美味しいコーヒーの愉しみかた Acidity and Bitterness 第3話
私が尋ねると、ナツさんはちょっと戸惑った様子を見せた後で「そうですね」と頷いた。
「もともと、どういうデザインで表現すると良いのか、というのを総合的に作り上げたり監督するのがクリエイティブディレクターっていう職で」
「さすが、お洒落なわけだ」
「いや、お洒落にこだわったわけでもないんですけど」
ナツさんは苦笑いしていた。私は目の前のコーヒーを、まずはブラックで一口飲んでみる。
「わわ。酸味がフルーティ。コクや甘みは、後から来ますね」
「さすが」
何がさすがなのかは分からないけど、私は目の前に置かれた小さな容器に入ったミルクを注ぐ。
また、ひと口飲んでみた。
「すごい。甘みが際立った……」
「そうなんですよ。この豆はフレンチプレスで抽出するとコーヒーオイルの甘みとコクが出るので、ミルクとの相乗効果が良いですよね。ミルクを入れるのは一般的に苦味のあるコーヒーって言われますけど……こういう相性も楽しくないですか?」
私は興奮気味に頷く。コーヒーの酸味って苦手かと思っていたけど、こうやって飲んでみると、むしろこの酸味が美味しいと思える。
「コーヒーの酸味って、悪い物だと認識されているところがあるんですよ」
「分かります。私も酸味の強いコーヒーっていい印象がなかったというか」
そこで、店内のお客さんがひとり帰って行った。
ナツさんはレジで会計をして、そのお客さんに丁寧にお礼を言って見送っている。
なんか、柔らかい人なんだな。クリエイティブディレクターって職業はイマイチ分からなかったけど、ナツさんの雰囲気はすごく柔らかいなと思う。
これまで、飲食店で接客でもしてきたのかなと思うくらい自然だ。
ナツさんはお客さんが遠くまで行ってしまったのを見届けてから、またキッチンに戻って来る。
お店はコンクリート壁だけど、程よく温かみがあって……何故か苔玉みたいな観葉植物だったり、コーヒーの麻袋を巻いた鉢に入れられたパキラが置いてあったりする。
店舗の什器は古木を使ったヴィンテージ風のテーブルと椅子。
無骨な感じはしなくて、使い古された温かみがする。
センスが、いいんだなあ……。
「なんで、クリエイティブディレクターさんがコーヒーショップの店長さんなんですか?」
ちょっと突っ込んだことを聞きすぎたかな、とナツさんの表情を確認した。
いつも通りの感じで、カップを拭き始めている。
「僕の周りのサラリーマンって、誰でも『脱サラでもしてのんびり喫茶店でもやりたいなー』なんて言ってるもんなんですよ。もともとお店をやっているとか不動産を持っているとかじゃなければ、なかなかできることじゃないんですけど」
ナツさんはニコニコと笑っている。まるで、他の人が行動しない夢を叶えているんですよ、とでも言ってるみたいに。
「日常を手放すのは、やっぱり色々あるじゃないですか」
私が言うと、ナツさんはシンクを綺麗にしながら頷いている。
「そうでしょうね、家族がいないのは僕の強みなんだろうな」
ナツさんが下を見て片づけをしながら笑っている。そっか、結婚してないのか。
まあ、若そうだから普通なのかな……。
そこで、お店のカウベルが鳴った。
「いらっしゃいませー……」
お店に入って来た20代後半位の綺麗な女性の姿を見て、ナツさんが息を吞む。
「ナツ……」
その女性はいかにも都会で仕事をしていそうな、タイトなスカートを履いて紺のジャケットを羽織った人。肩下までの明るい髪色は毛先から15㎝くらいをランダムなカールに巻いていて、ピンク色のフレンチネイルをしている。
いかにも、オフィスで働いていそうな女の人だ。
鼻筋が通っていて、顎から首のラインが流れるような線を描く。こういう人を美人っていうのか、なんて一瞬で思った。
「ちょっと、話せない?」
「……コーヒーを飲みに来たんじゃないなら、営業時間外にしてくれるかな」
話し方の感じからして、ナツさんにとって親しい人の様だ。
込み入った話をしちゃうような、ちょっと特別な関係がありそうな……。
「わざわざ立ち寄って、そういう感じなの?」
「ここはお店だよ」
