15歳だったふたりの友だち時間はまた続く🍐中目黒|お散歩カフェ
もし、すらすらと文章を書けたとしたらエッセイがひとつできあがりそうな、とてもいいことがあった。
ずっと会えないでいて、またしばらく会えないだろうと思っていた人と再会を果たしたのだ。
転校してきたYちゃんと出会ったのは中学3年生、15歳になる年だった。
帰国子女だったYちゃんは元気で明るくて、英語で歌いながらマイケル・ジャクソンのモノマネもできた。
みんなの中心で笑っているYちゃんと、どの女子グループにも属していなかった自分がどうやって仲よくなったのかは覚えていない。
席が近かったからか、ふたりともチェッカーズが好きだったからか。
何にせよ、話をするうちに私たちはお互いの長所を感じ取り認め合っていたのだろうと、振り返るとそう思える。
そうして卒業までの1年間、Yちゃんと私はB5ノートの交換日記を何冊もやりとりしたのだった。
かろうじて続けていた年賀状をついに1通も出さなかったことがきっかけだった。
記憶にある交換日記と変わらない文字でYちゃんから年賀状が届き、それに返信するべくレターセットを手に取った。
せっかく封書を送るならと自作のイラストカレンダーも同封した。
ほとんど送りつけるかたちだったが、近況を知らせながら本気で書いた「会いたいですね」の思いは無事にYちゃんのもとに届いたようだった。
しばらくしてYちゃんから送られてきた手紙の返事には、「会おうよ!」の文字とメールアドレスが記されていた。

ーneelっていうお店で、カツサンドとクレープが有名なの
待ち合わせは午前10時に中目黒駅の改札
行列ができる前にブランチをすることに

少し緑がかった何とも言えないブルーの壁の一軒家
こげ茶の扉とカーブした窓が何だか顔に見えてくる



そろそろお店に入ろう
はじめにオーダーと会計をして
番号札を受け取るスタイル

慣れてくるとこのくらいが目にやさしくて心地よい

1階を見て回りながら狭い通路を進んで階段へ向かう





空いている席はあと2ヶ所
どっちにする?とわくわくしながら相談
席についたらどちらからともなく
中学時代の記憶をおさらいしたり
自分の人生の「これまでのお話」を語り合った

カップはオーダーの時に無地か洋梨柄かを選べる

neelのカツサンド
食べれば看板メニューであることに納得する
分厚いお肉はやわらかく、
間に挟まれた野菜の量が多い
甘みのある独特なドレッシングとソース
(バルサミコ酢では?Yちゃん談)
薄めにスライスされたパンは
具に主役を譲っているようだが
こんがりトースト具合と
まぶしてあるパン粉で存在感を増している

シュガーバターのクレープ
クリームやフルーツが乗っているものと
迷いながらも初回はシンプルを選択
しっとりもちっとした生地はほどよい甘さ
バターがとろけるもはじっこはパリパリ
そして貴婦人の扇子を思わせるたっぷりサイズ

天井と壁に固定された大きなライトにご用心
隣の席のお客さんもYちゃんも頭をぶつけた

奥に見えた1番から60番まである
小分けの棚が気になった

ー中学を卒業したあと20代で1度会ったよね
ーイラスト展にYちゃんが来てくれたんだよね
それから実に20年以上の月日が流れていた

すれ違うわんこを眺めながら
代官山までお散歩

混んでいて入れなかったけれど
ロースタリーのマークがついた
イタリアンベーカリーに連れて行ってもらう


コルネッティノッチョーラ
ヘーゼルナッツチョコ入りのクロワッサン

いちごタルト
両方食べたそうにしていたのが伝わってしまったらしい
お腹がいっぱいだからと
食いしんぼうに半分くれるYちゃん
本当を言うと、さすがに20年以上も会わないでいたら見た目も変わっているし、お互いすぐにわかるのだろうかと少しだけ不安だった。
待ち合わせ場所に現れたYちゃんはまっすぐにこちらへ向かってきて、すぐわかったよ!と目をキラキラさせて笑った。
ずっと昔から知っている笑顔だなあと思った。
会わないでいた長い時間はすぐに感じなくなって、何でも話していいのだという不思議な安心感が押し寄せる。
懐かしさよりも、また会えたことがただうれしかった。
見たいお店があったら言ってね、と声をかけてもらったけれど、並んで歩いているだけで楽しくて足どりが軽くなるくらいだった。
途中でふたりとも気になったクラフトチョコレートのお店に入った。
小さなスプーンでチョコのかけらを何種類も試食しながら、いろんな味があっておいしいね、高いけど、とひそひそ話をしている様子は、いつも会ってお茶をしている友だち同士に見えたことだろう。
中学であんなに交換日記をしていたのに聞いていなかったこともあって、Yちゃんは試練をも持ち前の明るさでたくましく乗り越えてきたのだと知った。
そして自分が中学2年の時に、なぜだかクラスの女子全員に無視されていたことを打ち明けていた。
それはずっと棘のように胸の中にあったのだが、話しているうちに、うまくいかないことも多かったあの頃の自分たちはよくやっていたし、ちゃんと楽しんでいたことを確かに思い出していた。
大人になっても長い間ずっと残っていた棘の痛みが薄らいだように感じたのは、はじめてのことだった。

ーうん、また会おうね
ー明日は映画を観に行くんだ
ーえっそうなの?私も!
次の日の夕方、Yちゃんと私は違う場所で同じ映画を観ていた。
数少ない大切な友だちが、長い空白を挟んでもまだ変わらず友だちでいてくれたことを誰かに自慢したくなったし、それと同時に、ありがとうという当てのない感謝の思いでいっぱいになっていた。
一緒に行きつ戻りつしながらふたりで過去をゆっくりたどった日。
この出来事は、15歳の日々をじたばたしながら何かに立ち向かっていた自分たちからのエールのようにも思えたのだった。
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ここまでお読みいただきありがとうございました。
思いのカケラが届きますように。