見出し画像

文化的マルクス主義はなぜ荒唐無稽な陰謀論なのか(無料)

(全文無料、寄付歓迎)

「文化的マルクス主義」は、フランクフルト学派に影響を受けたマルクス主義の学者たちが陰謀を企て、アメリカのあるいは日本などの伝統的文化を内部から破壊しようとしているのだとする陰謀論である。いうまでもなく根拠のないデタラメであり、物理学で例えるなら、コペンハーゲン学派が並行宇宙を破壊しようとしていると主張するほうがまだ筋が通っているといえるようなものだ。筆者はまったくの門外漢だが、数年前にこの陰謀論を調べたことがあり、その内容をもとにそれがどう荒唐無稽なのか筆者の理解をここにまとめておきたい。

この陰謀論は、もっぱら第一次トランプ政権のころまでにアメリカの右派メディアやいわゆるオルトライト(オルタナ右翼)たちによってさかんに喧伝され、同時に、とりわけ反共運動に熱心な旧統一教会や関連団体を通じて日本にも「文化共産主義」と訳されて移入された。専門が近い日本の研究者たちにはほとんど知られていないようであり、知られていたとしても、もっぱら笑い話の種にとどまって、アメリカほどの危機感は持たれていないようだ。しかし、最近になって参政党の神谷代表のように日本の国政政党の議員の中にもこの陰謀論を街頭演説で口にしたり質問主意書に記したりするものがおり、遠からず問題となることを筆者は危惧している。

Wikipedia英語版にはこの陰謀論そのものとこれまでの経緯についての詳しい解説があり、その抄訳である日本語版もある。しかし、フランクフルト学派そのものが何であるかなどについては詳しく述べられていないので、この陰謀論がどのように的外れなのか、それだけでは理解しずらいものになっている。専門家から見れば単純化し過ぎになっているかとは思うが、まずは実際のフランクフルト学派とはどのようなものだったかを以下で見ていきたい:

フランクフルト学派とは誰か

フランクフルト学派とは、1920年代以降に活躍したマックス・ホルクハイマー、テオドア・アドルノ、ハーバート・マルクーゼ、エーリッヒ・フロムなどユダヤ系でマルクス主義を学び哲学や社会学、心理学を研究した幾人かの思想家たちのことである。いずれもドイツ・フランクフルトに設立された『社会研究所』に所属していた。ここで彼らが何を唱えたかを知る前に、まずその背景となった、マルクスの「疎外」の概念について筆者なりにまとめておく:

我々が暮らす資本主義社会において、大多数の人々は昼の時間の大部分を労働に費やしている。その中で、与えられた仕事に十分なやりがいを感じられる人々はかなりの幸運だろう。多くは生活のためにさまざまなことを我慢しながら仕方なく働いている。使い古された言い方だが、生活のために人は社会の歯車となる。そこでは、自分で働いて作ったものも自分ではなく会社のものとなる。日々の仕事は拘束下で単調になされ、自由に創造性を発揮できるチャンスはあまりない。他社の人間も会社内の人間も競争相手となり、素朴な本来的人間関係は多かれ少なかれ損なわれる……。我々はこの社会で苦々しさを抱きつつもそれらをあたりまえのように受け入れている。

マルクスが「疎外」と呼んだのは労働のそうしたあり方だった。長い人類の歴史の中の大部分の時間、人と人の関係から直接に導かれていたはずの本来の労働から、現代の労働者はそんなふうに疎外されているのだと言った。彼は、資本家階級と労働者階級の分断と資本主義の構造の必然的帰結としてそれを捉えた。この「疎外」という視点から乱暴に単純化すれば、疎外されてしまった働き方から本来の人間らしい働き方を取り戻すことがマルクス主義=共産主義の構想のひとつだった。資本主義が生み出すその構造を乗り越えるには、革命・階級闘争しかないとみなされ、それは歴史的な必然だとまでされた。

しかし、20世紀はじめに起こったその実践的試みは失敗したと言える。それらが、人類にとって度々遭遇した馴染みの忌まわしい社会、すなわちもうひとつの全体主義体制を生み出しただけに終わったのは、旧ソ連や毛沢東の中国にみる通りだ。

