『光の感染者』第6話|知らぬが仏
信じていないようで、信じている
人は、
何も信じていないつもりで、
もっとも無自覚なものを信じている。
世のほとんどの人は、
あなたのことなど、気にも留めない。
それは冷酷ではない。
ただ、そういう仕組みなのだ。
名を残す必要はない。
世に知られる必要もない。
静かに生き、
自分なりの規範を持ち、
他者を害さず、
世界と折り合いをつけながら暮らす人間は、
今も確かに存在している。
誰にも注目されず、
歴史にも記録されず、
だが、確かに生きている。
信念が支える人生
人は、
「意味のない世界」では、長く正気を保てない。
だから、人は何かを信じる。
神かもしれない
理念かもしれない
仕事、家族、芸術、国家、思想
対象は違っても、構造は同じだ。
生きる理由を外部に置く。
それによって、日々の苦痛や矛盾を
かろうじて耐えられる形に変換している。
宗教は、
その最も古く、最も洗練された形式の一つだ。
宗教とは、奇跡の話でも、救済の保証でもない。
「人間が、どう生きるかを定義した構造」である。
指針なしでは生きられない
ある宗教では正直さと慈悲が重んじられ、
ある宗教では忍耐と感謝が重んじられ、
ある文化では自然との調和が尊ばれる。
別の思想では自由意志と責任が語られる。
どれが正しいかではない。
重要なのは、人間は「指針なしには生きられない」という事実だ。
何も信じない人間は、
自由に見えて、実は最も不安定だ。
判断の基準を持たず
選択の責任を引き受けられず
常に環境や空気に流される
信仰がないのではない。
自覚のない信仰に支配されている。
それが、
「常識」
「普通」
「みんなそうしている」
という名の信念だ。
知ることと安心
知らぬが仏、という言葉がある。
だが、それは無知を褒める言葉ではない。
人は、知らないからこそ、安定していられる
という、冷静な観察だ。
真実を知れば、世界は優しくなくなる。
問いを持てば、安心は失われる。
それでも、知ってしまった人間は、
もう戻れない。
自分の信念を見つめる
人は皆、何かを信じて生きている。
問題は、
それを選んだのか、
それとも与えられたのか
という一点だけだ。
選んだ信念は、人を支える
与えられた信念は、人を縛る
『光の感染者』とは、
特別な思想を持つ者のことではない。
ただ、
「自分は何を信じて生きているのか」
その問いを一度でも本気で引き受けてしまった者のことだ。
それだけで、もう元の世界には完全には戻れない。
人生そのものになる信念
世界は、信じたものを返す。
これは比喩ではない。
設計だ。
だからこそ、何を信じるかは、人生そのものになる。
知らぬままで生きることもできる。
だが、知ったうえで生きる道も、確かにある。
どちらを選ぶかは、常にあなた自身だ。
読者への問いかけ
ここで、あなた自身に問うてみてほしい。
今、あなたは何を信じて生きていますか?
それは、自分で選んだ信念ですか?それとも与えられたものですか?
もし自由に選べるとしたら、何を信じて生きますか?
考えること、それ自体が、
あなたの世界を少しずつ変える、
第一歩になる。
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