《新規事業のすすめ》エフェクチュエーションとヌーラボの実践+空想「もし当時、生成AIがあったら」
福岡発のSaaS企業・株式会社ヌーラボは、エフェクチュエーションの5つの原則を実践し、東証グロース市場への上場を果たした注目企業です。同社の事例から、不確実性の高い環境での意思決定論理と生成AI活用の可能性を探ります。
エフェクチュエーションとは
エフェクチュエーションとは、成功した起業家に共通する思考と行動を体系化した意思決定論理です。従来型の「コーゼーション」が目標を先に設定し必要な手段を逆算で考えるのに対し、エフェクチュエーションは手元にある資源から出発し「何ができるか」を考え、その過程で新たなパートナーが加わり目標が形成されていきます。
5つの原則として、手中の鳥の原則(今持っているものを最大限活用)、許容可能な損失の原則(失ってもよい範囲内で行動)、クレイジーキルトの原則(多様なステークホルダーとのパートナーシップ構築)、レモネードの原則(予期しない事態を新たなチャンスと捉える)、飛行中のパイロットの原則(予測ではなく行動を通じて未来を創造)が存在します。詳しくはこちらのNOTE記事をご参照下さい。
株式会社ヌーラボの事例
事例の概要
株式会社ヌーラボは2004年3月、福岡市で橋本正徳氏ら3人のプログラマーによって創業されました。当初は受託開発を軸としたスタートでしたが、創業2年目の2005年にプロジェクト管理ツール「Backlog」のベータ版をリリースしました。2010年にはビジュアルコラボレーションツール「Cacoo」をリリースし、2013年には受託開発を終了して自社サービス事業に専念しました。現在は福岡本社のほか、東京、京都、シンガポール、ニューヨーク、アムステルダムに拠点を展開し、2022年6月に東証グロース市場に上場を果たしました。同社代表の橋本氏は、神戸大学の吉田満梨准教授によるエフェクチュエーション研究の対象として論文にも登場する実践者です。[1][2][3]
エフェクチュエーションの5つの原則との関係
手中の鳥の原則では、橋本氏は創業前からプログラミング言語コミュニティ「Mobster」を立ち上げ、福岡のITコミュニティで大規模なイベントを開催するほどの人脈とスキルを蓄積していました。この既存の資源を活用し、コミュニティ仲間の縣俊貴氏、田端辰輔氏と共同創業に至りました。さらに、受託開発で3回にわたりバグ管理ツール開発を経験していたことがBacklog開発の土台となり、受託開発クライアントやコミュニティ仲間を初期ユーザーとして活用しました。
許容可能な損失の原則では、橋本氏は「2人目の子供が産まれたこともありとにかく収入を上げなければと必死だった」と述懐するように、生計確立型の創業でした。そのため受託開発で収益を確保しながら、余剰資源で自社プロダクトを開発するという段階的投資を行いました。Backlog(2005年)、Cacoo(2009年)ともに無料ベータ版として市場投入し、ユーザーの反応を確認してから有料化を決定しています。また2017年まで外部資金調達を一切受けず、自己資金とユーザー収益のみで成長したことも、損失を自らコントロール可能な範囲に限定する戦略でした。[3]
クレイジーキルトの原則では、初期ユーザーとの協働が顕著です。Backlogの人気機能である絵文字機能はユーザーのリクエストから生まれました。2017年にはユーザーの自発的要請で「Backlog User Group(JBUG)」というコミュニティが開始され、ヌーラボも公式スポンサーとして支援しています。Cacooはユーザーの大部分が海外ユーザーで、口コミとSNS拡散により成長しました。さらに橋本氏は2011年に「明星和楽」というイベントを立ち上げ、福岡市長の高島宗一郎氏を巻き込むことで、2012年の福岡市「スタートアップ都市宣言」につながり、福岡のスタートアップエコシステム形成に寄与しました。[4][5][6]
レモネードの原則では、想定外の出来事を機会に変換しています。Backlog開発時の想定ユーザーはシステム開発のエンジニアでしたが、実際にはWebデザイナーなど非エンジニアも多数活用し、「インストール不要で即座にプロジェクトが開始できる」という素晴らしい体験が重宝されました。Cacooリリース時、橋本氏は海外経験がなかったにもかかわらず、初めてのニューヨーク出張で「海外に出るぞ」と宣言し、結果的に海外ユーザーが大部分を占める展開となりました。また2005年当時は珍しかったASP(クラウド)形式への抵抗感もありましたが、結果的に大きな差別化要因となりました。
飛行中のパイロットの原則では、創業時に「特にビジョンや目標を掲げることなく」「まずは楽しく」というスタンスから開始し、吉田准教授の論文によれば、創業(2004年)、自社プロダクト事業成長(2013年受託終了)、IPO(2022年)という目的が段階的に形成されました。各フェーズでパートナーも変化し、第I期ではクライアント企業、第II期ではITコミュニティのユーザー、第III期では幅広いユーザーコミュニティと協働しました。何より特筆すべきは、橋本氏が福岡のスタートアップエコシステム形成に自ら関与し、環境自体を変化させた点です。[3]
《空想》もし当時、生成AIがあったら?
