いぬがしゃべりました ⑥【言葉を覚える】
「ある日突然、イヌがしゃべった!なぜ?」
中2女子 桃々と犬のサトーさんが、謎を解明するふしぎな3年間。
「犬と話したい」と夢見る方にお贈りする、冗談みたいなお話です。
(※第1話へ)
<第6話>「言葉を覚える」
サトーさんが喋ってから、2日経った。
あれ以来、サトーさんは頻繁に”モモ”と鳴くようになった。
それだけじゃない。まるで何か言いたい気持ちを抑えられないように、いろんな声を発しはじめた。私が「あーあー」と言うと、”アーアー”と応える。「いないないばあ」としてあげると”キャッ、キャッ”と喜んだりする。抱っこしながらクリクリ丸い瞳を見ると、まるで人間の赤ちゃんと心が通じているような気持ちになる。
発音できる音が「オ」や「ア」から始まり、「マァマ」「ダァダァ」と少しづつ増えてきた。
パパが言っていたけど、それはまるで赤ちゃんの喃語(なんご)のよう。乳幼児が一から言葉を覚えているような、そんな行動だ。
”モモ…モモ”と鳴きながらごはんをパクパク食べるサトーさんを遠目に見て、
「いや、そんなわけない。鳴き声がそう聴こえるだけよ。」とママは自分に言い聞かせている。この耳でハッキリ聴いているにもかかわらず、まだ半信半疑な様子。大人としての常識が邪魔をして、受け入れられない。
パパは喜んでスマホで動画を撮っている。「こりゃいいぞ。”わんにゃんチャンネル”にゲスト出演させようか。」とふざけながら、またうんちくをひとつ。
「ね、知ってる?しゃべるゾウが韓国にいたんだって。」
「なにそれ?」
「何年も前だけど、韓国の動物園でゾウが話したっていうニュースがあったんだよ。韓国語で『こんにちは』とか『いいえ』とか。」
「ホントに?」
「ホント。自分の鼻を口の中に入れて人間のような声を出したんだって。」
「オウムみたいに?」
「そうだね。オウムや九官鳥のように。もしかして犬でも声マネできる子がいるのかな。エサが欲しくて人間の言動に呼応しようと鳴き声を寄せてきているのかも。あるいは…」
あんなに夢みたいな空想が好きなパパでさえ、なんとか知識を駆使して常識的に理解しようとしている。『サトーさんは話していない。繰り返しているだけ』と。
サトーさんは私に飛びつきながら、”モモ…モモ…”と鳴く。それが嬉しくて、「私の名前だってわかってるみたい。」と言うと、パパは「どうかな。意味なんか分かってないと思うよ。」と慎重だ。
「どうして?」
「人間の赤ちゃんだって同じさ。最初に話す言葉はたいてい『ま』とか『も』とか、なんだよ。」
「『ま』?どうして『ま』?」
「赤ちゃんが出しやすい声は「あ」なんだけど、お腹が空いた時、おっぱいを飲むような唇の動きをしながら求めるから『ま』って聞こえる。ほら、『あー』って言いながら、おっぱいを飲むように繰り返し唇をすぼめてごらん。」
私もイメージしてやってみる。
「『あー…んま…んま…んま…まま』あ、ほんとだ。」
パパは得意そうに、「ね。だから『マンマ』は日本ではゴハンを表す赤ちゃん言葉。海外でも『ママ』『マム』って音はお母さんのことを意味するし。沖縄の『アンマー』も。どっちにしろミルクが飲みたいってことだね。だから、サトーさんは『あっ、この人がモモだ』って思ってるわけじゃなく、ただゴハンが食べたいだけなんじゃないかな。」
「えーっ。」
「他にも『ダァダァ』とか『パァパァ』も、赤ちゃんにとって発音しやすいんだよ。だから海外ではお父さんのことを『Dad』とか『パパ』という。赤ちゃんが目を見て言うもんだから、親としちゃあ『自分たちのことを呼んだ』って、そう思いたいんだよね。ま、親心ってやつさ。」
「もう、夢がないなあ。」
私はサトーさんに名前を呼ばれた。
…きっとそう。そう思いたい。思わせて。
