見出し画像

美味しいコーヒーの愉しみかた Acidity and Bitterness 第11話

 結城さんの奥さん、茜さんがお店のスタッフに加わって、ランチの効率は劇的に上がった。
 茜さんは要領が良いだけでなく、お客さんへの説明も丁寧な上に感じが良い。

 お父さんはキッチンでハイチェアに座って包丁メインの仕事をしている。
 今までと違って一部しか任されていないのがもどかしそうだ。
 茜さんは11時に来て、13時に上がる。賄いは希望してもらえれば用意するようにしていて、お昼を食べてから帰ることもあった。

  *

 私は2日に1回程度、ナツさんのお店に行くようになっていた。

「ナツさんは、日葵さんと付き合ってるんですか?」
「……いえ」

 なんか間があった。
 これはもしや、よりを戻すとか、そういうことなのか……。

「日葵さん、すごい美人じゃないですか。彼氏とかいないんですか?」
「さあ?」

 絶対知っているくせに……。これは、怪しい。
 あーあ。ここまで露骨に話題を避けているところを見せられると、日葵さんがナツさんにとって特別な人だと確定したようなものだ。

 ナツさんとようやく普通に話せるようになったのに、私とナツさんの距離は縮まらない。

「あ、そうだ。ブレンドコーヒーの豆を買っていきたいんです」
「はい、販売中ですよ。何グラムですか?」
「普通どの位ですか?」
「お2人で飲まれるのであれば、100gか200gでこまめに購入いただくのがお薦めですね。新鮮な方が美味しいので」

 じゃあ、と100g買うことにした。まずは様子を見て、次回100gにするのか200gにするのかを選べばいい。2日に1回通っているのだから、こまめに買える。

「実は、お父さんの失神……食後に自律神経がうまく働かなくなるっていうのなんですけど、食後にコーヒーを飲むのが良いみたいなんです」
「ああ、コーヒーは食後に適度に飲むのは健康効果もありますからね。ブラックコーヒー限定ですけど糖尿病の予防とか、様々なエビデンスがありますよ」

 これまで、コーヒーって身体にあまり良くないものだと思っていた。
 そもそもカフェインは中毒性があるものだし、緑茶や紅茶の方が健康に良さそうではないか。まさかお父さんの身体のためにコーヒーを買うようになるなんて。

 ナツさんの新メニューは立ち消えにはなっていなかった。
 私はまた、ナツさんに試食や意見を聞きたいと頼まれていて、今は試作品を待っている。

「お待たせしました~」

 ナツさんが運んできたのは、形を留めるのすら難しそうなスフレパンケーキ。くたっとした外見の黄色いパンケーキは、表面をきつね色に焼かれていて2枚が支え合っているかのように重なっている。
 上に載った丸いバターが溶けかけていて、横にクリームとミントの葉が添えられて粉砂糖がまぶされいて……。

「うん、ノーマルですけど、美味しそう!」
「ノーマル!!」

 私の第一印象にナツさんがショックを受けたようだ。
 そりゃそうか。相手はクリエイティブ界では有名人で、きっとこういう見た目に関してはプロ中のプロだというのに。

「いや、ほら、果物とかが無いって意味ですよ」
「最初に見た感想が全てだと思うんです、僕」

 ナツさんは落ち込んでいる。ああ、しまった。ただ美味しそうって言っておけばよかった……。
 食べた感想で信頼を取り戻そうと、私はお皿の横に置かれたメープルシロップの入った小さな器を持ち上げる。

「あ、最初はシロップかけないで食べてみてもらっても良いですか??」
「……はい。そうでした。ごめんなさい」

 これは試食でした。味の感想を言わなきゃいけないのに、いきなりシロップをかけるのはよくない。間違いない。

 ナイフとフォークが一緒に運ばれてきていたので、それを使って切ろうとする。この柔らかさはメレンゲによるものだろう、ナイフを刺した場所から「シュワ」っと泡を切った音が立った。