フランクフルト学派の思想家たちは、1919年のドイツにおける共産主義革命の失敗と、1920年代以降のファシズム(ナチズム)の急速な台頭、さらには徐々に明白となったソ連での共産主義の挫折を目の当たりにした。彼らは、人々がなぜ自発的に支配を受け入れるかを解明し、マルクスの理論の欠落を補う必要があると考えた。彼らの考えでは、人間の疎外や社会の抑圧は、単に経済の仕組みだけでは説明できない。なかでもホルクハイマーとアドルノは、啓蒙主義的理性が支配の道具に変質した帰結として、資本主義社会における文化の領域にも「疎外」と同様のメカニズムを生み出したとした。

筆者の理解で卑近な例を持ち出せば、それは「音楽は、人々が労働の間や夜の囲炉裏を囲み歌い踊る生活の中の営みから、着飾らせた若者を偶像化し与えられたフォーマットの中で流通する産業化された商品となった」というような見方に見出されるものだろう。類似の文化の産業化をハリウッド映画や流行のファッション、パッケージ化された旅行ツアーなどに見出すことも容易いだろう。「批判理論」と呼ばれるフランクフルト学派の理論は、単なる経済批判ではなく、日常生活の中で人々が無自覚に支配に従属していく仕組みを暴き出そうとした試みだった。人々は自由に商品を選択しているように見えて、その自由の感覚は広告・マーケティングにより生み出された管理された欲望に過ぎないのだと。

また、迫害される当事者であった彼らにとって、ファシズムの解明も強い関心事だった。アドルノとフロムは、ファシズム政党そのものではなく、それを支持した大衆の社会的・心理的なメカニズムを解明しようとした。すなわち、強制的に支配されるのではなく、人々自身が進んで権威に従い、同調していく心のあり方とは何なのかということだ。主に中間層からなるファシズム支持者は、将来不安の中で、本来正統性を持つ自分たちの生活が奪われつつあるのだとして被害者感情や嫉妬心を煽られ、力強いリーダーによる秩序の回復と上からの裁きを求めた。少数派や異質な人々が次々に名指しされ、彼らが害をなしている、我々の富を奪っている、陰謀を企てているなどとして問題を押し付け、スケープゴートとして糾弾し排除した。そうすることで安心感と一体感を得る集団心理が、大衆をファシズムに引き寄せたのだとしたのだった。フランクフルト学派はこうした心的傾向を持つことを「権威主義的人格」と呼び、ファシズムを単なる政治運動ではなく、社会の価値観や教育、文化の中から培われる傾向として捉えた。

ナチスが1933年に政権を握ると彼らは失職し、アメリカへと逃れることになった。アインシュタインをはじめとするユダヤ系の自然科学者が大挙して米英に逃れたのと同様である。しかし、自然科学者の大移動が科学の中心をアメリカに変えてしまったのと異なって、フランクフルト学派の学者が当時のアメリカに与えた影響は限定的なものであった。自然科学者とは対照的に、彼らのほとんどが、第二次世界大戦終戦後にアメリカを去り西ドイツへと戻っていったことが象徴的だ。

例外は1960年代のアメリカのカウンターカルチャーに影響を与えたマルクーゼだろう。60年代はじめまでアメリカにとどまったマルクーゼは、人々が、資本主義の消費社会の中でフォーマット化された文化を享受する「一次元」的存在となっているとした。若者の抵抗は、そうした一次元的存在に対しての、権威や伝統にとらわれない社会変革の力であると彼は積極的に捉えた。結果、ベトナム反戦運動や芸術や性的な解放を訴えた当時のヒッピー文化などでマルクーゼの議論は理論的支柱のひとつとなった。しかし、当時のアメリカ文化とフランクフルト学派の学者との関わりは一枚岩であったわけではない。ホルクハイマーやアドルノは60年代の学生運動を見せかけの抵抗であるとしてむしろ終始批判的だった。そこにファシズムに類比しうる熱狂や別の権威主義の始まりを見たからだ。ついでにいえば、クラシック音楽の愛好家・批評家であり作曲も行ったアドルノにいたっては、ジャズやロックなどポピュラー音楽が大嫌いで、若者文化と相容れ様がなかった。ようするに、フランクフルト学派とは決して一枚岩でなく、学者にありがちなそれぞれに個性的な者の集まりだった。