「でもこれは、この子が人間の赤ちゃんだったら…って話。ただオウムのように鳴きマネしてるだけなのか?もしくはサトーさんの意思なのか?そこは大きな違いだ。ま、とにかくもう少し様子を見るしかないか。」
いつになくパパが慎重なことを言うと、偶然サトーさんが、
”あイ”
と返事したから、パパと私は顔を合わせて笑った。

◆
それからというもの、サトーさんは加速的に言葉を喋るようになってきた。
私の言った言葉の真似をするように、赤ちゃんみたく繰り返して。それはまるで、精力的に言語を吸収しようとしている幼児のようだった。
「バイバイ」と言うと”ばイばイ、ばイばイ”
「はいはい」も”はイはイ、はイはイ”
「うん、そうなの、そう?サトーさんちゃんおりこうだね。」話しかけると、
" おゥおゥおゥ " と応えるように呼応する。
ぬいぐるみ犬のタル兄ちゃんを「ほら、ワンワン。」と見せると、最初は怖がった。けど、動かず何もしてこないことが分かったのか、ガブリと噛みついた。「ちょっと!やめて!」制しても構わず”ワンワン”と誇らしく吠えた。
やがてサトーさんは自分の感情を表し始めた。
オウム返しのように無理解で言葉を繰り返すのではなく、サトーさんのそれは、サトーさん自身の『意思』としか言えないものだった。
エサのお皿を鼻先で突いて、
”マぁマ、ゴあン、ゴあン(ママ、ごはん)”
お風呂に入れようとすると、
”ヤー、ヤー(いや)”と言って逃げまわった。
「すごいぞ!人間だって1歳前後でやっと話し始めるのに…。」
パパは面白がって興奮した。
「そうなの?」
「桃々ちゃんは1歳半だったからもっと遅かったよ。」
「うるさい。」
異常だよね。だけどその異常さについても、私たちの感覚が麻痺して受け入れそうになるほど、猛烈なスピードで言葉を覚えていった。
だけどついにサトーさんが、牛乳を飲んでいるママに向かって、
”ぎューニュ、ぎューニュ、ママァ、ちょーダイ、ちょーダイ”
と言い放った時には、驚いたママはコップを落とし、床に飛び散った牛乳をペロペロなめるサトーさんを見て、さすがに「気味悪いかも。」と抱っこしなくなった。
その様子を見て、パパがいつになく真面目な表情でつぶやいた。
「家族会議を招集する。」
◆
食卓のテーブルにつくパパと私。ママは離れたソファで仕方なくお茶を飲む。サトーさんは自分のことを話されているなどとは意にも介さず、おもちゃ箱からぬいぐるみを引っ張り出そうとしている。
パパが口火を切った。
「では家族会議を始めます。整理しよう。アジェンダは『これからサトーさんをどうするか?』についてだ。いいね。」
「あじぇんだ?ってなに?」
「議題。テーマのことだよ。なにについて話すのかっていう会議の目的。」
「サトーさん、どうにかなっちゃうの?」
「いや、それを相談したいんだ。」
パパがチラリ横目でママを見る。
ママはまるで関係ないかのように離れたソファで静かにお茶を飲んでいる。同じテーブルに着くほどまだパパと打ち解けていないけど、さすがにこの問題をどうするかは避けられない。だから、変な距離感をもって聞くしかない。
パパは、私に話しかけるフリをして、ママに話しかけている。
「サトーさんが喋った。それは皆が見ていても、明らかだよね。」
しょうがない、私が聞き役やりますよ。はいはい。「うん。」
「問題は、サトーさんがしゃべったことを家族だけでとどめておいていいのかどうかだ。」
「誰かに話した方がいいの?」
「うーん、どうだろう。どこに相談するのが正解なのかわからないけど。獣医さん?保健所?警察?大学?新聞社?うちのテレビ局…?そんなルールどこにもないしね。」
「言ったらどうなるの?」
「またたくうちに大騒ぎになってしまうかも。もしかしたら世界中で。」
「そしたら?」
「良くても、動物園やメディアで見世物になって…」
「ええっ!?」
