、体力がある企業しか生き残れない。

 いままで「1円でも安く」という正義のために生きていた人間には、善悪が180度入れ替わるような行為である。


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 そして、もっと恐ろしいのは、それらがすべて

「外的要因」

によって生じるということだ。自分たちのコントロールできる範囲の外ですべてが起きていて、小さな存在である我々には、何をどうすることもできないのだ。

 これまで企業では

「おまえたちが努力しなかったから、こういう結果になったのだ」

という因果を説いてきた。それがもう、社長にも部長にも、課長にも社員にもまーったく通用しなくなる。

「いや、俺達の努力、まったく関係ないやんけ」

ということがバレてしまったのである。


 うちの市内にプラスチックの容器を作っている会社がある。

 お弁当のプラ容器みたいなのをせっせと作っているが、ナフサが止まれば作ることができない。そもそも入ってこないのだから、これは企業努力や個人の努力を超越していて、どうしようもない。

 できる努力は、「か、紙で容器作ります?」くらいのことであり、設備も技術も、まったく別のものになってしまう。

 これまでやってきた努力も、無意味になる世界観である。


 コロナウイルスのときもそうだったが、そうした外的要因は「瞬時」にやってきた私たちに襲いかかる。

 戦争もそうだ。

 コツコツと何年も努力する、という価値観は、「平時が続く」という保証があって成り立つものであり、「平時が続かない」のであれば

「いかに変わり身を早くできるのか」

が正解になる。

 テキトーなことを言ってでも、その場その場を生き抜く力が、いま求められている。

 明日が、どうなるのか、わからないのだから。


(了)













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