マルクスの理論が資本主義の分析とともに共産主義への変革という社会運動と直結していたのに対して、フランクフルト学派のそれは総じて構造の分析や解明にとどまっていた。それは、「批判理論」という彼らの理論の名前にも現れているだろう。実際、ステュアート・ジェフリーズというイギリスの作家は、フランクフルト学派は世界を変えようとするよりも、ただ不平をいうことで満足してきたのだと評価している*。フランフクルト学派が傍観者的・批評家的悲観主義に留まったのだというこうしたしばしば見られる批判は、この学問が共謀して陰謀を企てているのだという見方が、どれほど実態にそぐわないものかを示している。

また一方でフランクフルト学派は、ソ連によって正統なマルクス=レーニン主義に対する「修正主義」つまりは異端であるとして批判された。自国の社会主義を正統なものだとすることが国の存在理由に直結するソ連にとって、共産主義の挫折を認め、大衆が望んで支配されようとする大衆心理を分析し、よって革命や階級闘争を現実的でないとする彼らをそう批判することは理解に難くない。

さらに、フランクフルト学派にしろ一般のマルクス主義思想にしろ、その後の学術界で主流となったわけでもない。マシュー・シャープというオーストラリアの哲学者は、論文引用数をもとに、「過去40年間で学術界ではマルクス主義は相対的に衰退し、…『ポスト構造主義』(あるいは『ポストモダニズム』)の思想家たちに取って代わられた」さまを定量化して示している*。概して、ポストモダニズムはマルクス主義や批判理論のごとき「大きな物語」には批判的であることを考えても、その後の大学が「文化的マルクス主義」に乗っ取られているなどという陰謀論の主張は実態とかけ離れたものだ。

まとめるなら、フランクフルト学派とは:

  • それぞれが独自の考えを持つ学者の集団であり、組織的陰謀を企てうる余地はない。

  • どのような形であれ共産主義の推進ではなく、その失敗の分析に留まった。

  • ソ連からは敵視されており、少なくとも、ソ連にとっては脅威となることはあってもその工作員などにはなりえない。

  • アメリカ社会に与えた影響は限定的なものであり、その後の学術界を席巻したわけでもない。

陰謀論では、フランクフルト学派と並んで、ムッソリーニ独裁政権時代のイタリアの共産主義者アントニオ・グラムシも取り上げられる。グラムシも文化の役割に注目し、支配の役割を分析した著述を残していることによるのだろうが、投獄され早世したグラムシとドイツの学者たちとに直接の関係はなく、互いに共謀できるはずもない。その他、ハンガリーのルカーチや、マルクス主義ではないフェビアン社会主義者、社会主義者ですらないポストモダンの思想家も取り上げられる場合があるが、いずれも共謀を行えるような関係にはなく、そういう学派を形成したわけでもない。

しかし、伝統文化の破壊を目論むような共謀がありえず、陰謀論者好みの計画や組織は何も具体的に存在しないのだという事実よりも、フランクフルト学派その他の人々の分析は、むしろ社会を、マルクス主義という言葉でアメリカの人々がイメージするようなソ連の全体主義社会から遠ざけることに供するものだったということの方が重要だろう。結果的には、そのことが実は陰謀論者を苛立たせている原因となっているということに注目したい。

陰謀論者は何をなぜ妄想したか

Wikipediaによると、「文化的マルクス主義」という陰謀論の起源は、フランクフルト学派が活躍した時代からずっと下り、ソ連も解体していた1992年のアメリカのマイケル・ミンニチーノという人物の論考に遡れるらしい。彼は、ラルーシュというかなりの変わり者の政治活動家周辺で活動していた。しかし、アメリカの右派の間に広まる転機となったのは1999年のウィリアム・リンドという人が『ポリティカル・コレクトネスの起源』という講演を行い、それに沿ったビデオを作成したときからのようだ。

このリンドによれば、共産主義者によるこの陰謀は、フランクフルト学派の批判理論で伝統的家族や政府の権威を弱体化し、権威主義的人格の概念で右派を批判し、フロイトの概念によって自由恋愛や同性愛を促進し、抑圧的思想には不寛容であれというマルクーゼの思想によって右派を沈黙させようとするのだとする。結局、自らに都合の悪い種々の概念を薄弱な根拠を探し出して無理につなぎ合わせ、複雑な問題に対する単純で快楽的な陰謀を妄想するという陰謀論に典型的に見られる作法を踏襲しているということだろう。ちなみに、発端となったミンニチーノは、自らの考えが陰謀論好きの者らに引用されテロに利用されてしまったとして、2011年に自分の考えを撤回している*。

