美味しいコーヒーの愉しみかた Acidity and Bitterness 第15話
あれから利津と連絡をとっていない。俺は久しぶりに友達との飲み会に参加した。
「おーっす」
悪友の剛が個室で既に席に着いている。ちょっと目つきが鋭い剛は、俺らの年では手が出ないようなブランドの服を身に着けている。
同い年の剛は、アパレル会社でバイヤーをしていた。
「結局、何人くんの?」
「俺の後輩が3人」
剛が当たり前のように言ったけど、世間でこれは合コンと呼ばれるやつなのかもしれない。
「剛の後輩かあ……美容師の男とか無いわーって言ってそうじゃん」
「いや、祥太の話したらめっちゃ会いたがってたし」
「どんな話し方したんだよ」
掘りごたつ式の席で剛の斜め前に腰を下ろして、今日の店のメニューを眺める。今日の会費は男が5,000円、女が3,000円くらいの店だ。
「やっぱ2人共早いねー」
そこに到着した友基が相変わらず嫌味な爽やかさを振りまいている。体育大を出てジムのインストラクターをしている友基は、清潔さが一番大事だとかなんだとか言って、いつもシャワーを浴びたてのような雰囲気が漂う。
「今日はどんな子が来るの?」友基が興味津々だ。
「あー。若いよ。20歳と22歳。販売員だからかわいいし」
「友基、彼女いなかったっけ?」
「別れたよ。職場恋愛だったから気まずい」
そんな世間話をしていたら、女の子たちが同時に到着した。3人は同じ職場らしいし、きっとどこかで待ち合わせて来たんだろう。
3人ともパンツスタイルだったけど、利津みたいな女を捨てた雰囲気はどこにもない。「こんにちはー」と笑った時に塗られていたリップの光沢が光っていて、やっぱり化粧がちゃんとしているのは良いなと思った。
手足が長くていい匂いがしそうなキラキラした3人だ。
「わー3人ともすげーかわいい!」
友基は平気でそういうことを言う。俺は友基を根っからの女たらしだと睨んでいる。
食事やドリンクを頼みながら、お互いの自己紹介をし合った。
友基は隣に座った小柄な20歳の子に身体を向けて熱心に話している。こりゃ、完全に狙ってんなあ……。
「祥太さんは、火曜休みなんですか?」
「そう。あと1日はシフト。真樹ちゃんは?」
「私たちはシフト制ですね。月曜か火曜に1日休みをもらいます」
セミロングでパーマをかけている真樹ちゃんは、金色の大きなイヤリングなのかピアスなのかが髪から覗いて話す度に揺れている。猫顔系統で……うん、好みかも。
2時間半で店を出なくちゃならなかった。まだ21時半で、大人が解散するには早い時間だ。
「さて、どうするー? 友基はアカリと二次会行きたいんだろ? アカリは?」
「えっ……」
友基とずっと話をしていたアカリちゃんは、剛に二次会と言われて戸惑っていた。
「じゃあ俺、真樹ちゃんと飲み直してくるわー」
そんなことを言い、真樹ちゃんを誘う。「はーい」と軽く返事をした真樹ちゃんに、アカリちゃんも「じゃあ……」と友基についていくのを決めたらしい。
剛は幹事同士で「今日は帰る」と去っていく。
程よく身体のラインを拾うカットソーを着た真樹ちゃんを、何度か行ったことのあるバーに誘った。
*
最初の店から3分ほど歩いたところにあるバーは、外から見るとライブハウスのような印象を受ける。
このバーで先輩美容師のショーに誘われたのがきっかけで、たまに訪れるようになった。
昔の映画セットを模した店内は、暗いのに妙に間接照明の使い方が近未来的だ。
「この店、よく来るんですか?」
「たまに。ここ、貸し切りでステージ作ってヘアメイクのショーとかやるんだ」
真樹ちゃんは「ふうん」と言って「すいません」と付け加えると、荷物から煙草を出して火をつけた。
さっきの飲み会では吸っていなかったから、遠慮していたんだろう。
小さなハイテーブルの席に着いている。ミックスナッツが席に置かれて俺と真樹ちゃんはジンバックとモスコミュールを頼んだ。
