いぬがしゃべりました ㊴最終話【ありがとう】
「ある日突然、イヌがしゃべった!なぜ?」
中2女子 桃々と犬のサトーさんが、謎を解明するふしぎな3年間。
「犬と話したい」と夢見る方にお贈りする、冗談みたいなお話です。
(※第1話へ)
<最終話・第39話>「ありがとう」
3年後…。
聖書を手にした神父さまが静かに立っている。
背後には、全面ガラスの東京ベイエリアを臨む眺望。見上げると頭上高くに十字架をかたどった荘厳なシャンデリア。
参列者たちの視線の先には、檜の木の一枚板でほどこされた扉。
静かに開いて、真っ白なウエディングドレスを身にまとった花嫁が登場。
美しいベールを揺らせてうつむく…。

外は快晴。海を渡る風が心地いい。
8月にしては爽やかな過ごしやすい日が続いている。
豊洲さきっぽ公園。東京湾に流れ込む広大な運河に突き出して270度海を見渡せる。
ここへは、なにかあるたびごとにサトーさんとよく来た、思い出の場所。
芝生に寝転んで空を眺めながら、たわいもない言葉を交わすのが好きだった。
公園の広い芝生の中に、ぽつんとたたずむ美しいチャペル。檜の木組みと全面ガラス張りが見事だ。
そこでたった今、花嫁がカノンの美しい音色に乗って、赤いバージンロードに一歩を踏み出そうとしている。
皆の祝福の声に応えるように、花嫁がゆっくり顔を上げると、その顔は…
…ママだ。
ブーケを両手に携え、幸せそうな笑顔をふりまくママ。
神父さまのとなりには、タキシードを着たパパが緊張で背筋を伸ばしながら待っている。
「ママ、きれい。」参列者席に座る私は、「ゆっくり、ちゃんと練習した通りに。」と小さく声をかける。
花嫁を待ち受けるパパと目が合ったら、私にピースサイン。
パパ、ママ、良かったね。ちゃんと結婚式挙げられたよ。結婚25年記念だね。
みんなからの温かい拍手。大理石に響く。
祭壇にママが到着すると、間髪入れずに一転、別の曲が流れ出した。
今度は『G線上のアリア』。サトーさんが好きだった曲だ。バイオリンの調べが響く。
パパとママが笑顔で視線を送ったのは、先ほどの後方扉。
なぜかもう一度、扉が開く。
誰もいない。
と、思いきや、床に目を落とすと犬のシルエット…
…ライカだ。
頭に花冠とベール。小さなブーケをくわえて静かに歩み出す。
彼女らしい気品あふれる美しさを漂わせている。
「きれい…。」
うしろには、リングボーイのカワイイ子犬がチョコチョコ付いてくる。

そう、パパママたちとお揃いのダブル結婚式だ。
ママのたっての望みで企画された。
花嫁たちを迎えるパパのとなりには、
タキシードをスマートに着こなしたもうひとりの新郎犬が登場する。
振り向いた新郎は…、
これまたなぜか、見知らぬボーダーコリー。
真っ黒でつややかな毛並みのイケメン犬。
…あれ?サトーさんは?
「ごめん、トイレが遠くって。」
のんきに舌をぶら下げながらサトーさんが遅れて参列席にすべりこんだ。
「なにやってんの。始まったよ。」
「犬OKの多目的トイレが普及するのはまだまだだな。」
ぶつくさ蝶ネクタイを揺らしながら私の隣の席につく。
「きれいね。」
「ああ。」
イケメンコリーと並ぶライカのお似合いの姿をまぶしく見つめている。
そんな横顔に向けて、聞いていいのか探りさぐり…、
「でも…、」
「ん?」
「良かったの?ライカさんのこと。」
「うん、良かったよ。技術革新で安全なAI犬が生まれるようになったんだからね。あんなイケメンとも知り合えたんだから。ま、僕の研究のおかげだけどね。」
「そうじゃなくて…。無理してない?」
「なにを?」
「なにをって…。」
(ライカと一緒になりたかったんじゃないの?)
