美味しいコーヒーの愉しみかた Acidity and Bitterness 第20話
利津さんの家に下宿が決まってからは、あっという間だった。
着替えと身の回りの物だけでとりあえず来てみたら? と言ってくれた富雄さんに甘え、僕は2階の客間である畳の部屋に住み始める。
「うわあ、朝から秋刀魚定食……!」
毎日の食事が劇的に変わり、通勤時間も無くなったお陰で疲れが溜まらなくなった。富雄さんと利津さんには感謝しかなく、洗い物や掃除などの家事を積極的にやるようにしている。
「裕さんが美味しそうに食べてくれるから、作り甲斐があるよ」
富雄さんは、僕を見てそんな風に言う。みんなが僕を「ナツさん」と呼ぶのに、富雄さんは「裕さん」だった。
「富雄さん、洗い物置いといてください。僕、後でやっておきます」
「じゃあ、甘えようかなあ。よろしく」
食卓で、僕よりも前に食事を始めている利津さんはノーメイクでスウェットの部屋着を着ている。すっかり家族同然になっている僕たちは、これが普通だった。
「ナツさん、朝からよく食べますね」
利津さんは、僕の茶碗に盛られた大盛りのご飯を見て言った。
「だって、お米が美味しいんですよ。あ、すいません。食費増やした方がいいですか?」
「そういう意味じゃなくて! ほら、その……30代の人ってあんまり食べないのかなって……」
「30代を年寄り扱いしないでください……」
僕が複雑な気持ちでいると、利津さんは笑う。この家に来るまで知らなかったけれど、利津さんは笑い上戸だった。
「私、おにぎりでも握りましょうか? お店で食べるものが要るようでしたら」
「えー魅力的ですね。でも、コーヒーショップのカウンターで僕がおにぎり食べてたら嫌じゃないですか??」
「嫌です」
「嫌なんだ……」
そしてまた、利津さんはケラケラと笑う。笑うと八重歯が目立つ利津さんが、何かの動物に似ているなと僕は気になっている。
「帰ってきたらご飯をいただけるので、おにぎりは遠慮しておきます。毎日美味しいご飯をありがとうございます」
「いえいえ」
富雄さんはキッチンからいなくなっていたので、利津さんにだけ伝えたけれど、この家のご飯には毎回感動していた。
今日だって、人生で一番美味しい秋刀魚定食だったし。
「食事が良いと、なんか人生が充実している気がします」
「まあ、そうかもしれないですね」
「今日は、お店来ますか?」
「はい、後でお邪魔しようかなと……」
利津さんは、僕がこの家に居候をするようになってからも、変わらず店に来てくれていた。
「お金使わせるのも悪いんで、サービスしますよ」
「そういうの、やめましょう。食費は十分すぎるほどいただいているし、私はナツさんの負担にはなりたくないので」
利津さんは、こういうところがしっかりしている。
僕は洗い物を終えると、身支度をして2人に行ってきますを言って家を出る。
定食屋の店内を突っ切り、自分の店に向かう。通勤時間は1分だ。
自分の店の鍵を開け、開店準備を始めていく。
利津さんに試食してもらったマドレーヌも、早めにメニュー化できるだろう。
朝と晩とで顔を合わせる利津さんだけど、律儀に2日に1回はコーヒーを飲みに来てくれた。
気を遣わなくても良いですよと言う僕に、「コーヒーが面白くなって来たので水を差さないでください」と利津さんは頬を膨らませて怒る。
食費で1食1,000円払っているけれど、お風呂にも入っているし部屋を一部屋借りているし、洗濯もしてくれる。僕が恐縮する度に、利津さんは「この食費だけで助かってますから」と言っていた。
旅館の朝ごはんみたいに豪華な食生活だ。富雄さんは、作り甲斐があると言ってくれる。
たまに、富雄さんのお酒に付き合う。
