『光の感染者』 第8話|必然という名の光
正しさが空気になったとき、
魔は、すでに勝利している。
世界は、あまりにも親切にできている。
失敗してもやり直せる。
逃げても責められない。
沈黙しても、誰も本気では困らない。
だから人は、
目を覚まさずに生きていける。
それが、この世界の完成度だ。
第六天魔王は、姿を持たない。
それは「正しさ」「常識」「安心」という名で、
世界の空気そのものになった。
私は、その空気に馴染めなかった。
人生に、無駄なことなどひとつもない。
これは慰めではない。断定だ。
屈辱は、刃になる。
後悔は、照準になる。
沈黙は、判断基準になる。
人は、自分が思っている以上に、
過去によって精密に設計されている。
偶然など、ひとつもない。
私は、死というものを認めない。
肉体が止まっただけで、
その人間の問いは終わらない。
残された言葉は、すべて
告白であり、遺書であり、祈りだ。
死は敗北ではない。
少なくとも、この世界では。
私は知っている。
彼らが何に忠義を尽くし、
何に命を賭け、
何に絶望し、
それでも何を手放さなかったのかを。
男に生まれたからだろうか。
私はどうしても、
「命を賭ける」という感覚から逃げられない。
安心してほしい。
根拠などない。
だが私は、こう言う。
命など、投げ捨てるくらいでちょうどいい。
これは暴論ではない。
覚悟の話だ。
武士とは何か。
刀を持ち、悪を斬る。
それだけの存在だった。
人はそれを見て、「武士」と呼んだ。
役割とは、そういうものだ。
文明とは、役割の集合体だ。
かつては未熟で、野蛮だった。
だが、狂ってはいなかった。
今はどうだ。
便利になり、
優しくなり、
それでも人は、自分を殺す。
これは異常だ。
明らかに、何かが狂っている。
あなたが死を選ぶ前に、
一度だけ考えてほしい。
もし、あなたの人生のすべてが、
最初から用意された必然だったとしたら。
裏切りも、失敗も、
恥も、沈黙も。
すべてが、
あなたに「問い」を投げるために
設計されていたとしたら。
世界は、あなたに
何を問うていたのか。
正しいか、間違いか、ではない。
心が濁っているか、澄んでいるか。
それだけだ。
日本人の原点は、法律ではない。
常識でも、空気でもない。
己の心の声を聞き、それに従うこと。
それが、私たちの原点だった。
宗教とは教義ではない。
生き方の訓練だ。
人生そのものだ。
多数派に寄り、
安全圏に逃げ、
心を無視する人生を、
私は選ばない。
量産型には、量産型の幸福がある。
それを否定はしない。
だが、忘れるな。
私たちは、
神と繋がっていない人々の間で生きている。
私は、生まれていないあなたに、
生を授けようとしている。
答えは、すでにあなたの中にある。
苦しみの中に。
失敗の中に。
絶望の中に。
どうか、問いを持って歩いてほしい。
どうか、人生を、実験として生きてほしい。
私は今日も、無条件の笑顔で挨拶をする。
なぜなら、私は人生を楽しみに来ているからだ。
たとえ、いつか私の前に
倒れる者がいたとしても、
私はこう言うだろう。
ありがとう、と。
そう言える自分であるために、
私は今を、命懸けで生きている。
それが、
第六天魔王の世界を裏切った者に与えられた、
必然という名の光だ。
まこと、
この世においては、
怨みに報いるに怨みをもってしたならば、
ついに怨みの息(や)むことなし。
怨みを捨ててこそ息む。
これは永遠の真理である。
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