「祥太さんって、彼女いないんですよね?」
「うん」
「なんでですか?」
煙をふーっと吐いて、それを手で散らしている。けだるそうな雰囲気が、さっきとは別人みたいだ。
「真樹ちゃん、雰囲気違くない?」
「先輩の目が無いんで、こっちが素です」
なるほど、と思う。剛の前ではこういう姿は出さないらしい。
ぐっと色気が増したようにも見えた。
「だから、なんでなんですか? 祥太さんモテるでしょ?」
「前に付き合ってた子がねー……束縛系というか、メンヘラ系というか」
「ああ、懲りたんですか」
真樹ちゃんは煙草を灰皿にトントンとして灰を落としている。尖った爪にパープル系のネイルが光っていたけど、この店の暗い照明で見ると煙草の灰と同じ色に見えた。
「懲りたっていうか、なんか、面倒になっちゃって」
「終わってますね」
「始まってないよ」
俺と真樹ちゃんはそんな話をしながら、お互いの知る剛の話をしたり仕事の話をしたりした。
「真樹ちゃんは?」
「ああ、彼氏は……要らないです」
「それは終わってるんじゃないの?」
真樹ちゃんは、じっとこっちを見ていた。仮にも年下の美人に「終わってる」なんて言い過ぎたと気付く。
「さっきのあの……胡散臭い笑顔の友基って人、アカリのこと持ち帰ってます?」
「さあ? 友基は相手の希望にゆだねると思うよ。出会った日にがっつくタイプじゃないし」
俺は、「胡散臭い」と言われたのが気に入らなかったのか、なんだか友基の肩を持ってしまった。あの笑顔のどこが胡散臭いのか。あいつは、素で良いやつだと思う。確かに女好きではあるけれど。
「へえ、そうなんですね」
真樹ちゃんはそう言って特に楽しくもなさそうに店内を見回していた。
「祥太さんは、どんなつもりだったんですか?」
「えっ?」
二次会に誘った時点で、下心がゼロではない。
こんなストレートに尋ねてくる子は初めてだった。真樹ちゃんの顔は見れば見るほど俺の好みで、だけど彼女から俺に対する恋心のようなものは一ミリだって感じられない。
どうせ、もう二度と会わないのだろう。
「顔が好みだから誘っただけだよ」
真樹ちゃんの顔はここ最近出会った中で一番タイプだった。しっかりとメイクをしている顔だけど、その下に隠れるベースの顔も好みだと分かる。
「私、顔を褒められるのって好きじゃないんですよね」
「……言われ慣れてそうだ」
22歳。これだけ可愛くて、スタイルも良くてアパレルの販売員。
褒め方を間違えたらしい。だけど実際、俺はこの子の外見以外を知らない。
「うち来ます?」
「は?」
「そういうつもりで誘ったんじゃないの?」
「いや……」
そこまでの期待はしてないよ、と頭の中で警告が鳴る。
学生時代、こういうことが無かったわけじゃない。だけど、この誘いに乗るのを躊躇した。
「彼氏要らないんだよね……?」
「お互い彼氏彼女が居ない方が、あと腐れなさそうじゃないですか?」
「そういうもの?」
「浮気とか不倫は嫌なんです。かといって、フリーの男は残ってないし。だからちょっと今日は、運命感じました」
勝手に感じるなよ、余計な運命を……。俺は複雑だ。
嬉しくないかと聞かれたら嬉しくはあるのが、余計に。
「でもさあ、情が沸かない? そんな簡単に割り切れないよ」
「情……。それならそれで、そういう情の関係でもいいですよ」
そう来るかあ……。すげーなー。この子。
世の中どうなってんだよ。こんな可愛い顔して相当淫乱なんだろうか。
「私、祥太さんが美容師って知ってるから、本気にはならないし」
「それかなり複雑なんだけど」
「彼女相手じゃないとできないとか?」
幸い店内はガヤガヤとうるさくて、この会話が他の客に聞こえることはない。静かな店だったら相当焦っていたと思う。
「相手の気持ちが無いと思ったら、盛り上がらないんだよね。だからそういうこと言われちゃうと、なんか冷めるかも」