富雄さんは娘と一緒にお酒を飲むのが夢だったらしく、利津さんが全く付き合ってくれないから寂しいらしい。
娘と父親がお酒を一緒に飲むって周囲でもあんまり聞きませんよと言ったら、そういうもんなのかなあと遠くを見ながら言っていた。
お酒なんか入らなくても、利津さんはいつも素で富雄さんと接しているし、いい親子関係だと思うんだけどなあ。
*
一日の営業を始めるのは午前10時。
この時間にお店に来るのは、ほぼ学生さんだ。本や勉強道具を持って、店内で勉強をしている人が多い。といっても、今日の客は3人だけ。
この人たちは、12時頃になると一旦店を出る。12時半頃からサラリーマンの人たちで店内が溢れるのを知ってくれているのだろう。
僕が学生時代には、こんな単価の高いコーヒーなんて飲んだことなかった。
貧乏な芸大生だったせいもあるけれど。
ファストフード店や安いコーヒーショップだってあるのに、わざわざここに来てくれるんだなあと有難いやら申し訳ないやらだ。
僕はお客さんが帰った席を片付け、テーブルを拭く。
洗い物をしていると、若い男性が帰る支度を始めた。
「ご馳走様でした」
「ありがとうございました」
「あの、夏木ユウタロウさんですよね??」
「えっ……?」
お客さんの顔をじっと見たけれど、知っている人ではない。
「すいません、実は僕、芸大のメディア映像学科にいて」
「ああ、はい」
「授業で夏木さんの作品を観る機会があって、興味が沸いたので調べてみたら……このお店に辿り着きまして」
「あ、わざわざこちらまでお越しいただいたんですか?」
ひえー。今の大学って僕の映像を見せたりするのか。
あれ? ということは、僕の名前を検索すると、この店って分かるんだ。
そう言えば、この間の雑誌取材で答えたな……あれ、確かWeb版でも記事になってるし、検索したら辿れるのか。
「夏木さんの映像、すごくよかったです。あの、サインもらっていいですか??」
「あ、え。いや、僕もう、コーヒーショップの店長なので……」
「まだ、クリエイティブディレクターもされているんですよね??」
「まあ……」
「僕も、夏木さんみたいな映像が作りたいなって思ってまして」
僕の知らないところで、僕の作ったものがこの男性のモチベーションになっているらしい。
「大したサインは書けませんよ?」
「ありがとうございます!」
僕は、仕事で適当に使って来たサインをノートの最後のページに書いた。
その男性は嬉しそうに、「大切にします!」と言って会計をして去っていく。
僕は、若いひとりの女性の人生を壊してしまったけれど。
こうやって人に希望を与えられたらと、ずっとどこかで思っていた。
*
「やっほー天才」
その日、利津さんが来る前に日葵が店に来た。
「何しに来たの?」
「コーヒー飲みに来てあげたんでしょうよ」
いつも通り態度の悪い日葵に、僕はカウンター席を案内する。利津さんが来たら、2人は隣同士で座ってもらうことになるわけだ。
「近くで仕事?」
「そう。この間の、なんだったの? あの変な電話」
「ああ、ちょっとね。友達が僕のことを天才肌だって言うから日葵はどう思ってるか気になったんだよね」
「で、私が天才肌だって言ったから満足した?」
声のボリュームが大きい。早く注文しろよと思いつつ、僕は頷く。
日葵といると、つられて態度が悪くなりそうだ。
「ナツが自分のことをそんな風に気にするなんてね。芸大出てクリエイティブの世界で第一線を走ってた割に変なこと言うなと思ったわ」
日葵はそこでようやくメニューを眺める。
「アイスコーヒーで飲むのは、どれがお薦め?」
「ミルク入れるんだっけ?」
「うん、入れたい」
「じゃあ、日替わりのマンデリンにしようか」
「手抜きしたでしょ?」