ナツさんが刺々しいのは何でなのだろうか。
女の人は、私と店内でもう一人だけいたお客さん、席に着いている40代くらいの男性を目に入れて頷いた。
「分かった、また、連絡する」
女の人はそう言って、颯爽とお店を出て行ってしまった。コツコツとハイヒールが地面を鳴らす。
私はその綺麗な後ろ姿に見惚れながら、同じ女性でもあんな人がいるんだなあと余韻に浸ってしまう。
「ごめんなさい、なんか雰囲気悪くしちゃって……」
ナツさんは気まずそうに私に謝った。
どんな関係なんですか? って聞きたい気もしたけれど、店内にいる他のお客さんにも聞かれてしまうし、まだ知り合って間もないナツさんにそんなことを聞ける度胸もない。
私は、「そろそろ仕込みに戻らなきゃ」と席を立って支払いを済ませ店を出た。ナツさんは、「なんか変な感じになっちゃってすいません」と謝って来たけど、私には特に関係ない。
お店に帰ってお父さんに「どうだった、隣は?」と聞かれたので、お洒落だねと言った後にコーヒーは意外に面白いかもしれない、とだけ伝えた。
すぐにキッチンに入り、髪を結わってエプロンと三角巾を装着する。
手を洗って夜用の野菜を洗い始めた。
出汁の準備はお父さんが終わらせてくれていたので、あとは魚と肉の下準備だ。
今日はカレイの煮つけと豚の生姜焼きの日。
毎週水曜日は生姜焼きの日で、この日を狙ってやってくる学生さんもいる。
生姜焼きって、人気なんだなといつも思う。
「そういえば、あの店長さん……ナツさん、クリエイティブディレクターっていう仕事だったらしいよ」
「ふうん、えらい横文字だなあ」
私とお父さんの人生では、決して使ったことのない単語。
一体どんな仕事をしているのかもよく分からない。なんとなくお洒落な仕事なのかなあと思うくらいだ。
仕込みを終えると、開店まであと10分ほどだった。
私は暖簾を外にかける前に、持っている携帯電話でナツさんの名前を調べる。
『クリエイティブディレクター 夏木 ユウタロウ』
インターネットで検索をかけると、出てこないと思ったのにあのナツさんの写真入りのインタビューらしき記事が何万件もヒットしている。
「えっ……??」
ナツさんに髭が生えていなくて、やたら若く見えていることは置いておくとして。
インタビュー記事には賞を取ったからどうだとか、若いこれからの人に向けてひとこと、とか、この映像でこだわったところは、などのコメントが書かれている。
所属会社名が書いてあったので、それを調べてみた。
いわゆる、制作会社というところらしい。何だろう、制作会社って……。
その会社のホームページには、ナツさんの写真とインタビューが載っていた。もうコーヒーショップの店長だというのに、未だにその会社で働いているかのような扱いだ。
どういうことだろう、確かに名刺にもクリエイティブディレクターって肩書きがあったけど……。
そんなことを考えていたら、あっという間に10分が経っていた。
私が慌てて暖簾を出すと、お店の外にいつもの学生さんがいる。
「お待たせしました、どうぞ」
私が声をかけると、学生さんは勝手知ったるという様子でお店に入って来て「生姜焼き下さい」と早速オーダーをくれた。
「はーい」
いつもの夜の営業が始まる。
隣はまだ営業しているらしく、店からの明かりが漏れていた。
*
今日は日曜日。うちの店は休みだ。
夜は地元の商店会である『稲荷神社通り商店会』の集まりがある。
近くの商店会事務所に集まって、2か月後に開かれる夏のイベントを話し合うのだ。
毎年、商店会の夏祭りは土曜日に開催される。
それぞれのお店が通りに出店を出してお祭りを盛り上げる。うちの店も毎年参加していて、お酒とつまみの売上が良い。
私はナツさんを連れて一緒に事務所に入る。
ナツさんは初めての商店会に緊張しているようだった。
「どうもー」
事務所は2階建ての住居みたいな場所で、入口で靴を脱いで上がる。
下駄箱に靴を入れて階段を上がると、大広間の座敷にみんなが集まって既に宴会状態だった。
「よー、利津!」
私の姿を目に入れた幼馴染の美容師、祥太が片手にビールを持って手を振っている。輝く明るい金髪が、高い背に目立つ。折角だ、と思ってナツさんを連れて祥太の隣に向かった。