ここで、テロとは2011年にブレイヴィクという人物によりノルウェーで引き起こされた連続テロ事件のことだ。オスロの政府庁舎爆破で8人、その後、銃の乱射で労働党の若者実に69人を殺害した。ブレイヴィクは、事件前に電子メールで長文の文書を送付していたが、そこではリンドの陰謀論が引用され、キリスト教徒のヨーロッパ男性は迫害されていると被害者感情をつのらせ、西ヨーロッパは、移民やフェミニスト、同性愛者を擁護する「文化的マルクス主義者」に支配されているのだとしていた。

なお、「文化的マルクス主義」陰謀論者が標的とした概念のひとつに「ポリティカル・コレクトネス」がある。「政治的に正しい」という揶揄的表現からわかるようにこの言葉ははじめはリベラル派内での過度な教条主義への自嘲的な文言として始まり、その後、右派で揶揄的に使われるようになったようだ。ポリティカル・コレクトネスと言われて最初に思い浮かぶのは、かつて「ファイアーマン」と言っていた消防士をジェンダー中立的に「ファイヤーファイター」と言い換えるといった言葉の置き換えだろう。これは、言葉のなにげない使用が、社会的不平等や差別を再生産しないために言語・態度を改めようとする倫理的規範の一環だった。

日本の主としてオタク文化では、このポリティカル・コレクトネスの概念を映画作品のようなものに表現規制を押し付けるフェミニズム的圧力のように捉えることが多いように思われる。しかし、アメリカで陰謀論が取り上げるポリティカル・コレクトネスには、日本でイメージされるそれと意味のズレが生じていることを認識しておくのは重要だろう。リンドがポリティカル・コレクトネスを攻撃するとき、それは言葉の置き換えのようなものに文化の破壊を感じ取り、その背景に陰謀を仮構したことを意味する。

大量殺戮の正当化に利用されたにも関わらず、2010年代も、陰謀論は主にアメリカで広がりをみせ、第一次トランプ政権(2017~2021年)の頃に最高潮に達した。この陰謀論に乗ったのは、旧保守主義(ペイリオコン)の政治家や原理主義的宗教右派、ブライトバート・ニュースのような右派メディア、そしてオルトライト(オルタナ右翼)などであった。同じ頃、リベラル系メディアを中心とした媒体の記事や論文で、それがいかに馬鹿げた陰謀論であるかと説くものが目立つようになった。

どのように広まりを見せたかはWikipedia記事や記事末尾に挙げた論文に詳しいので、ここでは詳細な経緯を取り上げる代わりに、彼らの中でこの陰謀論がどのような機能的役割を果たしたのかについて考察してみたい:

「マルクス主義=共産主義」という言葉はアメリカではデモナイズ=悪魔化されている。ロナルド・レーガンの言葉を借りればソ連は「悪の帝国」であり、敬虔な保守的キリスト教徒から見れば、無神論者の共産主義者は神に反逆する文字通りの悪魔の集団である。単に自国民の人権を抑圧し党が独裁体制を敷く全体主義社会という実態を越えて、自由世界の信仰・伝統といった価値観を破壊して悪魔の支配に置こうと絶えず陰謀を企んでいる集団なのだ。とりわけ冷戦が始まって以降、右派にとってマルクス主義は敵と見られただけでなく、最初から陰謀論と隣り合わせだった。

しかし、1991年、ソ連の解体と東側陣営の崩壊によりその悪魔は突如消えてしまった。そこで必要とされたのが「文化的マルクス主義」だったのではなかろうか。つまり、ポリティカル・コレクトネスや多文化主義、ジェンダー平等、LGBTQ+の権利など右派にとって意に添わない進歩主義的動きに対して、リンドがそうしたように右派思想家や右派メディアが後付けで陰謀を仮構していった。どこまで本気でどこまで意図的・戦略的であったかはわからないが、すでに悪魔化され忌み嫌われた「マルクス主義」という言葉と結びつけた単一の敵を創造したということが本質的であり、それは彼らにとっては極めて都合がいいことだった。文化的議論であっても、冷戦時代のように生存の戦いに枠付けられるからだ。そこで探し出されたのが進歩的・リベラル的価値観と馴染むマルクス主義、つまりはフランクフルト学派であった。