失礼だな、この客。店長のお薦めに対して手抜きなどと。
さっき若い子にサインを求められていた時、日葵がいなくて本当に良かった。
「手抜きじゃないよ。ホントにお薦め」
僕はローストを少し深めにしたマンデリンを用意し、ドリッパーの下に氷をセットする。ドリップの準備をしていたら、お店に利津さんがやってきた。
「こんにちは。……あ、日葵さん」
「どうもぉ」
利津さんの姿を見て、日葵はカウンターからひらひらと手を振った。
それを見て軽く会釈をした利津さんは、恐る恐る日葵の隣の席に着く。
「何にしますか?」
「あ、じゃあ……うーん、今日はちょっと違うのが良いなあ……ケニアで」
「はい」
利津さんのオーダーを聞いて、ケニアの豆をグラインドしていると、そういえば日葵に言っていなかったと思い出す。
「実は僕、利津さんの家に居候してるんです」
他のお客さんにも聞こえそうだったから、日葵に向かって敬語を使った。
「えっ? そうなの? 同棲??」
「あ、いえ、違います。同棲じゃなくて下宿っていうか」
利津さんが慌てて口を挟んだ。まあ、そうだよな。普通は同棲って思うよな。
日葵の言いたいことはよく分かる。男女が一緒に暮らすって大体それだよ。
「僕がおっさんで体力が限界なのを見かねて、空いている部屋を貸してくれたんです。利津さんのお父さんとも一緒に暮らしているような、本当に下宿先と言う感じで。通勤時間が無くなって健康になって来ました」
「やだー。爺臭い。年近いのにそういうの止めてよ。一緒にされるでしょ」
「えっ?? 日葵さんて、ナツさんと同年代なんですか?」
利津さんが驚いている。まあ、日葵は確かに若く見えるかもしれないよね。そこに価値を感じるのは人それぞれだし、僕がおっさんなら日葵は……。
「私は、ナツの一個下だからおばさんじゃないもん」
いや、そこは変わらないだろ……。っていうか、誕生日半年違いだし。
「えっ?? 日葵さん30代半ばなんですか??」
「そうですよー」
僕が日葵の代わりに返事をすると、思い切り睨まれる。
「私のちょっと上くらいかと思いました。こんなに綺麗な30代半ばの人、今まで会ったことないので……」
「えっ?? やだあ、利津さん!!」
利津さん、本音なのかもしれないけど日葵が調子に乗るからその辺にしておこうか。
「今日の利津さんのコーヒー代、私が払うね!」
「まいどー。利津さん、甘えておいた方がいいですよ」
「えっ?? 日葵さん、すごいですね??」
日葵は本気で嬉しそうだ。利津さん、意外とやるな……。
きっと日葵は、利津さんに会いたがるようになる。間違いない。
と、いうことは……。どうしよう、僕がピンチだ。
お願いだから利津さんの家に来ようとするなよ……あの親子、断らないからな……。
「ええー……いいなあ。日葵さんみたいに30代半ばでもこんなに綺麗なら、年取るのも怖くないのに」
「えっ?? ホント??」
「利津さん、もう止めましょうか」
このままだと、利津さんが日葵に気に入られてしまうし日葵が調子に乗る展開が待っている……。
「私、実は日葵さんに憧れてメイクを始めたんです……」
「利津さアアアアーーーーん!?」
「やだ、利津さんったら超カワユイ」
ダメだ……。終わった……。
「お待たせしました!! お客様、アイスカフェオレです!!」
僕はこの会話を終わらせるべく、日葵のコーヒーを席に置いた。
もうこれ飲んで、黙っててくれないか!!
「日葵さんってアイス派なんですか??」
「そうそう、外回りが多いから暑くってねえ」
「日葵さんが飲むと、カッコいいですね……」
もうヤメローーーー!! その女をこれ以上調子に乗らせるなーーーー!! その辺にしてくれーーーー!!