「そうですね、ごめんなさい。フィクションでも愛は必要ってことか」
「……人の話聞いてた?」
そこでフィクションとか言われるから冷めるんだっつーの。少なくとも、気持ちの持って行き所が無いのは嫌だ。
「祥太さん、今日一日の、彼氏彼女しますか」
「今日一日の……」
「手を繋いで帰って、ただいまーって私の家に着いて一緒に寝るだけ」
「だけって……真樹ちゃんは、一体俺に何を求めてんの?」
呆れた俺は本音をぶつけた。一瞬、真樹ちゃんの顔が予想外のことを聞かれたみたいに固まって、頬杖をつく。後ろの背景には、バーの白い間接照明。俺が写真をやっていたら、3回はシャッターを切っていたかもしれない。
とにかくこの子は、何をしてもそれが一枚の絵みたいだった。
「分かんないですよ。そんなの」
「……?」
「祥太さんなら、私をちゃんと扱ってくれそうかなって思っただけで」
これまでの話を全て吹っ飛ばして、急にその話に持っていかれる。
さっきの飲み会では見られなかった目の前の女の子の、なにか抱えているモノが見え隠れしている気がする。
頭では、そんなのに深入りしていい事なんかないと分かってた。
*
真樹ちゃんの家は、店から30分。駅から10分の小さなマンションだった。女の子の家に来たのは久しぶりで、そういや利津の部屋にも入らなくなっていたなと思う。
ワンルームの広くもない部屋に、服がいっぱいかかっていた。メイクボックスらしきものも置いてある。お洒落をするのが一番みたいな部屋で、隅っこに申し訳なさそうに布団が積んであった。
「どうします? シャワーでも?」
「ああ、えっと……」
勧められるがままに、トイレと一体型になったユニットバスでシャワーカーテンをして身体の汗を流した。
女の子の家に来ると、何のシャンプーを使っているかをチェックしてしまう。真樹ちゃんは通販で人気のちょっと高めなオイルシャンプーを使っていた。香りがフローラル系で、やっぱり女の子らしい。
今度、店の買い出しに行ったついでにサロンシャンプーを買ってこようかなんてよぎって、いや、何のプレゼントだよ、と我に返った。
「サンキュー。ドライヤー借りていい?」
タオルだけを腰に巻いてユニットバスから出ると、真樹ちゃんは何故か驚いている。
「あ。そっか、着替え、ないのか」と小さな声で気付いた彼女に、もしかしてこういうことを頻繁にやっている子じゃないのか? と思う。
さっきの堂々とした態度とは打って変わって、真樹ちゃんは慌ててドライヤーとブラシを俺に渡して「私もシャワーして来るから」と逃げるようにユニットバスの中に消えた。
俺、あの空間をびしょびしょにしてきちゃったんだけど、大丈夫なのかな。
ドライヤーで髪を乾かして、服が無いのはつらい、と大量にかけられた真樹ちゃんの服を眺める。
いや、あの中に俺が着られる服はない。
仕方がないのでメイクボックスを開けた。これは時間を持て余しただけだ。
真樹ちゃんのメイクボックスの中には、つけまつげからデパートコスメ、ドラッグストアコスメまで幅広く揃っている。
普通の男はこういうのを見てもピンとこないんだろうなと思うと、俺はやっぱり「本気になってはいけない」類の男なのかもしれない。
ここまで集めるの、大変だったんだろうなあと色とりどりの綺麗なメイク道具を見つめる。
やっぱり俺は、綺麗になりたいと頑張る女性を見ると嬉しい。
「ごめん、やっぱ、コンビニでパンツくらい買った方が良いんじゃない?」
ユニットバスの部屋が空いた。軽いドアの音がして、ピンク色の部屋着に濡れた髪をタオルで拭きながら、真樹ちゃんはノーメイクの顔をこっちに向けている。さっきより目は小さくなっていたけど、やっぱり好みの顔だった。
「いや、もういいよ。裸で寝る……って、布団ひとつしかなかったりする?」
申し訳なさそうに頷く真樹ちゃん……うん、やっぱお前慣れてないだろ?