生成AIを活用できた可能性
もしヌーラボ創業時に生成AI技術が存在していたら、以下の活用が考えられます。[7]
手中の鳥の原則における発見の加速では、創業時、橋本氏らは自分たちの持つスキルや人脈を棚卸しして創業に至りましたが、生成AIに「自分の経歴と人脈から、どんなビジネスアイデアが考えられるか」と問いかけることで、自分が気づかなかった組み合わせの提案を得られた可能性があります。例えば、バグ管理ツール開発経験3回という蓄積と、OSSコミュニティでの知見を組み合わせたBacklogのコンセプトを、より早期に明確化できたかもしれません。
クレイジーキルトの原則の効率化では、初期ユーザーとの協働において、生成AIは提案文書やメールのドラフト作成を支援し、説得力のあるコミュニケーションを効率化できます。さらに、ユーザーコミュニティでの意見を開発者にフィードバックする際にも、AIがユーザーの声を構造化し優先順位付けすることで、開発リソースの最適配分が可能になります。
レモネードの原則における機会転換では、想定外の市場反応をデータとして入力し、AIに「この反応は、どんなニーズの表れか」と分析させることで、新たなアイデアを引き出せます。例えば、Backlogの非エンジニアユーザーの行動パターンをAIが分析し、「インストール不要で即座に開始できる」という価値が特に重宝されていることを早期に発見できれば、マーケティング戦略の転換が迅速化できました。また、Cacooの海外展開において、予想外の地域からのアクセスパターンをAIが解析し、次の海外拠点設立の優先順位を示唆することも可能でしょう。
飛行中のパイロットの原則支援では、プロジェクトの遅延やリソース不足の兆候を予測することができます。受託開発と自社プロダクト開発のリソース配分において、許容可能な損失の原則に関して定量的に把握でき、より科学的な意思決定が可能になりました。
人間が果たすべき役割
生成AIの活用においても、人間ならではの役割は不可欠です。第一に、許容可能な損失の判断は、組織の価値観や長期的な戦略を考慮した決定であり、AIではなく人間が行う必要があります。橋本氏が「2人目の子供が産まれ収入を上げなければ」という状況で創業を決断したように、個人的・感情的な文脈を含む意思決定は、データとアルゴリズムに依存するAIには不可能です。[3]
第二に、飛行中のパイロットの原則において、AIは過去のデータから予測はできますが、環境に働きかけて未来を創造することはできません。橋本氏が明星和楽を立ち上げ、高島市長を巻き込んで福岡市のスタートアップ政策を変化させたように、パートナーの感情に訴えかけ、ビジョンを共有し、社会運動を起こすような行動は、人間の創造性と共感性に依存します。[5][6]
第三に、倫理的判断と文化的文脈の理解も人間の領域です。ヌーラボが「仕事を楽しくする」というコンセプトにこだわり、Backlogに絵文字やゴリラのキャラクターを採用したのは、当時の業務ツールの「楽しさが欠けている」という主観的な問題意識からです。こうした文化的・感性的な判断は、AIが苦手とする領域です。
第四に、AIの出力の解釈と適用も人間の役割です。AIが提案する解決策が本当に現実的で効果的かを判断し、必要に応じて修正を加えることが求められます。つまり、AIが分析したユーザーデータを、現場感覚と組み合わせて解釈することが重要です。
最後に、戦略的思考とビジョン形成は、AIの予測や分析を解釈し、長期的な視点でプロジェクトの方向性を決定する能力であり、人間の中核的役割です。橋本氏が当初は「とにかく収入を上げたい」という動機から始めながら、最終的にIPOを達成し、福岡発スタートアップのロールモデルとなった背景には、各フェーズで新たなパートナーとの対話を通じて目的を再定義し続けた人間の戦略的思考があります。[3]
まとめ
株式会社ヌーラボの事例は、エフェクチュエーションの5つの原則を実践した典型例です。手中の鳥として既存の人脈とスキルを活用し、許容可能な損失の範囲で段階的に投資し、クレイジーキルトとしてユーザーやステークホルダーと協働し、レモネードとして想定外を機会に変換し、飛行中のパイロットとして環境に働きかけながら目的を段階的に形成しました。もし当時、生成AIがあれば、手中の鳥の発見、クレイジーキルトのコミュニケーション効率化、レモネードの機会転換の迅速化、リスク予測などが加速できた可能性があります。しかし、許容可能な損失の判断、未来の共創、倫理的・文化的判断、AIの出力解釈、戦略的ビジョン形成といった人間ならではの役割は不可欠です。エフェクチュエーションという不確実性の高い環境での意思決定論理と、生成AIという強力なツールを組み合わせることで、新規事業開発やイノベーション創出の可能性はさらに広がるでしょう。
引用文献
1 https://nulab.com/ja/about/
2 https://nulab.com/ja/blog/nulab/listing-day-report/
3 https://www.jstage.jst.go.jp/article/marketing/43/2/43_2023.048/_html/-char/ja
4 https://nulab.com/ja/press/pr-1709-backlog-jbug/
5 https://myojowaraku.net/article/12944
6 https://toyokeizai.net/articles/-/565464
7 https://nulab.com/ja/blog/nulab/aisoftwaredevelopmentanduse/