 フォークだけで充分切れる柔らかさ。
 ひと口大にしたそのパンケーキを口の中に入れる。口の中でも、また泡が弾けるような音がする。
 
「……どうでしょうか?」
「はい、ええと……」

 さっきナツさんをがっかりさせたから、言葉を選ぼうと頭をフル回転させる。

「スフレパンケーキらしくて、期待を裏切らないと思います」
「……味は……」
「普通に美味しいです」
「普通ですか……」

 ナツさんは私の言葉を繰り返すと、「いや、本音は違いますよね?」と疑り深い目でこちらを見る。

「……これ、コーヒーに合うとは思えなくて」
「本音きついです……ありがとうございます……」

 なぜこのお店にスフレパンケーキを出そうと思ったのか。ナツさんは、これなら飽きられないで食べてもらえると思ったんですと白状する。

「日本でロングヒットするスイーツって、『ふわふわ』とか『とろける』『なめらか』な食感で『卵を使って作られている』んですよ」
「なんですかそれ……誰が言ってんですか?」
「お菓子業界では割と有名ですよ。フランスではお菓子も食感をより複雑にしないと認められにくいんですが、日本はとにかく『ふわふわ』『とろける』好きな国民だと言われています。フランスで修行を終えたパティシエはそこでつまづくらしくて。ショートケーキも日本発祥ですからね」

 どうだろうか、と思い返してみる。ショートケーキに代表されるスポンジケーキ、シュークリーム、プリン、カステラなんかは確かにナツさんが言う話に合うような気がするけど、別にそれだけってこともないような気がする。

「なんでふわふわじゃなきゃいけないんですか?」
「噛み切るストレスがかかる料理があまり受け入れられないのが日本なので」
「んー……例えば?」
「日本の牛肉は海外に比べて圧倒的に柔らかいですし、柔らかいことが正義ではないでしょうか?」
「世界の神戸ビーフ……」

 確かにそうかもしれない。海外はパンも堅い。日本のパンは柔らかくてモチモチとした水分量が多いものが好まれている。
 何故海外では柔らかくする工夫が発展しないのだろうか。つまり、それを求めているわけではないってこと??

「ナツさん、あと気になったんですけど。ひとりで営業するのに向いていないと思うんですけど、このメニュー」
「それは……これから考えようと思ってましたっっ!」

 まさかのノープラン!!

「いやー無理無理無理。控え目に言って無謀です」

 なんで一品ごとにメレンゲを作る手間がかかるメニューをワンオペ営業でやろうと思った??

 はははは、私が止めなかったら、オペレーションが死んでしまうわ~。

 その時、店のカウベルが鳴った。店に入って来る人を見て、私は咄嗟に声をあげる。

「日葵さん」

 いつか、こういうことが起きるとは思っていたけど。

 日葵さんは私を見て軽く微笑むと、「隣、良いですか?」と控え目に聞いて来る。私が座っているのはカウンター席。ナツさんの仕事が目の前で見られる席だ。

「勿論です! どうぞどうぞ」

 日葵さんは最初会った時のような、都会で働くビジネスウーマンという風貌だ。控え目なシルバーのピアスにネックレス、化粧はナチュラルだ。

 コツコツとヒールを可愛らしく鳴らして、私の隣に腰かける。椅子に座る瞬間までの流れがとても綺麗で、なんて完璧なんだろうと思う。

「今日は?」

 ナツさんは他のお客さんとは明らかに違う様子で日葵さんを見る。
 その眼差しが、ただ親しい人を見ているのか恋人を見るような目なのか私には分からない。

「コーヒーを飲みに来たの。実はこのちょっと先で打ち合わせがあってね」
「仕事?」
「に、なればいいんだけど、どうだろ」

 メニュー表を睨みながらナツさんと会話を交わす日葵さんは、唇が動く度にその紅が柔らかくて瑞々しい印象を与える。こんなに赤い口紅が自然に見える人っているんだなと見惚れた。

 2人の間には入る隙など無く、私は目の前に置かれたパンケーキにメイプルシロップをかける。黄色い断面をしているスフレパンケーキに、きつね色のとろりとした装飾が化粧のように加わった。

「それ、新メニュー?」

 私の方を見て、日葵さんは興味津々に身を乗り出している。

「試作品。利津さんの意見でこれをメニュー化するのは無理だなって結論に至ったけど」

 ナツさんから丁寧語が消えている。

「ははっ。ナツらしー。どうせ予算とか計画とか度外視して試作したんでしょ??」
「……どうかな」
「ね? 利津さん、どこがダメだったの?」

 日葵さんは楽しそうにパンケーキの悪かったところを聞きたがる。
 私は、さっき直接ナツさんに意見を言ったばかりだ。

「駄目なところなんてなかったですよ」
「え?」
「これがパンケーキ単体であれば、ただ美味しいパンケーキです。欠点はないと思います。このお店との相性があんまり良くないというだけで」

 日葵さんとナツさんが驚いた顔でこちらを見ている。まさか私がこのメニューを擁護するとは思わなかったという顔だ。

「このパンケーキは紅茶やハーブティを出すようなお店のメニューです。コーヒーを美味しくするメニューではありませんでした。私が言いたかったのは、そういうことで……」
「そっかあ」