「悪い場合は…。」
「…悪い場合は?」
やだやだやだまさか・・・
「連れていかれて、研究材料になって、ヘタしたら実験台や解剖とか…」
「えーーーーっ!!ダメ!ダメ!誰にも言っちゃだめ!」
サトーさんを抱きしめる。
「だけど、秘密にしておくのも、果たしていいことなのかな。危険動物だったら、通報の義務を果たさないと罪になるかもしれないし。『しゃべる犬』って前例がないだけに詳しい法律もわからない。そうでなくとも社会倫理に反していないかな。」パパは親として妙に常識ぶった。
「サトーさんは危険じゃないもん。解剖はイヤだ。」
”…カイボ、カイボ…”
サトーさんが無邪気に私の言葉をマネする。楽しそうにボールに噛みついて、意味も分からず。
私の顔を見て、”キャッキャッ”と笑った。たまらなく愛らしい笑顔だ。
「これからサトーさんはもっと話すようになるかもしれない。人間みたいに。もしもそんなことがあったら、生物学的な歴史的大発見かもしれない。もしくは、なにか社会にとって良くない影響を与える可能性だってあるかもしれない。本当に秘密にしておいていいのか?ってことだよ。」
「やだよ!そんなの!ダメ!誰にも言わないで!」
「わかるよ。でも悩ましいのが、家族ぐるみで世の中に反するかもしれない秘密をもっていいかどうかだよ。」
「いいか悪いかなんてわかんないよ。」
「弁護士さんとかに相談しようかな。」
「誰にも言っちゃダメ!」
「YouTofuに出してみて反応見る?AIで作ったCGってことにして。」
「やめてよ。もう。」
「言うべきよ。」
ママが口を開いた。
「少なくとも私たち家族が抱えていい問題じゃないと思う。正しくないよ。ちゃんと調べて、思い過ごしだったら、それでもいいし。」とまっすぐ壁を見ながらお茶を飲む。
もっともすぎる正論と、ママが口を聞いたことにパパは驚きつつも、
「…まあ、そうだな。」とため息をつく。
「ダメ~~!」
「サトーさんをもらってきたとこにそれとなく聞いてみたら?何かわかるかも」ママは独り言のようにつぶやく。
私も乗っかる「そうだよ、なんてとこだっけ。」何度聞いても忘れちゃう。「えっと、エンジェル…なんとか?」
パパが言い直す。「エンジェルライフ。身寄りのないイヌやネコを里親に引き取ってもらうボランティアのNPO法人だよ。ペットのマッチングアプリで見つけた。」
「そこに聞いてみる?サトーさんはどこから来たのか。」
私の問いに、ママも気になったのか聞き耳を立てる。
ため息交じりに「ムリだと思う。野良犬だったのを保健所が保護したって言ってたからな。どこから来たのかわからないそうだ。よくあるんだよ。持て余した無責任な飼い主が捨てたり。」
「捨てられてた?一体誰に?」
「わからない。どうなんだろうね。」
「………。」
「………。」
「………。」
皆、押し黙ってしまった。
”ワン!ワン!ワン!ワン!”
突然、サトーさんがけたたましく吠え始めた。
何かに怯えるように、周りを見回し、必死に。
”ワン!ワン!ワン!ワン!”
何かを訴えるように吠えながら、私たちを追い立てるようにぐるぐる回る。まるで壊れたオモチャのように尋常ではない興奮で。
どうしたの?としゃがんだ私の服の袖を噛んで引っ張ろうとする。まるでどこかへ連れて行こうとしているよう。
やがて、リビングを飛び出し、廊下を駆け抜けていった。
「なに?」
「おい、サトーさん、どうしちゃったんだ?」
私たちはサトーさんを追った。タル兄ちゃんの部屋に吸い寄せられるように飛び込むと、サトーさんはベッドの下に滑り込んで身をかがめ、”グルルルルルル”と唸っている。敵意に満ちた目の光。
「どうしちゃったの?」
「サトーさんをどうにかするって話をしてたから、警戒してるのかな…?」
その時、ベッドサイドの目覚まし時計が、小さくカタカタ鳴った。
うん?
