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--.友達は彼方【あとがき】

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こんなに長くなるのは予定外でした。

死んだ友達の事、一度満足するまで書いてみようって思って始めたのが、このシリーズです。


ずっと胸の中にしまっておくの、無理だって思ったんですよ。

何をしてても、何もしてなくても、ふとしたきっかけでジワジワと染み出してくる。

そういう感覚がありました。

こんな辛い気持ち、ぶちまけたいって思ったりする事が、何度もありました。

だけど、普通に暮らしてると、そんな相手もいないんですよね。


友達の死という経験が、少しずつ、あらゆる事に影響してくる。

そしてそれが、だんだんほっとけなくなってきたんです。


知らない他人がいて、その人の友達が死んだ。

そんなもんはね、誰にとっても、知ったこっちゃないと思うんですよ。

だからこれは、私が私を納得させる為の、ある意味では、供養と言ってもいいのかもしれませんね。



書き始める前の私は、

(だんだん忘れていくから、少しでも覚えているうちに書こう)

って思ってました。

ところが、いざ書き始めてみると、

振り返ってみると、あの時アイツ、こんな事してたっけな。

って感じで、どんどん記憶が蘇ってきました。


悲しみや辛さの中で、忘れたくないから思い出そうとした事って、いつも同じ角度から見てしまうから、同じ事ばっかり思い出すんだと思うんですよ。

だけど、記事にしよう、文章に残そうって思って書くと、全然違う角度から思い出そうとする。


だから、考えるのが辛くても、楽しかった頃を思い出して向き合う事は、なるべくその人を忘れない為の、一つの方法なんじゃないかな?
って私は思いました。




この記事を全部書き終えたら、私、すごく楽になったんですよ。

前は思い出すと、失ったものの大きさに悲しんでたのに。


書き終わってから、また振り返って思い出してると、

(そう言えば、こんなバカなエピソードもあったよなぁ…笑)

って笑っちゃう。

不思議ですね。

きっと、彼の思い出をどうやって取り扱うのかが、私の中で整理されたんだと思います。



大切な人を失うっていう経験は、遅かれ早かれ、みんな経験する事だと思うのですが、
だからって、私のこの経験が誰かの役に立つとは思わないです。


あなたの大切な人は、ぶっころじゃないし、
私の大切な人は、あなたのぶっころでもないので。

だけど、それでも今回の事で、私自身が学んだ事は、言語化してみたいと思います。



死んだ人の事を全く忘れないようにするのは、無理だと思う。

だけど、100%忘れる事も、あり得ないと思うんですよ。


顔を忘れても、声を覚えてる。

声を忘れても、エピソードを覚えてる。

エピソードを忘れても、そういう奴がいたって事はきっと忘れないから。


そしてそんな記憶は、彼と関わったみんながそれぞれ持ってるものだと思う。

私しか知らないぶっころがいるように。

フグタ君しか知らないぶっころがいる。

ご両親しか知らないぶっころがいる。

彼を思う人々と会って、話せば、知らないぶっころを持ち寄って、一人のぶっころを思い出せると思いました。

だから、もし私がアイツを忘れていっても、彼の全てが消え果てる訳ではないんだって思いました。


少なくとも、私が生きてる間はね。


そんな感じです。


個人的な追悼に長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。

今度は、何を書こうかな。


なんか、あんまやる気でねーや。

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