《新規事業のすすめ》吉野杉の家プロジェクトに見るエフェクチュエーション実践+「もし当時、生成AIがあれば」
事例の概要
奈良県吉野町に、世界初のコミュニティ主導型ゲストハウス「吉野杉の家」が2016年に誕生した。Airbnb共同創業者ジョー・ゲビア氏、建築家・長谷川豪氏、吉野町、地元製材所の若手経営者らによる異色の協働プロジェクトである。[1]
吉野町は日本三大美林の一つとして知られるが、1980年の林業ピーク以降、人口減少と産業衰退に直面していた。1965年に17,625人だった人口は2021年には6,639人まで減少し、高齢化率は50%を超える。[2][3]
プロジェクトは2015年末、長谷川氏が「HOUSE VISION 2016」展への参加を検討する中で動き出した。2016年夏に東京で展示された後、吉野川沿いの旧木材検査場跡地に移築された。施設は2階建てで、1階は地域住民に開放されたコミュニティスペース、2階は最大7名宿泊可能なゲストスペースである。運営は「Re:吉野と暮らす会」が担い、31人の地元メンバーが交替でホストを務める。[4]
オープンから約1年で約1,500人が宿泊し、利益総額は約300万円に達した。収益の97%がホストコミュニティに渡り、40%が地域プロジェクトに還元される。[1]
エフェクチュエーションとは
エフェクチュエーションとは、成功した起業家に共通する思考と行動を体系化した論理である。従来のコーゼーション(目標を先に設定し、達成手段を逆算する方法)とは対照的に、手元にある資源から出発し、「何ができるか」を考えながら行動する。5つの原則から構成される。「手中の鳥の原則」は今持っているものを最大限に活用すること、「許容可能な損失の原則」は失敗した場合の損失を許容できる範囲で行動すること、「クレイジーキルトの原則」は多様なステークホルダーとのパートナーシップを構築すること、「レモネードの原則」は予期せぬ事態を新たなチャンスと捉え直すこと、「パイロットの原則」はコントロールできる要素に集中し、予測ではなく行動を通じて未来を創造することである。エフェクチュエーションについて詳しくはこちらのNOTE記事を参照されたい。
事例とエフェクチュエーションの原則との関係
手中の鳥の原則:吉野杉・吉野檜という地域ブランド材、製材所や職人の伝統技術、吉野川沿いの土地など、既存の資源を最大限に活用した。Re:吉野と暮らす会のメンバーが持つ人脈とネットワークも重要な資源だった。
許容可能な損失の原則:まず1棟のみ、最大7名という小規模でスタートし、HOUSE VISION展での展示を活用することで初期投資リスクを分散した。Airbnbの「コミュニティ投資基金」も活用した。
クレイジーキルトの原則:グローバル企業Airbnb、国際的建築家、地方自治体、地元製材所という異質なステークホルダーが協働した。移築場所の選定では、ゲビア氏が当初案を却下し、緊張感ある対話を通じてより良い立地が選ばれた。[5]
レモネードの原則:移築場所の却下という「失敗」が、吉野川沿いという魅力的な立地の発見に転換された。林業衰退という課題も、「木材を売る」から「木のある暮らしを体験として提供する」へと発想転換した。
パイロットの原則:詳細な市場調査よりも「やってみる」ことを優先し、実践を通じて学び改善していった。オープンから1年で31人のホストが誕生し、吉野町全体のAirbnbホスト数も増加した。
《空想》もし当時、生成AIがあったら?
手中の鳥の原則では、生成AIは地域資源の棚卸しと新たな組み合わせの発見を加速できただろう。メンバーの経歴、技術、人脈、吉野町の歴史的資源などを入力し、「これらを組み合わせてどのような価値を生み出せるか」と問うことで、自分たちでは気づかなかったビジネスアイデアを発見できた可能性がある。
クレイジーキルトの原則では、パートナー候補への提案資料作成で効果を発揮する。それぞれの背景に合わせた説得力のある文書を迅速に生成でき、多言語対応も容易になる。
レモネードの原則では、予期せぬ出来事が起きた際の分析と代替案生成が可能だ。地域住民の不安の声を分析し、「この反応はどのようなニーズの表れか」と問うことで、より効果的な対応策を見出せる。
その他、建築デザインの初期段階でのビジュアルプロトタイプ作成、吉野の歴史を魅力的なナラティブとして再構成、運営マニュアルの効率的な整備、ゲストの属性分析に基づくパーソナライズされた体験プログラムの提案など、多くの場面で生成AIは効率化と創造性の拡張に貢献できる。
人間が果たすべき役割
生成AIが多くの支援をできる一方、このプロジェクトの本質は人間にしか担えない。
信頼関係の構築が最も重要である。ゲビア氏が現地を何度も視察し直接対話したこと、長谷川氏が吉野の人々の想いに耳を傾けたこと、ホストが泊まり込みゲストと語り合ったこと。これらは人間同士の直接的な関わり合いを通じて生まれる信頼であり、生成AIでは代替できない。
価値判断と意思決定も人間の領域だ。移築場所の最終決定は、「この場所が吉野川の流れと調和し、山と利用者をつなぐ出会いの場だった歴史を持つ」という人間の感性と直感によるものだった。生成AIは選択肢を提示できるが、「この決断が吉野の未来にとって正しいか」という根源的な問いには、人間が責任を持って答えねばならない。
葛藤と覚悟も人間だけが持つ。林業衰退に直面しながら「吉野で生きていきたい」と願う想い、新しい挑戦に踏み出す勇気。こうした感情の揺れ動きと覚悟が、プロジェクトに魂を吹き込んだ。
創造的な跳躍は、論理を超えた人間の直感に依る。「コミュニティがホストになる」というAirbnb初の試みは、既存のデータから導き出せる答えではなかった。前例のない挑戦には、「これは面白い、やってみる価値がある」という人間の創造的直感が不可欠である。
そして何より、「なぜこれをやるのか」というビジョンは人間が紡ぎ出すものだ。「吉野の文化や風土を愛し、吉野で生きていきたい」という想いが、すべての起点にある。生成AIはビジョンを達成する手段を提案できるが、ビジョンそのものを生み出すことはできない。
まとめ
吉野杉の家プロジェクトは、エフェクチュエーション5つの原則を見事に体現した実践例である。手元の資源を最大限に活用し、許容可能な範囲でリスクを取り、多様なパートナーと協働し、予期せぬ困難をチャンスに変え、行動を通じて未来を創り出した。生成AIがあれば多くの場面で効率化と創造性の拡張が可能だったが、信頼関係の構築、価値判断、葛藤と覚悟、創造的跳躍、ビジョンの創出は、人間にしか担えない。吉野杉の家が教えてくれるのは、完璧な計画がなくても、手元にあるものから始め、人と人がつながり、一歩ずつ前に進めば、新しい価値は必ず生まれるということだ。
参考文献
[1] https://www.yoshinocedarhouse.jp
[2] https://www.town.yoshino.nara.jp/material/files/group/2/010b96007b2ab0685d71b89af333976aa6ff8556.pdf
[3] https://gdx-times.com/case_yoshinocho_1/
[4] https://yoshinochoboku.com/dialog1-1/
[5] https://suumo.jp/journal/2017/04/14/131518/