そう尋ねたら、なんて言うかな…。
「ううん、なんでもない。」言葉は飲み込んでおいた。
神父さまの進行の間、ママが笑顔と涙でこっちを見ている。
ライカも私たちに向かって、唇で『ありがとう』と告げた。
私の手には、サトーさんが作ってくれた不細工なタル兄ちゃんのぬいぐるみ。
それを見ながらサトーさんが言った。
「タル兄ちゃんも喜んでくれてるよ。きっと。」
「うん…そうだね。」
「人は誰かに思われているうちは生き続けているんだ。桃々ちゃんやパパママ、みんなが思い続けていさえすれば。」
なんだかずっと私を苦しめた運命に、やっと赦された気がして胸が熱くなった。
「うん。」
よかった。本当に良かった。
振り向けば、参列席に見慣れた顔が並ぶ。
ひとりひとり、私にも「よかったね」と笑顔を送ってくれる。
八ツ橋お萩さん、団子さん姉妹はおいおい嬉し泣きしながら、大きくなった孫息子くんの顔をくちゃくちゃに撫で回している。
飴宮神社のおばあちゃんは、上品な着物姿に優しい笑顔でおじぎ。
幼なじみの苺乃大福はピースサイン。
ネオ・サピエンスCEOの甘納豆カヌレさんも娘ライカさんの花嫁姿に嬉し涙をこぼす。
災害担当課長の白玉さんはハンカチで汗なのか涙なのか顔を拭きまくっていた。後ろで内閣府情報部の葛切も前髪をぺろんと垂らしながら口角を片方上げてくれている。
リングボーイのおチビちゃんが、ライカに向かって声を上げた。
「ママ!キレイだよ!」
…みんな素敵な笑顔だ。
ところが、ライカが神父さんの問いに「誓います。」と答えたあと、突然、様子がおかしくなった。
急に、ライカと新郎犬そしてリングボーイくんが「ワンワン!」と吠えだしたのだ。ドレス姿のママがブーケを放り出して新郎のパパと一緒に、逃げる子犬の後をあわてて追いかける。
「あらら、Wi-Fiの具合が悪いね。」
サトーさんは胸ポケットからスマホを取り出し、急いでWi-Fiのテザリング再接続を行う。
はっ、と我に返ったライカが、
「あら、こんな時に。恥ずかしい。」と顔を赤らめた。
みんなで笑った。
◆
あの時、いつかの私の手術の日。
国内はもちろん海外からも、医学研究者たちが治療に協力しようと声を掛け合い、やってきてくれた。国が治療不可能だと言っていた『新種の先天性QP延長症候群』。私の心筋神経組織の適合手術は成功し、順調に回復した。今はすっかり元気になれた。サトーさんの研究は正しかった。
おかげで私は18歳になり、高3だ。
サトーさんを見習って、将来は研究医を目指して大学受験の勉強を頑張っている。家族や大好きな人々はもちろん、たくさんのワンちゃんや動物たちを助けてあげたいから。
それと、1日でも長く、サトーさんに元気でいてほしいから。
サトーさんは、かわらず政府チームとともに災害予測の研究をしている。
あの気球実験で導き出した数値を基に、すぐに本稼働の衛星が打ち上げられたことで、地震の誘発を軽減することができるようになった。
さらに彼は、野生動物の災害予知能力の理論化に成功した。
世界中の動物たちの行動をアルゴリズム数式化して、温暖化によるユーラシア大陸全域を襲う地球的規模の台風群を1ヶ月前に予測することができ、おかげでヨーロッパ各国の被害を最小限に食い止めることができた。
また、アジア太平洋地域に点在して頻発する大地震を予測したことでアメリカ大陸、東南アジア、オセアニア地域を甚大な被害から救った。
今は温暖化を食い止める方法を研究している。
また、週に2回ほど、大学の医学部で遺伝子療法を若者に教えている。
「もしまたコロナみたいな世界的ウィルス感染症が流行した時には、重篤リスクが少ない僕たち犬が、人間に代わって社会がスタックしないよう対応するよ。」とか生意気なことを言っている。
最近は、宇宙物理学にも目覚めてせっせと勉強している。
一体どこに向かってんだか。
今、家の壁には、サトーさんが宇宙気球のキャビンでクルーたちと成功を称え合っている写真がいつまでも飾られている。
それと、
ついに昨年、サトーさんの人権が裁判で認められる判決が出た。
あの外国人記者連盟記者会見での私とパパママの様子も世界を駆け巡った。涙ながらにサトーさんへの愛情を語り、家族が一つとなって彼の身を返すよう訴えたことは、多くの反響を呼んだ。
これらによって、全世界たくさんの人たちが応援の声をあげた。あれをきっかけに世論の風向きが変わった。
政府による拘束は不当だとして訴えた私たち家族。対して、国は全面的に争う姿勢を見せた。八ツ橋お萩弁護士が奮闘してくれたおかげで、高等裁判所ではサトーさんの権利が認められた。国は最高裁に上告しようと考えたが、途中であきらめざるを得なかった。
サトーさんの功績が認められたから?