 日葵さんは納得したように頷いていて、ナツさんに「ブレンドコーヒー」と注文を済ませた。

「このブレンドコーヒー、利津さんが監修してくれたんですよ。利津さんには味見の才能があって、いつも助けられてて」
「いえいえ、ただの定食屋です」
「なにかそういう仕事をされてたんですか? 利津さんて」

 日葵さんに尋ねられて、ドキリとした。

「いえ、定食屋の味見を担当しているだけです……」
「そっかあ、毎日味見を担当しているとそういうことが分かるんですね」

 悪気が無いのは分かっている。日葵さんの言っていることは事実で、ただ毎日味見をしているだけの私は特別何かができるわけでもないのだ。

 久しく忘れていた。悪気のない人の言葉が、一番刺さることだってある。

 日葵さんとナツさんは、仕事や職場の話をしていた。
 その間、私はずっとパンケーキをつついている。

 甘いとろりとしたメイプルシロップと、柔らかいパンケーキが徐々にお皿から無くなって行く。その間、2人は親しそうに私の知らない人の話で盛り上がっていた。

 空気みたい、というけれど、私はまさにそれだ。
 同じ空間にいるのに、まるでいないような存在で、ただただひとりで食事をしているだけ。

「ああ、もうこんな時間だ。行かなきゃ」

 日葵さんは細い皮で出来たバングルの腕時計を見て、慌てて荷物を持って席を立って会計をした。

「ありがとうございました」

 ナツさんは他のお客さんと同じように日葵さんを見送る。

「バタバタしちゃってゴメン、また連絡する」

 日葵さんは帰りがけにひとこと、ナツさんに言って店を出て行った。
 コツコツとした足音が細かい音を立てて遠ざかっていく。

 また連絡する、かあーー。

 私は皿に乗ったひとつ分のパンケーキを食べ終えて、ふたつめに入っていた。
 まだ少ししかフォークを通していない十三夜のお月様みたいなパンケーキを眺めながら、フォークを握ったまま頭の中で最後の言葉を繰り返す。

 私は、2日に1回ナツさんと会っている。
 こうして、ナツさんのメニュー相談を受けている。
 日葵さんは前職の同僚だったはずで、定期的に連絡をする用事などないはずなのに。

 ナツさんは日葵さんの席を片付け、テーブルを拭いていた。

「あ、パンケーキ多かったですよね。残していただいて大丈夫ですよ」
「いえ、重くないので全部いただきます」

 このメニューはお店で提供されることはないだろう。
 だから、この店でこのパンケーキを食べられるのは私しかいない。試作品としてだけど、私が唯一ナツさんに任された仕事。

「ナツさんも、味見します? コーヒーとの相性とか」
「……じゃあ、ひと口」

 ナツさんはお店の小皿を私の席の前に置いた。そこに一切れ入れてくれという意味らしい。あまり沢山載せるとやっぱり要らなかったのだと思われてしまいそうで、残っていたパンケーキの三分の一分を載せた。
 
「こちら、どうぞ」

 ナツさんに小皿を差し出すと、「ありがとうございます」とナツさんは受け取ってフォークで口に入れる。もぐもぐと食べながら、うーんと何かを考えていたようで、お店の保温ポットからホットコーヒーを注いで相性を確かめている。

「ああ、なるほど。確かに……コーヒーより紅茶の方が合いそうですね」

 ナツさんは何度も頷いている。

「なんか、すいません。部外者なのに余計なアドバイスだったかも……」
「いや、僕が本質を忘れるところでした。必要なのは、コーヒーが美味しく飲めるメニューですもんね」

 ナツさんの言葉に救われたような気がしつつも、私はさっきよりパンケーキを味わう余裕がなくなっていた。
 お皿に残った残りのパンケーキを一気に平らげて、逃げるように席を立つ。

「ありがとうございました、利津さん、またリベンジさせてください」

 笑顔で送り出してくれたナツさんに、一生懸命作った笑顔で「ご馳走様でした」を言って店を出る。

 外に出た途端、びゅうっと湿気を帯びた風が吹いた。
 私は自分の髪を抑える。伸び放題になってしまった髪がボサボサになった。
 日葵さんのような美人にはなれないけれど、自分から目を背けていたままで良いのか、と風に向かって目を開ける。

 ポケットから携帯電話を出し、祥太に髪を切りたいとメッセージを打つ。
 私、迷っている場合じゃなかった。


いいなと思ったら応援しよう!

碧井夢夏 創作活動の時間を捻出して、より多くの作品を作る原動力にします。