結局社会的価値に振り回されている話
今日、何年振りか思い出せないくらい行っていなかった、丸の内を歩いた。
12時少し前、ランチに向かうサラリーマンやOL、外国人観光客や他県からの旅行客が行き交う時間帯。
そこでふと思ったのだ、この辺りで働いていたら優越感凄いんだろうなあと。(めちゃくちゃ偏見ですみません)
少し前に、「競争社会から降りる事」というnoteを書いた。
確かに自分なりの幸せを見つけるために今動いているし、世間が作り出した価値観ではなく、自分の価値観を大事にしようという気持ちに変わりはない。
ただ、時々心底うらやましくなる時があるのだ。
誰もが知っている大手企業勤務、オフィスは丸の内で年収は1,000万円超え…
それが本当に自分に合った幸せなのかと定義して、それを目指すレールから自ら外れたにもかかわらず、手に入れたいと思ってしまうこの感情。
それは間違いなく嫉妬だ。
もちろん前述した、いかにもハイスぺ!みたいな状態を達成するために、彼らが受験や就活、社内競争などの厳しい戦いを勝ち抜いてきたのも重々理解している。
その裏にはきっとたくさんの苦労があった事も。
ただ、自分もどうしても考えてしまう時があるのだ。
受験から逃げなかったら?留学をした経験をもっと活かせていたら?学生時代もっと勉強を頑張っていたら?と。
でも、このたられば論争に関しても考えてみたのだ。
結局この気持ちの背景にあるのは、自分を信じてやまない漠然とした自信があるからではないかと。
個人的な感想だけど、絶対手が届かないものには嫉妬なんてしない。
例えば野球観戦は好きだけど野球選手になりたいと思わない、みたいな。
だからきっと、自分自身どこかでもどかしさを感じているように思う。
自分はもっと出来るはずなのに、自分ならハイスぺといわれるようになるポテンシャルもあるのにって。
話が少しそれてしまったけど、結局自分が選んだ道に正解ってないから、分かりやすい評価基準に救いを求めているように思う。
でも、そういったハイスぺな状態をうらやむ気持ちを否定する必要はないと思った。
そう思う自分もいるな~って受け止めて、じゃあ改めて立ち返って自分が選んだ道を納得のいく正解に近づけるために、どう行動したいかを常に問いかけていこうと考えた。
どこかに社会的地位を得たいと思う気持ちはあって、それも自分の1つの大事な価値観として持っておこう。
そう決めたらなんだか楽になった1日でした。