…実はそれだけでもない。
私たち家族と日本政府の元に、ワシントンのホワイトハウスから、
「サトーさんとご家族の移民を受け入れます。我が国ではサトーさんに対し基本的人権を持つ国民として受け入れる法的準備があります。」と誘いがきた。
日本が人権を認めないなら、ウチで引き受けますよ、ということだ。
他国もそのあとに続いた。「我が国に亡命を。」「いや我が国に。」「住居と年間50万ドルの生活費をつけます。」とか甘い誘いが殺到する始末。
とんだ横ヤリが入ったもんだから、日本政府はあわてた。サトーさんという国家財産の国外流出を止めるため、” ぺろん “ と手のひらを返したのだ。
おかげで、サトーさんは通称 " 日本国名誉国民権 " を手にした。
サトーさんは生物学的には人間ではないので、「インテリジェント・マイノリティ」と呼ばれている。
世界中の国々では、他にも同じように進化をとげた血統の犬「インテリジェント・マイノリティ」が存在するはずだと、捜索が大ブームとなっている。官民問わずの大騒ぎだ。
あの静かだった京都左大文字山裏にひっそりたたずむ八ツ橋神社は、どこから漏れたか聖地巡礼の地として、すっかりインバウンド観光客が押し寄せてしまい、八ツ橋姉妹はご立腹だ。
「しゃあないから茶屋でもオープンしたろか」と冗談をかましていた。
そのうちライカたちのように、AIで意志を持つ犬もたくさん生まれるなら、いつか普通に人間と犬が互いにリスペクトしながら共存できる世の中になるといいね。
その街には、たくさんの犬が人と語り、笑い、肩を組んで歌い、互いを理解し、尊重し合いながら生きていく。そんな世界が広がっている。
互いに協力して豊かなテクノロジーと安らぎを手に入れて。
でもそんなに簡単ではない。まだまだ差別もあるし偏見もある。多様性の道のりは遠い。
そんな時は思い出して欲しい。サトーさんの言葉を。
「だって僕ら犬は、人間が好きなんだ。」
◆

同じころ、遠く離れた京都。
山に囲まれた小さな街は、すっかり日が暮れていた。
今宵は人々でごった返し、熱気にあふれている。浴衣をまとった観光客や、うちわを手にした街の住民たちがたくさん。蒸し暑い夏の夜に一瞬だけどこからか吹いた爽やかな風に誘われるように、皆が揃って同じ方向を見上げる。
そこには、夜空の下に8月16日お盆の精霊を送る『大文字山の送り火』。
闇夜にそびえる漆黒の大文字山と左大文字。
2つの大文字山には、灯された『大』の文字にひとつづつ、
『 丶 』(点)を表す火床が加えられ『犬』という文字を描いている。
『 犬 』と『 犬 』
細かく揺れるオレンジの炎光の粒が連なって、左右に並ぶ山に大きな2つの文字を描き上げる。
その昔、偉い僧侶を導いた2匹の犬を現す、尊い光のメッセージ。
千年ぶり、京都の夜に心震えるほど美しくゆらゆらと浮かんでいる。
◆
パパママとライカたちの結婚パーティーはつづく。
会場の大きな窓の外に広がるのは、すっかり夜の景色。
夏の風に乗って、さきっぽ公園に風がふいた。
風は東京湾をのぞむ結婚式場を通り抜けて、夜空を駆けるウミネコをいたずらっぽくあおったあと、さわやかな音を立ててレインボーブリッジと東京の夜景を越えていった。

パーティー会場では照明が暗転。
スクリーンにプロジェクターで映像が映し出された。大きな窓の中心に据えられて、まるで東京の星空に浮かぶようだ。『G線上のアリア』の甘美な旋律に乗せて。
そこには、パパがずっと撮りためていた幼い頃からの家族ビデオ。
サトーさんと私のこれまでを振り返るような家族の回想で綴られている。
…赤ん坊のサトーさんが初めて来た日。震えて見上げる愛くるしい顔。
…朝、ケージから出てきて、布団で眠る私の顔をなめて起こす姿。
…喋り始めたサトーさんに、パパがビーフジャーキーで釣って言葉を教えている。「はい、ぱぁぱ、ぱぁぱ。」
…壁に落書きをしてママに叱られてイジける。
…私がオセロで負けて、取っ組み合いのケンカをするのをパパが仲裁する。
…寝る前にサトーさんのためにママが絵本を読んであげる。