*
「ナツさんて、日葵さんと付き合ってたんですよね?」
「まあ、はい……」
営業途中に店に来た日葵は、騒がしく喜んでから店を出て行った。
この時間だけで2日分の体力を消耗した気分だ。
「あんな綺麗な人と付き合ってると、美人を見飽きるんですか??」
「いや……っていうか、別に僕、日葵の外見、好みじゃないですよ」
「えっ……女の敵みたいなことを言いますね……」
日葵は確かに美人だと思うけど。整ってはいると思うけど。
僕は美人ってあんまり好きじゃない。
「女の敵って……。いや、僕、外見より性格です」
「じゃあ、どんな人がタイプなんですか?」
僕は日葵の席を片付けながら、利津さんに女性の好みを聞かれている。
コーヒーショップの店長って、客からこんなこと聞かれるんだろうか。
「僕の好み……ですか。まあ、僕は基本的に弱いので……強い人に惹かれますね」
「強い人??」
「信念があって、ブレない人とか」
「日葵さんて、そうなんですか??」
うーん。まあ、そうだなあ。
営業担当の日葵は、気は強く、ブレず、信念もすごい。
「仕事している時は、そうでしたね」
「仕事している時は??」
「仕事以外は違うんですよ。だから僕らは仕事という共通項が無くなると全くダメでした」
利津さんは興味深そうに「へえ……」と驚いていた。
それにしても、日葵のことをそんな風に思っていたなんてなあ。全然気づかなかった。
「利津さん、最近メイクが変わったのって、日葵を意識してたんですか?」
「あ……そうなんです。日葵さんみたいな綺麗な人に憧れて……」
「へえ。でも僕はノーメイクの利津さん、可愛いと思いますよ?」
一緒に暮らすようになって、利津さんのすっぴんをよく見るようになった。
メイクをしている方がキリっとするけど、家でくつろいでいる時の利津さんは見ているとホッとする。
「ナツさん……。そういうこと、女性に軽々しく言ったらダメです」
「えっ?? ああ、祥太くんみたいでした??」
「この先、私、どんな顔して家でナツさんに会えばいいんですか……」
「いや、普段通りで良いじゃないですか」
そんな話をしていたら、ひとりお客さんが帰って行く。
僕は会計と見送りをした後、お客さんの帰った席を片付けていた。
「そういえば、利津さん。今日のケニアはいかがでしたか?」
利津さんがアフリカ系のコーヒーを頼むのは久しぶりだ。
僕はブレンドコーヒーをモカベースにしたけれど、利津さんの好みは中南米系らしい。
「なんか、久しぶりにこういうコーヒーを飲みましたけど、美味しいですね」
うんうん。そう言ってもらえたら扱っていて良かったと思えるな。
「実は僕、ケニアが一番好きなんですよ。アフリカ系と酸味のある豆はあまり注文されなかったりするんですけど」
恐らく日本で一般的に馴染みのあるコーヒーは中南米系だけど、コーヒーを勉強するようになってアフリカ系が好きになった。
パンチが強いけど、その個性に惹かれる。そういうものを好きになれるということは、僕も成長したか歳をとったってことなのかもしれない。
「これ、ナツさんの好きな豆だったんですね」
利津さんは、僕が初めて自分の嗜好を話したからか興味深そうだ。
「なんか、コーヒーの懐みたいなものを感じるんですよ」
「懐?」
利津さんはまだ若いし、こんな話楽しくないと思うけど。
「強い個性が味わいになって、それをどう楽しむかを考える余地があります」
「考える余地、ですか」
「99人が選ばなかった味でも1人が選べばそれは選ばれたコーヒーの味になる。コーヒーの選び方は、そんな風に自由でいいんです」
「なんだか、素敵ですね」
「ここはコーヒーショップですから」
コーヒーには個性がある。
産地や農園、気候、焙煎、淹れ方まで。
好みのコーヒーを好きな飲み方で飲む自由度の高さが、コーヒーの良さだ。
「へえ……なんだか、ナツさんがコーヒーショップの店長さんをしている理由が分かった気がします」
「そうですか?」
「だってナツさん、前の仕事では提案をするのが仕事だったんですよね?」
よく知ってるな、そんなこと。そういえば、前の仕事でインタビュー受けてそう言うことにしてたんだっけ。
意外と、利津さんには僕がどんな人物なのかを調べられているのかもしれない。
「コーヒーショップも、色んな提案ができますね」
「そうですね」
「羨ましいなあ」
羨ましい? 聞き間違えたかな?? 利津さんに羨ましがられる要素、どこにもないもんな……。
「ナツさんは、何をしていてもそうなんですね」
「何をしていても……?」
「商店会にいても、お店にいても、常に提案をしているじゃないですか」
「そうでしたっけ……?」
自覚がない。常に提案……。
お店にいる時は注文されたものを出しているだけだしなあ。
商店会は、単にアイデアを言っただけで……。
「今まで私、ナツさんみたいな人に会ったこと無かったですもん」
「それは、単に利津さんより年が行ってるってだけだと思いますけど……」