閉められたカーテンのずっと向こう、遥か街の彼方から、夜の静寂を破って低い地響きが迫り来るのを本能的に感じた。
”ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……”
その瞬間、突然、部屋が大きく揺れ始めた!
皆のスマホが揃って、いっせいに不快な地震警報アラート音を放ち始める!
立っていられなくなるほど、大きな地震。”ギシリギシリ”壁と柱の接続面がこすれ合う不気味な音が繰り返されたかと思うと、
”ガシャン!!ガラガラガシャン!!”
物が倒れ、ガラス食器が割れる音がリビングの方から激しく響いた。
「怖いっ」私が目をつむると、ママが私を抱きしめ、パパが2人の上から覆いかぶさるように守った。
ドシン、ドシン、ドシン、ドシン………。
◆

息が整うまでの間だったけど、私には永遠に感じた。
アラート音が止み、やがて軋み音は少しずつ収まっていき、最後に残ったのは”キーコ、キーコ”と天井で照明のカサがむなしく揺れる音だけだった。
私たちは顔を見合わせ、リビングへおそるおそる覗きに行った。
そこには、白いフローリングの床に、ガラスコップが飛び散り、陶器の花瓶が割れて赤いガーベラがバラバラに散乱していた。
「ひどい…」私が花を拾おうとすると、
「危ない!入っちゃダメだ!」パパが制し、破片を踏まないように注意深く足をしのばせる。スリッパの下でも破片が小さくパキパキ踏まれる音がする。前に突っ伏すように倒れている50インチの大きな液晶テレビを起こすと、電源を入れた。
ぼつんと鳴って、現れる画面。
「あ、ついた。」
ニュースが流れ、東京湾沖で震度5の地震があったとけたたましく叫んでいる。
「津波にご注意ください。海岸から離れてください。」ガラス画面のひびで歪むアナウンサーが興奮して繰り返す。
やがてテレビではさまざまな映像が流れた。思いのほか大きな揺れだったようで、テレビ局のニュースデスクで慌てるスタッフの定点カメラ、停まる電車に混乱する駅の乗客たちの様子。
また、建物が破損したペットショップから逃げ出した犬猫。地震に興奮して逃げ惑うワンちゃんやネコちゃんたちを警官が大きな網で追いかける捕り物が映った。SNSを賑わせている視聴者映像らしい。捕らえられた網の中、後ろ足で必死に蹴りながら苦しく暴れるも、その体に網が食い込んでいくのが痛ましく、まともに見られなかった。
ママはリビングの床に散乱したガラスの破片を注意深くモップで一か所に寄せる。ぶちまけられた水まみれのフローリングの板に破片が引きずられてゴリゴリ鈍い音をたてていると、なんだか生々しい怖さが押し寄せた。
もし、この部屋にパパとママと私がいたら、どうなっていただろう。
サトーさんが吠えてベッドルームに行かなかったら…。
え?…まさか。
もしかして、サトーさんは地震が来るのが分かった?どういうこと?
「サトーさんは?」
ベッドルームに舞い戻ると、ベッドの下で小さく丸まって震えているサトーさんがいた。ペットジャーキーで釣ってようやくノソノソとベッドの下から出てきたサトーさん。何かをくわえていた。
見ると、薄い水色の毛糸で編んだ手袋。
「これって…」ママがつぶやいた。
無くしたはずのお兄ちゃんの手袋だった。
「タル兄ちゃん!」
顔を見合わせるパパとママと私。
「………。」
「もう少し…」パパがつぶやいた。「もう少しだけ様子を見るか。」
すると、サトーさんが、
”アイ”
と答えた、ように聞こえた。
私は決めた。この子を守る。
(つづく…)
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