…ひょんな流れで行くことになった京都の旅。
私、サトーさん、ママ、パパ、ライカの集合写真。
ひとつ、ひとつが愛おしい。
涙があふれる。
幸せだ。
ああ、幸せだ。
サトーさんは私を、パパを、ママを、私たち家族を救ってくれた。
タル兄ちゃんがいなくなって傷ついた心を癒し、バラバラになっていた家族をもう一度ひとつにしてくれた。
何の見返りも求めず、彼は自らを犠牲にし、すべてを捧げた。
それを人は、" 愛 " と呼ぶのだろうか。
私とサトーさんは、あれから変わらず一緒に暮らしている。
腐れ縁の友達関係のような、お兄ちゃんのような、ほのかな恋のような…。
そんな不思議な関係であの頃のまま。
私たちは、この先どうなっていくかは分からない。
穏やかな凪のような時を送るのか、ドラマチックな大事件が起こるのか。
そりゃあね、サトーさんは素敵な花嫁犬と知り合って賢い子犬ちゃんが生まれるかもしれない。私だって他の誰かと出会うかもしれない。
たとえそんなことがあったとしても、ずっと一緒にいることだけはわかっている。
だけど。
だけどね。
誰にでも、心ひそかに一生忘れられない初恋があるかもしれない。
今思えば幼い自分の価値観に照れながらも、美しい素敵な思い出。
私の場合は犬の姿をしたお兄ちゃんだった。
その恋を心の奥底の宝箱に入れて一生開かない……つもり。
人が一生で出会う人の数は3万人いるそうだ。
生まれてから何年も生きてきて、さまざまな出会いを経験する。
素敵な出会いも、そうでない思い出も。
ひとつひとつの出会いには意味がある。果てしなく続く分かれ道の分岐点だ。
たまたま決定した選択で、人生が大きく変わる。次に生まれるはずの子どもたちがが存在したりしなかったりする。
もしも私が生まれ変わったら、次の人生はどんな選択をするのだろうか。
私は思うんだ。
世の中は、人生は、ときどき私たちの浅いちっぽけな想像を大きく超えてくる。そんなことが平気で本当に起こってしまう。
もしも空からやってきた星の王子さまが人と違う姿だったとしたら?
ちょっと生意気だけど言葉のひとつひとつが愛おしくて、人格を尊敬できて、一緒にいて居心地が良くて、大好きで、幸せだったら? 自分が、自分らしく生きられるのなら?
共に人生を歩むことを、一体誰がじゃまできるのだろう。
その恋を誰が否定できるのだろう。
姿が違う相手を好きになることがあってもいい。
以前、サトーさんは私に言った。
『犬の寿命は15年。桃々ちゃんが大人になったころいなくなってしまう。』
…わかってる。いいんだ、それでも。
たとえこの先がなくても、たとえ人間じゃなくても、好きになることは誰にも止められない。
私が私らしく生きる。
そう思える生き方ができている人は、世の中に何人いるだろう。
未来を決めつけないでほしい。
未来にはわかりやすくドラマチックなハッピーエンドはないかもしれない。
でも、ささやかな幸せがあれば、私はやっていけそうな気がする。
自分が幸せだと思えれば、その人生は、” 勝ち “ なのだ。
そう、生きよう。私は私らしく。
サトーさんのおかげで、私、幸せだよ。
なぜだか、私の頬を一筋の涙がつうっとつたった。
なぜだかわからない。理由はわからない。だけど、心が洗われるような、気持ちが浄化されるような、そんな気持ちのいい涙だった。
ビデオはラストに差し掛かった。
そこに映し出されたのは、幼いころの小さなサトーさんと私がくっついて眠る姿。幸せそうに目を閉じ、おでこを寄せ合う私たち。
暗い会場。こっそりサトーさんの横顔を盗み見る。
スクリーン投影の灯りがゆらゆら、彼の大人っぽくなった細い頬を照らしている。
私の視線に気づくと、彼は瞳を見つめ返して微笑んだ。
私も微笑み返した。
サトーさん。
そばにいてくれて、
ありがとう。
だいすきだよ。ずっと。
(おしまい)
お読みいただき、ありがとうございました。
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