僕の感覚からすると、どんな仕事だって提案が必要だ。営業職だって、販売だって、接客だって、全部提案が要る。
「だって、ナツさんと会ってから私、どんどん色んな事を考えるようになってます」
「色んな事……?」
僕はカウンターの中でカップを拭いている。
いつも利津さんとはこの距離で接客をしているけれど、普段より込み入った話をしている気がした。
「ナツさんにコーヒーのことを教わって、ペアリングのことを考えるようになって、なんだか世界が広がって」
「そうですね、コーヒーの世界は広いですね。利津さんが世界を広げただけで、僕は何もしていませんけど」
利津さんの持つ味覚と嗅覚は、コーヒーを楽しむのに向いている。
大抵の人はコーヒーの酸味は分かっても、それがどんな種類の酸味なのか分からないし、コクの強さを正確に把握する能力もない。
まして、香りを嗅いだだけで産地を言い当てるような嗅覚は、普通ではない。
利津さんの持っているものは鍛錬で到達できる範疇を超えていた。
「利津さんは、コーヒーに向いていると思いますよ」
「……コーヒーショップの店員にですか?」
「まあ、そうですね、向いていると思います」
利津さんは焙煎士やコーヒーブレンダーなんか適任かもしれない。それに、豆の仕入れなんかも任せられるだろう。
僕より、利津さんの方がコーヒーショップに向いている。
この世に利津さんのような人が他にもいるのだと想像に難くないわけで、僕はコーヒーショップの店長としてのレベルは低いのだろう。
確かに、天才肌ってやつは周りに劣等感を与える。
僕は自分の気持ちを誤魔化すように、利津さんの水を足す。
食の世界でトップを走れるような人生を送っては来なかったのだから、ここで利津さんに嫉妬をするのは筋違いだ。
「私……ナツさんの手伝いができたらなあ」
「……え??」
「もっともっと、コーヒーのことが勉強できるし、ナツさんの役にも立てるのに」
「い、いや……そんな。恐れ入ります」
利津さん、何を言っているんだろうか。
下宿させてもらっているだけでも、僕は充分お世話になってるっていうのに。
「いや、ありがたいですけど、僕が利津さんに教えられることなんて大してありませんよ」
「ナツさんは、自分のことがよく分かっていないんですか?」
「いや、よく分かってますって」
利津さんの方が、豆の違いを明確に分かっている。僕は知識の範囲と一般的な味覚を頼りに、あとはクリエイティブで勝負するしかない。
「祥太が言ってたんです。人間って『素』よりも『繕い方』が大事なんだって。最初聞いた時、私はそんなの嫌だって本能的に思ったんですけど……」
「今は、納得しているんですか?」
祥太くんらしい理屈だ。
確かに、素を出すのは家族や身近な人の前だけで良い。社会に出たら取り繕う技術って意外と大事だし、美容師はそういうことをする人のためにあるって言いたいんだろう。
「私に足りないのは、そういうところなんだろうなって。ナツさんは、あらゆることの魅せ方が上手いじゃないですか」
えーと? これは僕の素が否定されているわけじゃなくて、僕のクリエイティブが良いってことで間違いないのかな?? 褒められてるよね??
「利津さんは、自分を取り繕いたくなったんですか?」
「だって、日葵さんみたいに綺麗な人がいるのに、私が何も努力をしないのは諦めているのと同じだなと思って」
うん、日葵はメイクうまいよね。すっぴんビックリするよ。
整ってはいるけど、左右差が結構あるのにメイクすると全然分からなくなるんだから。
「それで利津さんがいいなら僕は別に否定しませんけど、さっき言った通り利津さんのすっぴん……」
「やめてください! 調子に乗らせようとしないでください!」
なんで?? 褒めてるだけなのに、ちょっと叱られ気味なんですけど??
僕はカップを拭く手を止めずに、利津さんに怪訝な表情を向けてしまった。
「調子に乗らせているわけじゃなく、僕は利津さんが素を出しがちなところを評価してるって言いたいだけです」
「……そうですか」
「今度はなんでそんな落ち込んでるんですか」
「私の努力は全く評価されないんだなって……」
あっ……。そういえばそういう意味か。しまった。
「評価はしています!」
「……いいですよ、もう」
僕って、こういうところが本当にダメだ。
それに、何度反省しても同じような失敗をする。救いようがない。
「すいません、利津さんをただ褒めようと思っただけで」
「ナツさんてクリエイティブ発想でいつも隙が無いと思いきや、そうでもないんですね」
「返す言葉もございません……」
僕が気まずそうにしていると、利津さんは楽しそうにこっちを見ている。
もうすぐ、利津さんは夜の営業を前に仕込みに帰って行く。
その後で僕らは、夕食を一緒にとるようになっていた。
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