畜生、マジで来るんじゃなかった。
俺は「あーーーー」と息を吐いて、とりあえず真樹ちゃんを座らせた。腰に巻いたタオルが湿っていて、これはなかなか気持ちが悪い。
真樹ちゃんの髪をタオルドライして、ドライヤーで乾かしていく。
「やっぱプロだねー。うまーい」
「プロだよ。これ、店で500円取ってるから」
真樹ちゃんは「高ーい」と言いながら笑う。無防備なんだか知らないけど、プロの美容師以外にこういうことをさせるのは推奨しない。やっている俺が言うな。
ブローが終わってドライヤーのコードを巻いていたら、「ねえ」と真樹ちゃんは深刻そうな口調になった。
「祥太さん、何しに来たの?」
「何って、話しに?」
「わざわざ?」
「裸になるとは思わなかったけど」
さっき脱いだ下着をもう一度身につけて一日着た服をまた着るか迷う。濡れたタオルはやっぱり嫌だ。かといって、手を出す気が無いと宣言しておいて服を着ないで一緒に布団に入ろうとするのは違う。
「真樹ちゃん、なんかさー俺でも着れそうな服ないかな……」
「うーん、オーバーサイズのシャツとジャージ貸す?」
「うん、貸してくれるかな……」
真樹ちゃんは大きなTシャツと高校生の時に使っていたのだという青地にデカデカと「相良」と黄色い刺繍が入ったジャージのボトムスを渡してきた。
「ちなみに、この『相良』ってのは……」
「私の苗字です。相良真樹」
「なんかかっこいーね」
俺はタオルの下にジャージを掃いて丈の足りないジャージにきついウエストをなんとかそれっぽく着こなす。ギリ着れる。
白いTシャツは男性用のSサイズよりちょっとデカい位のサイズ感だった。
「げ、ノーパンで履かないで」
「そのくらい気にすんな。後で洗濯してください」
「あはは、うける」
真樹ちゃんの笑顔がさっきより本物で、やっぱ可愛いよなあと見てしまう。
「で? なんでここに俺を呼んだんだっけ? 運命?」
「……一緒に寝ます? 運命感じるかも」
「添い寝ね」
真樹ちゃんは部屋の隅から布団を引っ張って来てそこに敷いた。
どうみても2人で寝るようなサイズじゃない。つまり、密着しないと寝れない大きさだ。
真樹ちゃんはさっさとその布団に潜り、電気を暗くした。
「どうぞ」と掛け布団をめくっている。
「狭いなあ……添い寝ってか、領地の奪い合いじゃん」
「人んちで文句言い過ぎじゃない?」
「俺んちだったらもうちょっと待遇いいもん。実家だけど」
「親のすねかじりながら威張らないでください」
あははと笑って布団に入ったら、真樹ちゃんがTシャツにしがみついてきた。背中をさすったら、あまりにも小さくて折れてしまいそうだなと思う。
華奢な子だ。
「祥太さん、話をしに来たんじゃないんですか?」
「無理矢理話してもらおうとは思ってない」
サッと、掛け布団の音がする。真樹ちゃんの上半身が起き上がって、俺の顔をじっと覗き込んでいた。
「何?」
「私、祥太さんの顔、好きです」
「顔を褒められるの嫌いなのに、褒めるんだ?」
「綺麗なものは大体好き」
「うわ、それ賛成」
真樹ちゃんの部屋に来て、俺がなんとなく思ったことだ。
この子は、自分の価値観で「綺麗な物」を集めて自分を綺麗にしている。
そういう生き方が見える部屋だなと納得した。
真樹ちゃんの目がじっと俺を眺めているのが分かる。暗くて、その眼の中に俺がいるのかはよく分からないけど。こうやって見ると眼球って丸いんだなと、その曲線の滑らかな光に吸い込まれそうだった。
真樹ちゃんは起こした身体をゆっくりと下げて、顔を近づけてくる。
あ、まずい、と思った時には手遅れだった。
パーマの掛かったセミロングが首筋にかかり、恐らくお互いの顔で一番柔らかい場所が触れ合う。
フィクションでこういうことはしたくない。
俺は役者じゃないから、嘘をつくのは得意じゃない。
「真樹ちゃん、ごめん……」
この子のプライドを傷付けずに、どうやってこの気持ちを伝えれば良いのか。
「しょー……たさん」
真樹ちゃんは何かに怯えたように、哀願するような顔をこっちに向けている。
分からない。どうしたらいいのか。真樹ちゃんは泣きそうだ。
「お願いです、一緒にいてくれませんか?」
「いるよ、だから来たんだけど」
力を込めたら折れそうな背中を引き寄せて、真樹ちゃんを腕に抱えた。
さっきバーで見た子と同一人物には思えないほど小さい。
華奢だけどちゃんと柔らかくて、この子は女の子なんだなと思った。
「こうしてるから、一緒に寝よう」
手で髪を梳いたら、「これはお店で幾らですか?」と悪戯っぽく笑顔を作っている。目頭に小さな水の粒が光っていて、夜露に濡れる植物みたいだとワンルームマンションの持ち主を見つめた。
「こちら、メニューには載ってません」
「あはは、裏メニュー」
ようやく、真樹ちゃんの本物の笑顔が見られた気がする。
なかなか寝付けなさそうにしていたから、ずっと髪を梳いて柔らかく頭を刺激する。そのうち安心したみたいで、眠りについていた。
傷付いた猫みたいなその様子を見て、俺はフィクション抜きで結構好きだなと思った。
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