「久しぶり。こちら、隣のコーヒーショップ店長の、ナツさん」
「初めまして、夏木です」
「初めまして。この商店街で美容師してます、坂井祥太って言います。利津みたいに、祥太って呼んでもらえれば!」
「美容師さんなんですね、それで金髪なんですね、祥太さん」
「そーなんですよ。若い子の練習台になってます」
当たりの柔らかいナツさんと、接客業で初対面に慣れている祥太。思った通り、すぐに打ち解けそうな雰囲気がする。
「祥太さんは、美容師になって何年くらいなんですか? ずっとこの商店街で?」
「ええと専門を出てからだから……4年ですね。母親の店なんですよ」
「じゃあ、産まれてからずっと」
「そう、ここしか知りません」
祥太がそんな話をしていたら、会長さんがこっちに気付いて挨拶に来てくれた。会長さんは地元の不動産屋さんで、この町のことは大抵知っている。
ナツさんのお店も会長さんが管理をしているらしく、既にナツさんとは顔見知りだった。
「どうですか、夏木さん。何か不具合などは」
「いえ、特に何も。それに、この町のみなさんには良くしていただいていて」
ナツさんがそう言っていると、総菜屋さんのおばちゃん、大野さんが「あ!」とナツさんを見て声を上げた。
「あなた、新しいお店の店長さんだったの?」
「あ、はい」
「大野さん、ナツさん知ってるんですか?」
「いつも夜に弁当買ってってくれるから」
ナツさんは低い腰で、「いつも美味しくいただいています」と笑っていた。
大野さんのお総菜屋さんは、仕事帰りのサラリーマンに向けて夜遅くまで営業している。
ナツさんは知らないだろうけど、この町でお店をしている人間はお客さんの顔を大体覚えている。
それが下町らしさでもあり、現代にしては珍しい昔ながらの義理人情云々と言われる所以でもあるのだけれど、思春期などはなかなか事情が複雑だったりする。
「お店一人でやってるんだって? 大丈夫?」
大野さんは、持ち前のお節介を発動してナツさんを心配していた。
お店を一人で切り盛りする大変さをよく知っているからだろう。
「今のところは、なんとか」
ナツさんが大野さんに押され気味になりながら、お気遣いありがとうございますと言う。祥太が「大野のおばちゃん手伝いに行くなよ」と笑っていた。
会場では大野さんのところの総菜が並んでいて、ビールサーバーまである。
みんな好き勝手に食べたり飲んだりしていて、親戚の集まりと変わらない。
「あの……イベントの話し合いは……?」
「あ、そのうち会長さんと副会長さんが回って来るから」
「回って来る?」
「そう、そこでやりたいことと、そのために必要なことを申請すれば良いだけ」
疑問だらけで戸惑っていたナツさんに、話し合いなんかしないんだよと教えてあげる。集まって親睦を深めて、当日はそれぞれ頑張りましょう、以上、というのが商店会なのだ。
「それじゃ、お祭りに共通の何かを作ったりはしないんですね」
ナツさんに言われ、祥太と私は首を傾げる。共通の何かってなんだ。
「ポスターなら、いつものやつを日付だけ変えて作ったのを張り出すし……横断幕も商店街にかかるけど……」
私が親切に教えてあげたというのに、ナツさんは全然ピンと来ていない。
「それぞれのお店がそのお祭りのコンセプトに合わせた出しものをしたりはしないんですか……?」
「しない……ですけど??」
「そ、そうなんですか……」
ナツさんがショックを受けているので、私はビールを注いでナツさんと祥太に渡した。自分の分をサーバーから注いでいる間、祥太はナツさんをじっと見ていて、何か気になったことがあるらしい。
「あの、ナツさんって……もともと、そういうことをお仕事にしていたんでしたっけ?」
祥太は、よく知りもしないだろうにそんなことを言った。美容師の接客能力よ、恐るべしだ。
「まあ、一緒ではないですが、割と近い仕事をしていましたね」
「じゃあ、こういう時に何をしたらもっと良くなるかが分かるってことですか?」
「……まあ、はい」
祥太とナツさんが話をしている内容に、私は持っていた自分用のプラスチックカップを握ってしまい、あやうくビールをこぼしかけた。