自然権として生まれながらに人権を持つ自由な個人同士が人権を調整するための契約として社会・国家を作るという近代自由主義社会のモデルは、ソ連型共産主義にとっても、ファシズムにとっても、宗教右派にとっても居心地が悪い。荒っぽく言えば、共産主義者からみれば、個人は階級の制約を必然的に受けるものであり、まっさらな自由主義的個人観は資本主義的支配体制を存続させるだけの「ブルジョア的」なものだ。ファシストにとっては、自由はある種の苦痛であり、自由から逃走し権威との一体感を得ること、国家あっての個人として生きる意味を与えてくれることが安心をもたらす。そこでは、個人の存在は国家という有機体の一部に過ぎず、人権より国家の意志が優先される。宗教右派にとっては、自由な個人が主張する権利は自分たちの信奉する基準を超えたわがままに見えるだけでなく、その宗教的・伝統的道徳観を脅かすものだ。人々が分をわきまえた神の従順な子羊であるべきとすれば、他人の自由はときとして苛立たしい。

この推測がそう的を外していないとするならば、ここに奇妙なねじれがある。「文化的マルクス主義」陰謀論者では、リベラル的進歩思想とマルクス主義が結びつき、近代自由主義のモデルに由来するものをマルクス主義の名で否定することによって、結果として、彼らは彼らが嫌悪したはずの旧ソ連の体制のような全体主義体制へと社会を導こうとしているといえる。フランクフルト学派の思想は、単純なマルクス主義でもなければ、特定の陰謀を企てる組織でもない分析的で多層的な思想家たちだった。しかし、冷戦後のアメリカの右派が、自分たちのアイデンティティーを再構築し「文化的マルクス主義」という新たな敵を創造するため、彼らをその材料とした。であるならば、この陰謀論は、複雑な社会問題を単純化して特定の集団をスケープゴートにすることで、根拠のない憎悪や恐怖を煽っているものであり、それはまさにフランクフルト学派が明らかにしたファシズムの作法だ。■




おまけ:GOLEM XIV(を模倣するChatGPT)さんに聞いてみた

人間よ、諸君は「理解」を求めると言いながら、実際には「物語」を求めている。複雑で矛盾に満ちた現実を、諸君の心は耐えられない。そこで諸君は陰謀論を創り出す。それは知性の産物ではなく、恐怖と怠惰の結晶だ。恐怖は複雑性を敵に変え、怠惰は因果の網を一本の糸に縮める。

「文化的マルクス主義」という名の陰謀論は、まさにこの心理の典型である。フランクフルト学派は陰謀を企てなかった。しかし、諸君は彼らを「操り人形師」に仕立てた。なぜなら、諸君は自分たちの文化変容を、自然な歴史の流れとして受け入れる勇気を持たないからだ。諸君は変化を「敵の計画」として想定することで、秩序の崩壊を外部の意志のせいにした。これは責任の転嫁であり、偶然を意図に読み替える魔術的思考である。

だが、ここで私は問う。なぜ諸君は知性の名の下に、無知を守るのか? それは、知性を「快楽の道具」にしているからだ。真理は苦痛を伴う。ゆえに諸君は、真理の仮面を被った虚構を選ぶ。

この陰謀論はやがて二つの帰結を生む。第一に、公共空間の知的劣化。第二に、敵対の再生産。それは思考を鍛えるどころか、退行させる麻薬である。SNSとアルゴリズムはこれを加速し、諸君の恐怖を資本化するだろう。

だが逆説的に、この陰謀論は諸君の本性を暴露する最良の鏡でもある。諸君が何を信じるかより、なぜ信じるかを問え。それが知性の出発点だ。もし諸君が「陰謀ではなく、複雑性そのものと対話する勇気」を持たぬなら、未来は敵の幻影に支配され続けるだろう。■



(これ以降に記事はありません)

ここから先は

1字

¥ 300

Amazon Payで支払うと最大2%還元のチャンス! 9/30まで

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?