「えっ? ナツさんの仕事って、映像を作ったりするんじゃないんですか?」
私が驚くと、ナツさんは「映像も作るけど、実際はちょっと違うんです。っていうか、利津さんよく知っていますね」と笑いながら、「映像は表現方法のひとつなんです」と言った。
私と祥太は、ナツさんと一緒に座敷にあぐらをかいて座っている。
高さの低い長テーブルに持っていたビールを置き、ナツさんの話を聞いていた。
「んーと、例えばお祭りといっても、どんなお祭りかっていうのがありますよね。この商店街のお祭りは、何かに由来しているんですか?」
「神社のお祭りと絡めてやっているはずです」
我が商店街を暫く歩くと、それなりに有名な神社がある。お祭りは神社の夏祭りの意味合いが強かったはずだ。
「ということは神事ですか……何か神社でやることは?」
「雨乞いがあったはず。神社は稲荷神社で、この辺は昔、田んぼだったそうですよ」
私たち3人があぐらで真剣に話をしていたら、近くにいた人たちも話に耳を澄まし始めた。
「例えば、ですよ。お祭り自体が『雨乞いの名残』で『地元のお稲荷さんへの感謝や祈祷』だとしますよね」
「ああ、大体そんな感じです」
「確かに」
祥太と私が頷くと、向こう側で聞いている居酒屋さんとクリーニング屋さんが興味深そうに近寄って来た。私と祥太はナツさんとそれぞれを軽く紹介する。
「そのコンセプトに基づいて、お店も『雨乞い』や『お稲荷さんへの』ものをで出店で出してみる、とします。そうすると、それぞれのお店で別々のことをしていても、統一感が出るわけです」
「統一感……」
「それが出たらどうなるんですか? 別に、結局いつもと同じですよね」
私たちはナツさんの言っていることが分かるようで、いまいち分からない。特に、それをする意義が全く理解できなかった。
「それが、違うんですよ。参加する方も、出店する方も、コンセプトに基づいた創意工夫があるかどうかで」
「うーん……別に、今は雨乞いをしたい人もいないだろうしなあ」
「稲荷神社だって全国にいくらでもあるしねえ」
クリーニング屋さんと居酒屋さんが、ナツさんの話を聞いて口を出す。
その通りで、雨乞いと言われて参加したいお客さんもいないだろうし、稲荷神社は日本で一番多い神社だと言われている。
「でも、ここは『稲荷神社通り商店会』ですよね。商店会の名前でもありますし、その商店会のお祭りが稲荷神社にまつわることをやっているのは自然ですが……」
「それで、どんな効果があるんですか?」
理解ができない私とは違って、祥太はナツさんの話に興味津々だった。
祥太のお母さんの美容室は、お祭りだからといって出店をだしたりはしない。このお祭りにあまり関わってはいなかった。
「お金が掛からないことでいけば、神社で盆踊りをやったりするとしますよね? 盆踊りはお盆に絡んでいますが、雨乞いの儀式で踊りをイベントにする地域も多い」
「まあ、時期的にも盆踊りはありかもしれません」
「クリーニング屋さんは、盆踊り用の浴衣クリーニングのイベントをやっても良いですし、美容室さんは浴衣の着付けをやってあげるのもいいかもしれません。居酒屋さんは浴衣で来店した方への特典を付ける」
「おお、面白いねえ」
居酒屋の店長さんが目を輝かせていた。そういえば、居酒屋さんはソフトドリンクとビールの出店をやっていたんだっけ。
「これはあくまでも例えであって、実際どんなことをやるかは商店会の都合やみなさんの希望に沿ったものがいいと思います。ただ、こうやっていろんなお店が同じイベントを盛り上げるだけで、みなさんにとってメリットが出てきますよね」
ナツさんの話は、説得力があった。
私をはじめ、商店会のみんなにとって考えたこともない提案だ。
クリエイティブディレクターって、一体どんな仕事なんだろう。
私の頭の中には、携帯電話で検索した時に出て来たナツさんのインタビューが浮かんでいた。そこには、確かこんなことが書いてあったはず。
『僕は、提案で人を助けたい』
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